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被災地歌津なう8 [プロジェクトB]

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いつも行っている時間より早く泊浜仮設について、騒然と物資を下ろしました。
実は何度も行っているのだけれども、この方達に会うのは久しぶりだったんです。
仮名高倉荘からわたしの行動に対して、わたしではなく泊崎荘に対して嫌がらせがありうるから。
ここは曲がった環境の世界が展開している半島です。権力だとか財力だとかがなければおとなしく生きながらえて死んでゆくだけなんて、そんな間違った感覚も意外と主流です。
今回は困っているからと連絡を頂きやってきました。
支援に理由も理屈も要らないんですよね。そしてホント言うと準備も要らない。わたしならただそこに行けばいい、家族だから。
何に困っているのかもちゃんと聞くし、どうしているのかも訊かれる。
子供たちとも遊んで、とにかく何とか助けなければいけないと気持ちをもう一度確かめる。
確かめる必要はふつうに無いのだけれど、わたしには時間が足りなくなっている。今日物資を降ろしながらみんなで笑い話していても、実は会話が途切れ途切れで、その間わたしは心臓の痛みをこらえている。ここで倒れるわけには行かないですからね。
今日もまた積めるだけ積んでゆきます。
『助けに来てくれたんだ、やっぱりそうだ』という第一声に、ここでは何か起きていると思いかえす、マーちゃんはこのさらに先に住んでいる。

第一線に来て、子供たちと遊んで、みんなに見送られて、それに答えられるだけの体でいられることを感謝した。
うれしいよりもやっぱり被災地にいて助けられてよかったと思う。
今日までの色々なことを話すとみんな『そうなんだよね、そうだよ』とわたしにズレが無いこともやっぱり確認してしまう。
ここに投下した支援は全部泊崎荘までしか届いていなかった、という話は本当だった。
それは物としてではなく心だった。
『みんなやりっぱなしで出て行ってしまって、後片付けをわたし達がちゃんとしてゆきます』、今日最後の避難者が泊崎荘を卒業します。
やりっ放しは実はここだけではない、避難所でも移動先でも。だから悪ではないことをまだわたしは伝えていません。
振り返る余裕が無いのが本当だし、もっと言えば振り返りたくない。。。そして片付けるだけの心の余裕をもつだけの支援をうけているかいないかもこの時点でわかってしまうし、支援の力で運命さえも変えていってしまう。ボランティアだったり支援ということの責任はとっても重い。それのわからない団体は正直来て欲しくない。それはわたしだけでなく、昨日会った泊浜仮設の意思としての発言の中にもあった。NPOにべったりな泊崎荘がみんな嫌いでサッサと出てきた、そう言って貰ったりするとやっぱりわたしはズレてないと言う話しになるだけだった。
そしてもしも避難所としての観点ではなくこれがふつうに接客としての宿泊施設だとしたら、やりっぱなしは何かしらの不満のある意思表示だと思うべき。
そして片付けもしないで出て行ってと怪訝に思うなら、邪気な思考のせいで届くはずの支援もその先には届かなくなってしまう。
これが気持ちの支援が届いていない原因になるかもしれませんね。なにしろお金を頂いて宿泊して頂いてご意見まで頂いて、勿論宿泊代には後片付けも経費もたくさん含まれている。そしてもっと言うなら、支援物資も自分達で調達しなければいけなかったのも当たり前だった。
一人5000円は安いか高いか、そんなことしか思い浮かばないなんて事が最大におかしい。
一人5000円で儲けた事も、避難所や復興を謳って商品を売り続けたことも、いけないことに自分で仕立ててしまった。政治にかぶれて芯を見失った。そのれを補う次の行動を怠ったんだと思います。
一人5000円で集まった巨額はもともと無かったと思うべきなのかもしれない。人も使って経費もどんどんかかるのだからと言うおかしな言い訳けもまかり通らない。だったらボランティアで運営することが出来るのだから。
最も懸念されることは、全く無償で公認避難所を運営しきった事例がすぐ近くであったことだと思う。
販売利益は全部町のために使いたいと言っていることが多い復興市の出展者が、同じ町で電気が通らない世帯がまだあることを知らないし当然助けないのは当たり前なんだろうか。なんでわたしが緊急支援してるんだろうか。地域にある施設としての責任よりNPOとの繋がりが大事なんて事世間で通用しないけど、ここではOK。NPOの心配の分を自分の町のことに向けることが出来なかったのだから、その活動は失敗だったと決められてしまう。でもまだ間に合う。
縁も無いし行った事も会ったこともない人のために伊里前に出掛けてみればいいと思います。
自分の使う厨房の充実なんて二の次、ここは被災地なのだから充分な設備も体制も必要ない!。ボイラーのスイッチが入らないわけだから風呂にも入れず皮膚病になったこの世帯を救ったあとでも様々な投資は間に合ったはず。
だから復興を謳う看板は作ってはいけなかった。単純な反感は一番取り除けない。
それでもやらなければいけない。看板に偽りが無いように・・・。
それが社会の中での責任と言うものなのだから。
がんばろう東北とかの意味、今ならわかってもらえると思います。
昨夜、わたしが紹介した土建屋さんと都内のボランテアさんたちから『泊崎荘にもう一度泊まりたい』と連絡をいただきました。
8月が終わろうと言うときに思い出したのが泊崎荘だなんて、こんな光栄はそうそうありません。
でもわたしは返事をしていません。

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今日もたくさんの支援物資のトラックたちと一緒に一夜を過ごしました。
また朝が来て、もうとっくにみんな活動しています。だってここは漁師町ですからね。


2011-08-30 06:45  nice!(0)  コメント(4) 

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