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被災地歌津なう9 [プロジェクトB]

昨日も約束したとおり泊浜仮設に行きました。
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大きなトラックは子供たちの遊び場になりました。女の子はわたしの名前が書けるようになったとはしゃいで教えてくれました。
子供たちといっぱい遊びました。この仮設は本当にみんな元気で明るい!!、特別な場所です。


そして夜遅くなりましたが別の場所での支援の様子です。
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ここでは全て在宅の方に届くよう、地域の世話役の方に引渡しをしました。
この方の家は半壊補修費を満額でもらいリフォームも済ませましたが、最近の余震で家の傾きが進み、昨日からは全壊扱いになりました。
いったん半壊で処理も進みわたし自身も何より世帯の皆さんも安心しこれから復興にがんばろうと言うときだったのに。全壊の手続き、危険家屋の判断で住めない家を諦め仮設住宅の申し込み、そのほか相談で訪れた役場では全て門前払い。仮設の申し込みが新規に出来ない、半壊で処理が済んで助成金も受け取ったのにいまから全壊にの処理は難しいなどそのほかの手続きも全部NGで何もせずに一日を終えて帰ってきたところでした。
『あんたの物資が届けばそれで何とかなるよね』といわれ、支援が物だけでなく心も支えていることを再認識しました。

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この画像は歌津ではありませんが車の中に住んでいる人たちの様子です。
家が壊れて怖くて住めない、仮設が狭くて一部家族が家を出て車の中で住んでいるなど理由は様々です。
でもみんな出来れば家にふつうに住みたがっています。
車には衣類などの衣装ケースやカラーボックスが運転席のすぐ後部に置かれ、女性の場合には小さい鏡台も置かれています。
助手席を倒し、後部座席との段差を工夫してそこに寝泊りをしています。カーテンのかわりに農用の射光ネットを使って更なる工夫がなされた車も多いです。だいぶ迷ったのですが、実は小型の鏡台数個はわたしが支援したものです。車生活をいつか止めて欲しいから充実はダメなんだけれど、以前書きましたとおり、無くなった女性の魂でさえ身だしなみを整えきれいな姿で彼氏の発見を待っていた事例と同じく、女性の復興の基本だと思って思い切って支援をしました。実は車内生活の女性がここにはたくさんいるのです。コミュニティー化しているわけではないけれど、自分の置き場が無かったり精神的に不安定だったり車内生活の解決の可能性はあまり無いのが現状です。また女性が多いことによりそれで守られているという悪循環も本当だと思います。

被災地の本当の姿は総合的に細かく取材しなければ伝えることが出来ません。
これらの出来事全部にお構いなしの行政も政治も、やっぱり被災地では何の役目もなしていません。ストレスはわたしにだけどんどんやってきているのですよね。。。


2011-08-31 04:06  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう8 [プロジェクトB]

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いつも行っている時間より早く泊浜仮設について、騒然と物資を下ろしました。
実は何度も行っているのだけれども、この方達に会うのは久しぶりだったんです。
仮名高倉荘からわたしの行動に対して、わたしではなく泊崎荘に対して嫌がらせがありうるから。
ここは曲がった環境の世界が展開している半島です。権力だとか財力だとかがなければおとなしく生きながらえて死んでゆくだけなんて、そんな間違った感覚も意外と主流です。
今回は困っているからと連絡を頂きやってきました。
支援に理由も理屈も要らないんですよね。そしてホント言うと準備も要らない。わたしならただそこに行けばいい、家族だから。
何に困っているのかもちゃんと聞くし、どうしているのかも訊かれる。
子供たちとも遊んで、とにかく何とか助けなければいけないと気持ちをもう一度確かめる。
確かめる必要はふつうに無いのだけれど、わたしには時間が足りなくなっている。今日物資を降ろしながらみんなで笑い話していても、実は会話が途切れ途切れで、その間わたしは心臓の痛みをこらえている。ここで倒れるわけには行かないですからね。
今日もまた積めるだけ積んでゆきます。
『助けに来てくれたんだ、やっぱりそうだ』という第一声に、ここでは何か起きていると思いかえす、マーちゃんはこのさらに先に住んでいる。

第一線に来て、子供たちと遊んで、みんなに見送られて、それに答えられるだけの体でいられることを感謝した。
うれしいよりもやっぱり被災地にいて助けられてよかったと思う。
今日までの色々なことを話すとみんな『そうなんだよね、そうだよ』とわたしにズレが無いこともやっぱり確認してしまう。
ここに投下した支援は全部泊崎荘までしか届いていなかった、という話は本当だった。
それは物としてではなく心だった。
『みんなやりっぱなしで出て行ってしまって、後片付けをわたし達がちゃんとしてゆきます』、今日最後の避難者が泊崎荘を卒業します。
やりっ放しは実はここだけではない、避難所でも移動先でも。だから悪ではないことをまだわたしは伝えていません。
振り返る余裕が無いのが本当だし、もっと言えば振り返りたくない。。。そして片付けるだけの心の余裕をもつだけの支援をうけているかいないかもこの時点でわかってしまうし、支援の力で運命さえも変えていってしまう。ボランティアだったり支援ということの責任はとっても重い。それのわからない団体は正直来て欲しくない。それはわたしだけでなく、昨日会った泊浜仮設の意思としての発言の中にもあった。NPOにべったりな泊崎荘がみんな嫌いでサッサと出てきた、そう言って貰ったりするとやっぱりわたしはズレてないと言う話しになるだけだった。
そしてもしも避難所としての観点ではなくこれがふつうに接客としての宿泊施設だとしたら、やりっぱなしは何かしらの不満のある意思表示だと思うべき。
そして片付けもしないで出て行ってと怪訝に思うなら、邪気な思考のせいで届くはずの支援もその先には届かなくなってしまう。
これが気持ちの支援が届いていない原因になるかもしれませんね。なにしろお金を頂いて宿泊して頂いてご意見まで頂いて、勿論宿泊代には後片付けも経費もたくさん含まれている。そしてもっと言うなら、支援物資も自分達で調達しなければいけなかったのも当たり前だった。
一人5000円は安いか高いか、そんなことしか思い浮かばないなんて事が最大におかしい。
一人5000円で儲けた事も、避難所や復興を謳って商品を売り続けたことも、いけないことに自分で仕立ててしまった。政治にかぶれて芯を見失った。そのれを補う次の行動を怠ったんだと思います。
一人5000円で集まった巨額はもともと無かったと思うべきなのかもしれない。人も使って経費もどんどんかかるのだからと言うおかしな言い訳けもまかり通らない。だったらボランティアで運営することが出来るのだから。
最も懸念されることは、全く無償で公認避難所を運営しきった事例がすぐ近くであったことだと思う。
販売利益は全部町のために使いたいと言っていることが多い復興市の出展者が、同じ町で電気が通らない世帯がまだあることを知らないし当然助けないのは当たり前なんだろうか。なんでわたしが緊急支援してるんだろうか。地域にある施設としての責任よりNPOとの繋がりが大事なんて事世間で通用しないけど、ここではOK。NPOの心配の分を自分の町のことに向けることが出来なかったのだから、その活動は失敗だったと決められてしまう。でもまだ間に合う。
縁も無いし行った事も会ったこともない人のために伊里前に出掛けてみればいいと思います。
自分の使う厨房の充実なんて二の次、ここは被災地なのだから充分な設備も体制も必要ない!。ボイラーのスイッチが入らないわけだから風呂にも入れず皮膚病になったこの世帯を救ったあとでも様々な投資は間に合ったはず。
だから復興を謳う看板は作ってはいけなかった。単純な反感は一番取り除けない。
それでもやらなければいけない。看板に偽りが無いように・・・。
それが社会の中での責任と言うものなのだから。
がんばろう東北とかの意味、今ならわかってもらえると思います。
昨夜、わたしが紹介した土建屋さんと都内のボランテアさんたちから『泊崎荘にもう一度泊まりたい』と連絡をいただきました。
8月が終わろうと言うときに思い出したのが泊崎荘だなんて、こんな光栄はそうそうありません。
でもわたしは返事をしていません。

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今日もたくさんの支援物資のトラックたちと一緒に一夜を過ごしました。
また朝が来て、もうとっくにみんな活動しています。だってここは漁師町ですからね。


2011-08-30 06:45  nice!(0)  コメント(4) 

被災地歌津なう7

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いま仙台ベバレッジ様からコカ・コーラいろはす555ミリを200ケース買いました。
今から歌津の子供世帯に配りに向かいます。
仮設住宅は新築で新しい水道管の水を浴槽に貯めると色が付いています。
沸かしたりすれば、何もなかったときのことを思えば平気だとしてしまっていいかどうか。
わたしが買って持って行けば緩和されることならば、重量ギリギリまで積んで持って行けばいいだけの事です。

町がわは、水道料金を徴収したいために、
飲める水だと譲りません。
今すぐにでも考えを改めるための仮申請を地裁に起こしたい。
でもそれよりもいま目の前のお母さんたちの気持ちと子供達を助けたい。
そしてこの被災地の事実をより多くの人の力で助けて欲しい。
どこかに凄い洗管技術の会社があるかもしれないし、同じ被災地でも使用頻度の低い浄水機があるかもしれない。
方法はたくさんあると思います。


2011-08-29 12:26  nice!(0)  コメント(3) 

被災地歌津なう6 [プロジェクトB]

いっぱい配信して、いっぱい理解を求めて、可能な限り泊崎荘を救いたい。
町から外れた半島の先にある大きな宿泊施設ではない、先代からの気持ちを伝える人たちと施設として。。。
その為には結局被災地の本当の姿をどんどん伝え続けなければいけないと思っています。
・真夏なのに暖房器具大量調達
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・飲料水と町役場のホント
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・わたしを残すために託すここへ支援
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・小さな命を救うために母がしたこと
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・漁協の寒さ
・漁師さんのチカラと支援
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・誰のためのサマーウォーズ・宇宙ショーへようこそ
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・一人5000円と一人0円
・電気が来ていない集落歌津なう
・純利益のために
・今日の支援
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・二つ目の人生は中の人だけではない
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・わたしの寿命が決まった日
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・ついに南三陸町民に

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まだまだこんなもんじゃない数が全部平行して取り組んでいてかなり大変です。
でもやらなければいけません、復興には時間がかかるのだからじっくりすればと言うけれど、世の中タイミングで全部決まることもある。その為にはわたしだけでなく被災地と被災者と泊崎荘の力が必要です。
ここで尽きても仕方ないと思います。世の中に遺言信託というものがあり、わたしも一口のりました。公開しちゃうといけない部分もあるらしいけど、一つだけなら許してもらえると思います。出棺したら申し訳ないけれど女川からドライアイスいっぱいつめて三陸を一周してください、孫社長よりわたしのほうがその権利があるはず。そして荼毘にふしたら金栄丸で歌津崎から全部海に捨てちゃってください、もう二度とわたしの毎日こんな辛い支援をする人が現れないよう全ての人の記憶に残らないように。

もう行かなくてはいけない時間です、列挙の項目のお題目の記事を作りたいのですが、まだまだ発信できるように時間を見つけてはアップし続けたいと思います。


2011-08-29 09:14  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう5 [プロジェクトB]

色々聞き込んだこと書いとかないと忘れそうな勢いなんですけれど[あせあせ(飛び散る汗)]。。。
わたしが被災だとわかるとみんなどんどん連絡も詳しい話もしてくれる。そして、本当にどうすれば良いかも被災者の皆さんが導いてくれる。避難所の時はあれもって来てこれもって来てってなぜかいつも5の倍数ずつだったけど;、今は一個単位で正確に準備して届けることが出来ています。
そして、顔を見ながらこれがあるとこうなってこんなことになるから持ってこれる?って、夢のある目で話しが進んでゆきます。
目の奥で穏やかに見ていてくれると、それだけで支援してよかったなって思えて話し聞いてなかったりもします[たらーっ(汗)]
その逆にうらみつらみの告白もあります。避難生活の本当の痛み、TVとかでやっているものと同じとは限らない。だってチャンチャン焼きはやらせなんだから、要するにハッピーなんて今のところそんなにあるわけ無いもん。。。

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昨日も作業ご協力いただいてコカ・コーラいろはすを直接引取り避難所へ。
赤ちゃんや小さいお子さん用の飲料水だけど、どうしても理解がいただけずコミュニティーの大人だけ世帯でも全体へ均等に配って欲しいと譲ってもらえない場面も時々あります。
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次回からはお子さんだけになりますと説明しながら全世帯に均等配布になりました。そもそもお子さんも多いしお年よりも多いコミュニティーなので40世帯の半分ぐらいは対象者だったし、たくさん持っていったのでお年よりや子供世帯の割り当て数も充分な量になっていました。
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どうして均等を望むのか。それはこの地域では前段階の避難生活中にあってはならない理不尽な不平等があったからです。
それで社会性よりも個人尊重が最優先になってしまっているのです。
わたしはそれをわかっているので均等な支援方法の希望などには応じることにしています。だってそれが受け取り側の要望なのだから、必要な方に必要な支援をし続けている事象そのものです。
配布が済んでみんなが仮設住宅におさまったあと、三々五々子供家庭のお母さん方が入れ替わり立ち代りお礼を伝えにわたしのところへやってきました。散々な目にあっても、子供家庭では一般的な反応が出来る社会性が復帰していることが多いです。
それは子供の成長力が親をさらに正常な心理社会性にと逆に導いているからです。
わたしが子供を重視していることが多いのは、子供たちが持つ力がピンチな社会を大きく変える事を阪神震災で学んでいたからです。
子供がいる家庭が一番最初に明るく回復し、やがて周囲の大人もみんな真実を求める社会性を取り戻してゆくものです。

そしてこのコミュニティーの皆さん全員に大きな宿題も置いてきました。
今までは何でも均等、それが正しいと思っていたかもしれません。これって豊かなときの社会主義運営とかだったりして、各世帯の復興にはむしろ妨げだと思っています。
今度からは子供がいる家庭だけに配布します。。。これがわたしの出した宿題です。
育ち盛りの子供たちに懸念される問題の解決、弱者に対する思いやり、これらは一般社会のなかで当たり前に配慮される事柄です。そしてこれからは各世帯にあった成長を個別にしてゆくという、これも社会の中であたりまえの構造がこのコミュニティーで復活できるかどうかが宿題です。
被災前に住んでいた皆さんの集落で、そしてその皆さん自身は子供や弱者にどうしていましたか?。
また、昔のような素敵な町にしませんか?。。。

子供や弱者がいようが何しようが大人だけの私達も欲しいんだと訴える人が出てきて当然の境遇の中で、このコミュニティーが本当の復興に向けて第一歩を踏み出すかどうか。
でも焦っていません。もしわたしが望んだとおりの宿題の答えが出なくっても、また次になにか成長のチャンスがやってくる。時間の流れまで被災地の神様は見捨てていないと思っています。
それは泊崎荘に対しても同じです。むしろ今までのポリシーに戻る必要が無い逆の成長となるかもしれないけれど、復興が始まる地域の新社会にあった感覚に生まれ変わって行くことが復興の宿にふさわしい行動だと思います。名実がそろってはじめて看板のチカラが発揮できる。実が無いから批判が集中していると思いかえれるか。被災前の亡者である必要はまったくない、政治が都合よい屋根をかけてくれるかもしれないけれど、もてなしまではしてくれない。いままさにそのままの構図の宿に陥っていることにここで気付いて欲しいと思います。
それを悪とは思っていない。
足りないと思われる部分をけっぱって豊かにすれば、今のままの情勢でも政治も経営もバランスよくみんなに受け入れられるはず。足りないのは海を見つめ前を向くことではなく、空を見上げて上を向くことだという宿題です。


2011-08-24 06:47  nice!(0)  コメント(2) 

被災地歌津なう4 [プロジェクトB]

母の被災を公開せず、ただ平然を求めて受け入れることなく行方不明として電話だけ何百回もし続けた日々と、むくろを見て荼毘にするまで何も思い出せなかった日からの支援の辛さと。
本当の支援は出来ることを出来るだけ、でもそれ以上に必要とされる支援の眼前にずっと現場では一人だけで向き合っていました。ずっと辛いまま。
お互いわたしと被災同士の会話では、電話なのに今でもふつうにお互い泣きながらになる。
本当に理解できる苦しみは些細な事でも違いがわかる。
被災した喪失感や今でもあとを追いたい苦しい愛情はどんなに時間がたっても解決しない。
歌津ではガレキの原を見ながら、実は一点を凝視している方が多い。あんなに小さかったっけな、わたしの土地って。今でも泣き崩れる方がいる傍らでわたしもいつもおお泣きしている、歌津なう。

24TVの中にあったストーリーはほんの一握りでしかありません。命の消え行く境目が流れの中でつないだ手が離れただけだったりすることがたくさんあり、はぐ れるって言葉の意味が今でもわたしには受け入れられない。
時間がたって見つかった遺体がきれいな状態だったって言われたって、彼氏とはぐれてずっとそこで見つけてもらうの待っていた魂なら、女性として当然の身だしなみをずっとしていただけなんだとも思う。
寒く冷たかったし、音も勢いもすごかったし、ひたひたとやってくるとは限らずあっという間に捲かれて息も出来ずにもがくスペースも無い。わたしが見る夢の中での母はそれでもやっぱり無駄遣いしないでねと言い続けている。
結局一度も面と向かって謝ってもらった事無い頭も下げれない接客業なんて聞いた事ないし、もちろんその上でのロールケーキがお金に見えてるわけではなく口にする人の気持ちになっていると信じています。
その為にコンビニチェーンのオファーを取り付けていたし資金も用意していたのだから。今でも準備は整っています。


2011-08-23 06:55  nice!(0)  コメント(4) 

被災地歌津なう3 [プロジェクトB]

アクセスも連絡もたくさん頂いていて恐縮です。
別に暗黒面にいるわけではなくって、ふつうに殺してやりたいだけなんだよね。
でもそこを通らなければ支援している仮設に行けない、子供たちに飲料水を届けてあげられない、なんとかして気持ちがおさまるのを待つしかないけれど、逆に募るばかり。家族だからと思うから許せるけれど、一般論としてはよくわたしに文句を言える、というところでしょうね。でもわたしは手を離すことがないからこれからも何でも言い合えることに変わりはありません。でも全体も自分自身も見えなくなっているのが本当のところだと思います。出来れば早く状況を脱して欲しいけれど、信じるものを間違えてるからこのまま外部誘導から更生法適用が一番の薬なのかもしれません。
疲れているときに考えたことは、結果も疲れてしまうものです。リフレッシュしたいまならもっと違うアイディア沸くかもしれません。
世の中が自民党で出来ている横柄さがある地域性のなうをここに書きます。内容はすでに仙台中心に公になっていることのなぞりです。
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泊崎荘で支援物資を溜め込まれてしまって、その先へは届かず餓死しそうなので助けて欲しい。
ある自民党に関わった筋からの連絡でした。

泊崎荘そのものは地域の自民党国会議員を強く支持しています。
それが同じ自民党の街部から痛打を食らっています。
スタッフにだけわかるように表記しますが、街部で自民党をとつながりもっていて泊浜に詳しい人って限られている。本人がどんなに否定しても、なんなら裏もあかした方が良いのかもしれませんね。
何度も何度でも言うけれど、信じるものを間違えている。面白がられている。。。

わたしは泊崎荘の真実の何もかもを知っているから怪情報内容は疑いの余地もなかったけれど、仲間は心配になり、全国から急遽救うべく集まった支援品をたくさん持って泊崎荘のその先へ行きました。

その結果は小さな女の子がいる世帯とのコンタクトと支援品の引渡しでした。子供のいい笑顔が印象の記事でした。
その記事へのコメントも良識あるものでした。
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泊崎荘のこと、わたし自身は思いっきり弁護してお世話になった方々とも大喧嘩になったのだけれど、
でもそのわたしから世界中のみなさんには本当のことを伝えたいと思います。


前記事の仮名高倉荘に溜め込まれた物資は、本来公平に地域のみんなに行き渡るはずのものでした。
それが届かないどころか避難している泊崎荘から見える場所で、これ見よがしにフォークリフト搬送さえ使ってどんどん溜め込まれて続けていました。

被災して持ち物が何もない身になってみて下さい。
なくなったのは物だけではない、
大切な思いでも、
何より大切な家族親類の命もいっぺんにあっという間になくなったら。

少しでも手元に支援を届けて欲しい、時にはすぐに使いもしないどんなものでも。

それが本当だと思います。思いますではなくそうでした。
わたしの支援の最大の敵は、票読みでしかない政党政治と、『あっちには届いたけどこっちには届かない』という言葉です。
泊浜センターへの避難から続けて運営中心的だった方々への理解が一番最初の取り組みでした。
『支援品はちゃんとわたしが持ってくるから、もう二度とそんな事言わないで欲しい』。それが約束だったよね。
そして約束もちゃんと守ってくれた。
どんどんと届く支援品と比例して、どんどんみんな元気になって行く様子、いま書いていても涙が止まらない。

時間を置いて追記します、ちょっと辛くなってしまいました。
投稿も時限発行にしておきます。この記事があがるとき、たくさん連絡いただいている通りわたしはもっと元気になって、また書き続けられると良いなと思います。

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追記(201.08.23.06:00)
泊浜にいます、天候は雨。
追記で続きをと思いましたが、24TVの批判がいくつかきていて公告したい事があるので当初の分は別記事にします。
TVでやってたのみんなすでにわたしが(非公開でも)やったのばかりとか連絡どんどん来てたけどそれでもいいと思います。
でもなんでみんながっかり連絡かというと、都合のよい解釈と、支援のための辛さの無い、裏づけの浅い報道だからだと思います。
わたしはTVの裏を知っているからいつも通り全然見ていなかったけど、みんなが期待する味の涙が流れていたかどうかは考えようだと思います。
同じ事言ってた人が二人以上いる話しにしますが、たとえば漁でシャケ獲ってみんなで食べて豊漁ですとかなに言ってんだと思いますよね。それ女川からたくさん逃げたぶんだろうよオイオイ。この時期でふつう揚がらないから豊漁ってナニだし。
漁船を配ってたのその日だけし、現実とだいぶ違うよねって言うのはそれがTVだからなんですよね。
でもたくさんの命がのまれて、同じ波の中での運命はいまから変えようが無い。それはちゃんとたくさんの人に伝わったと思います。かわいそうだから支援するって言う向きにはして欲しくないけれど、それでも支援してくれるなら理由はどうでもいいのかもしれない。
わたしが同じく被災した感覚の中でしている支援は、必要だからしている支援です。
その為にいまもたくさんの連絡や相談をもらい、それは被災者だけでなく同じ支援者同士の連携、そして現地コーディネーターとしての受け入れ、そのほかにもたくさんたくさんの種類があります。
とにかく長期戦、理屈じゃないたくさんの人の希望を補強してゆくことはやり続けなければいけない。


2011-08-21 07:45  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう2 [プロジェクトB]

前記事で結構書いたので引いてる状況ですけれど。
注釈しなければいけないことが抜けていたと思います。
わたしが積極支援で支えた避難所というのは仮名泊崎荘です。同地区に『ニュー泊崎荘』と言うのがありますが、実名のそれと関係あるかどうかはわかりません(これじゃダメでしょうね)。
毎日の出来事の中で、一番取りざたされてきているのは道徳観・倫理観のない人とのかかわりです。
この被災地だけではなくその外でも出くわすことが増えていて、それは残念な年代があることが出てきているからかもしれません。
特に被災地では、活発で活躍しがちな方が最後まで一人でも多く助けようとして波に巻き込まれている地区をいくつか見受けます。そんな中で、泊浜地区に関してはその心配なく、もうすぐ最後の避難世帯も解消卒業にいたる状況です。
ただ一つのネックは泊浜地区で古来からある(仁義なきってことにする?)争いごと憎しみ合いが全てにおいて優先していることです。
この地区にもう一つ避難所になりうる仮名高倉荘と言う民宿があり、なかなか相譲らないおっさんがいるのです。。。
特に歌津地区での仮設住宅建設は、過去の集落単位で行われているのが実情です。ある意味集落ごとの集団移設に近い感覚です。泊浜でも同じく泊崎荘にほぼ集団で避難をし、先月いよいよ泊崎荘地先に隣接する状況で仮設団地も出来みんなで引っ越しました(ただし、漁業関係的に微妙な世帯はなぜか別地区に固まって入居、このことはまた別記します)。
そこでの団地責任者がこれまたなぜか仮名高倉荘になっているのです。もしわたしが任侠な人なら桜吹雪見せながら役場に単身わからせに行きますけれどね。なぜかと言うと。。。
じつは本来避難所として活動すべき仮名高倉荘は避難者を受け入れなかったのです。
なぜか。。。(引っ張りすぎましたか^^)、
仮名高倉荘は避難所機能の必要が出る時期までのあいだに、支援物資を溜め込みなぜか部屋からあふれ廊下にまで達して・・・避難者を受け入れることが出来ない笑い話しが発生したからです(今記事は軽いタッチですがここは笑いどころですから、呆れるだけでなく皆さんも史実として笑ってください)。
これが被災地の実情です。
もちろんわたしは自分の目とカメラでその当時の状況を確認しています。ただし取材ルール上不適切な方法で用意した画像なのでここにはあげません。そしてまだほかの方にも見せていません。いまもひとりでダンボールの溢れてる画像を見ながらこれを書いています。確かにこれじゃぁ誰も住めないよ。。。
そしてそれはわたしたちの泊崎荘にかかる支援金詐欺の言葉の出所にたどることも出来ることです。
本来なら一人5000円(クレジット会社手数料も含む、この事も別記します)の宿泊代を公費としてもらいながら避難者を受け入れる震災特需で収入を得ることが出来なかったねたみ。ねたみ、ねたみ。この出来事に泊崎荘側が巻き込まれていると、ここまでは思ってください。
たとえばすぐ見える近所同士でご自分がそんな立場だったら、みなさんどおしますか。ドカンと大きな建物が建っていて引っ越すことも出来なくて、ただただ言われ続けるばかり。ちなみに規模も全然大と小ぐらいの激しい差で泊崎荘が中心です。
そして避難生活で大変なところへそんな情勢を持ち込まれる仮設住宅生活者にとってはもっと切実だと思います。
話しの中心は被災して避難生活をしている方々です。
そのために泊崎荘として取り組んできたことが詐欺扱いされて良いわけがありません、ここまでは。
被災地なう、少しみなさんの理解を得るだけの時間を置いてからここに更に追記します。
それと一番大事なこと、ようするにわたしはなんか機嫌損ねて怒ってたりはしないということです。家族なら喧嘩もあるし意見も普通よりぶつかるだろうけど、行き先が解っていながら子供たちのキャンプに手土産渡したりしている事を考えて欲しいですね(もちろん本当に持って言ってくれるかは別にして)。
だれにでも出来ることではないと毎日支援しながら言われるけれど、だったら誰にも真似できないハートを持っているかもしれません。でもそれだけに裏切りは相手の方を見境無く許しません。
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先日漁船を支援した方から朝とれのシャケを頂きました。
わたしがなかなか一定の場所にじっとしていなくってすぐ頂くことが出来ませんでしたが、保存完璧で先日dogwoodカフェの協力で特別に一品仕立てていただきました。プリプリと鮮度を感じる味で元気頂きました。本当に本当に有難うございました。そしていまもなお様々な協力を頂いていることにわたしのほうこそ感謝したいと思います。まだ済んでいない支援も継続してお届けします。もう少しお待ちください。
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朝から歌津走り回りまくりでしたが、メインはこの@わんこのフードの支援でした。
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まったく言うことを利かない落ち着きの無い子ですが。。。
この子はあの日飼い主を助けた被災犬です。気になって自宅に戻った飼い主をどんどん引っ張り導いて高台に。背後には波が迫り残念ながら飼い主のお父様は間に合いませんでした。
避難生活中も共に生き残ったこの@わんこを隠す形で進行し、飼い主は食事も半分食べるかどうかで多くをこの@わんこに与えていました。そう言うケースはたくさんあります。動物は二の次、それが本当の人間の助かり方だからです。
でも最後まで見ず知らずの犬達を逃がし続けていたわたしの母がいた以上、わたしにとって命の大切さに大小はありません。
この@わんこのフードはわたしがずっと支援します。
一緒にがんばろうね。

 


2011-08-20 14:00  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう1 [プロジェクトB]

復興という言葉そのものの乱用が歌津では起きています。
泊崎荘の巨大看板がいくつかあり、真っ黄色地に黒々と震災復興の宿と。
馬鹿としか言いようが無いことで、黄色と黒字は宿泊業界でご法度の攻撃色バランスです。見ただけで寄り付きたくなくなる、その為のカラーですからね。接客する気が無いその気持ちのままです。
それに泊崎荘そのものは災害にあっていません。
たとえば水が出なかったとして、それなら東京の方が期間も長い暮らしの方が多数います。
そして孤立して大変だったとして、それも東京でも同じことが起きています。
施設にはヒビ一つ入っていない、それが逆に自慢ナほど。出来ればその長所をよいものにしてあげたいけれど。
極めて狭い世界観、実は自分自身が精神的に侵されていることに気付いていない真実は、結局本人には伝わらないものです。
友達や仲間を選ぶ場面が人生では残念ながら発生します。
付き合う男で人は変わってしまう、泊崎荘の場合はこれがそのまま適応されます。一番みじめなのは子供です。大人は自己満足で済むけれど、子供は親が死んだあとでも引きずり続けなければなりません。
たくさんの方の善意があっての今、たくさんの人に復興させてもらったわけで自分でしたわけではない。これが一生涯つづく真実です、消すことも変えることも出来ないし、ずっと重くのしかかる背中合わせの脅威に感じているのだと思います。自分達は何もしていないどころか、支援金詐欺として名前が挙がるお金に特化した施設として地域で名を馳せています。でも本当はそうではないことわたしはちゃんと知っていますけれど。
それを排するための心理配色がそのままデカデカと多数看板に使われているのです。
目立たなければ儲からないとか、その看板を掲げることにたくさんのメリットを感じたのでしょうが、先代からの雷は時に命を奪うかたちで襲い掛かることになると思います。
われに返る機会はたくさんあるかもしれません、これからも。
でもそのタイミングは重要です。
人をもてなすだけでなく、人の命も宿泊中に預かる、信頼をやり取りするその本分を思い出すまで、どうか世界中の泊崎荘に支援をした皆さん、しばらく待っていただけないでしょうか。彼女はやがて目を覚まし、正々堂々と子供に背中を預ける復興を果たします。
わたしから、くれぐれもみなさんに再度お願いします、復興には何年もかかります、どうかずっと待っていてくださるように。

そしてよかったら、わたしが丸抱えで仮設住宅支援している世帯の子との昨夜の次のメールのやり取りを読み取ってください。

>わたし→
あなたちゃんだけでなく兄弟ももそうだけど、家を出発して学校や街に出ればふつうの感覚のふつうのひと達の数のほうが多いからね。被災地の、特に生活まで変わっちゃった人のことを助けてくれるとは限らないし、こちらから助けてもらう事も出来ないかもしれない。

でも助けてもらわなければ、実際暮らしていけないと言うのも事実だしね∩∩。
あなたちゃん、兄弟君、母ちゃん、父ちゃん、じいちゃんもばあちゃんも、みんながほかの人達と対等に正々堂々と社会で関わりあってゆくために、わたしは何でもしますからね、物だけでなく何か困った事があったらいつでも何でも連絡してね。
わたしから問い合わせることはしないから、みんな携帯にわたしのテル番とメアド登録しておいて下さい。
そのかわり、正々堂々とスポーツマンシップ的に生涯生きていこうね。

>あなたちゃん→
はい!ありがとうございます!!
頑張っていきます
なのでいろいろ迷惑かけると思いますが、今後ともよろしくお願いします(^-^)/

>わたし→
了解です、おやすみなさい

>あなたちゃん→
おやすみなさい
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被災地のわたしのリアル、すべて仮名ですが、せめて町の美観を損ねる看板は書き換えではなく撤去が正しいと思います。
もう看板を掲げる権利が社会的にありません。もしくは付き合いを変えなさい。世界中の誰もがそう望んでいます。
こめの子はわたしが育てます。本来なら飼育拒否をわたし達に紹介する侮辱、生き物に対する考えを許すことはありません。


2011-08-19 09:22  nice!(0)  コメント(0) 

復興から再生へ [プロジェクトB]

先日小泉地区の皆さんに支援したなかから、スローガンを表題として使わせていただきました。
多くの被災地からのアクセスに答えて記事化します。
現在は復興を日々感じる状況の方も多いと思います。
現状を被災地の外へ発信する役割をNPO団体の妨害で果たせていない現実を悔やみます。
いまからでも出来るだけ取り組んでゆきたいと思います。

そんな中、ただ避難所に漫然といたわけではない方々を紹介します。
小泉地区集団移転協議会・小泉地区の明日を考える会 が前出の地域にあります。
わたしが今から書くことはわたしの責任の範囲のもので、地域の方に迷惑をかけるものではありません。
現在は気仙沼市となっている本吉町、実際のところなかなか融通の効く行政対応ではありません。基本的には元の気仙沼地区が行政対応の中心となっています。
現在も避難所に暮らす方が多数いる地域であると同時に、270戸ほどがすっかり更地になってしまった、何も残らなかった地域でもあります。
わたしが出来る支援は直接必要なものを届け、あるいは進展しない行政との設備充実交渉を見かねて個人支援をしたりすることになるだけです。
未来を考えている方々に一つずつ、一歩ずつの足がかりを固めてゆくための支援をしてゆきたいと思います。
画像は8月16日夕方からのイベントの全体像です。これをマスコミ公開なしでやったこと、もちろん趣旨も色々ありますが、町の人たちでこれほど大規模に作り、町の人たちだけで見続けたことの意味が損なわれないようにしたいと思います。
koizumiganbareMAKE1.JPG

金まみれの土建議員も政治家もそくらえです。どこかで見かけた・・・地域に一生懸命と書かれた某国会議員のポスターが『お金に一生懸命』と書き換えられていたの見かけて半日ほど大うけでした。わたしがやったんじゃないけれど、全国から集まるボランティアの方のGJでしょうね。中じゃー崇拝者いるみたいですけれど、外じゃーそういう方なんでしょうね。
フェーズ四配置についています。


2011-08-18 11:05  nice!(0)  コメント(0) 

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