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出来ました(その4.0) [プロジェクトB]

今回の支援
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あわせて、避難所スタッフ読者限定、わたしの記事をあとでココに書きます。ついに真相がわかる日が。。。

その1.1)
Twitterにも書きましたが、わたしの母は最近急に亡くなったばかりです。
荼毘にふすまでは滞りなく済ませましたが、実はあまり良いことではないとは知りつつそこでストップしています。
母の遺恨は色々あるとは思いますが、このたびの災害の犠牲者と行方不明者の方々とそのご家族のお悼みをさっし、自分の親の葬儀等をやめ、一日も早い発見と未だすまない弔意の静みが出来るよう可能な限り多くの方々の葬儀が済むまで被災地の方々の遺恨を大切にするつもりでいます。
位牌もまだ仮のまま、お墓もまだです。
これは個人支援も含め関係する多くの被災者の方々が未だ親戚縁者の弔いが間々ならないことにもよりますが、わたし自身が先の阪神での被災時に得ている経験から予め事態がわかっていたことにもよります。
わたしが被災した皆さんに向けている弔意と意気込みは、可能な限り最大限です。
重ねて、みなさまが一日も早く安らかなかたちになることをあらためてここに表したいと思います。
このことを被災されている方々に説明することがはばかられ今に至っています。
あらためてご冥福をお祈りすると共に、現実的な経過による行方不明者の措置には反対を表明します。

なによりも、わたし自身が被災地を回る日々の中で、実際にサルベージ作業中に発見される方々がいる実態を今もずっと見続けています。出来れば全員の安否がわかるまで、母には待ってもらうつもりでいます。弔うことに関する表現は本当に難しいですが、欠かさず防災センターで祈ることを続けている気持ちがスタッフの方に伝わればいいなと思います。

その1.5)
同様に、被災地での関係者の中に亡くなられたり行方不明者が肉親におられる方々には出来るだけの支援をこの先もずっとしてゆくつもりです。国をはじめとしてこれにかかる行政の対応には激しい憤りを感じています。しかしながら異議を唱えることよりも亡くなられた方の尊さに向き合うことのほうがはるかに大事だと考えています。
できれば同じ考えにいたる方がスタッフのなかでひとりでも多くなることを望みます。

その1.6)
各記事に重なりますが最後までわたしが『みんな』の手を離すことはありません。
たとえば自分だけが聞かされていない予定があっても、それはあなたが定常的な反応や対応が出来ないことが原因で自分が悪いことです。ごちゃごちゃと演出して腹いせにも似た行動で自分が満足する展開を用意しても、結局はその罪を自分が被ることからは免れない。現代のサイバー捜査は非常に高いレベルです。
一番は自分ではなく助かるべき人たちです。現在は稀有な環境下にあり、その中にいる皆さんの心情や考え方を自分に置き換えることすら難しいかもしれません。でももしそれが出来たなら、これほど有効な手立てはありません。
そしてそれが出来る『みんな』なのだから、どんなに時間がかかっても理解し実行していって欲しいと願っています。

たくさんの方から心配のメールなど頂き恐縮です。正直なところ、わたし自身も日に日に状態が悪くなるのを感じていて、今日はいよいよ右半身の反応が明らかに悪くなっています。
そんな中でもスタッフの皆さん中心に掲示や連絡などして頂き、離れていても身近に避難所を感じています。
この記事はまだまだ続きますが、更新が滞るそのときまで、ずっと皆さんの家族でいさせて下さい。

その1.7)
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皆さんから頂いた大切なお礼状は自宅でずっと待っている母の遺骨に添えてあります。どうもありがとうございます。
仏壇も正式な遺影も何もないままですが、母のことですから皆さんからのお礼状を毎日読み返しては一緒にいるつもりでいると思います。本当に本当にありがとうございます。


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その2
やっとその2になりそうです。
昨夜も歌津地区を回り避難所にも行きました。
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画像は事情を考慮し(笑)、Kちゃんと依頼主姿はトリミングしました。今度ちゃんと姿出すから。。。依頼主も含め、じつはこの記事の読者はうなぎのぼりに増えています。被災地域の仮設住宅には災害前の世帯電話番号を割り振られた有線NTTが開通したり、同様にネット回線が復旧したりして確かに皆さんがアクセスしてるのもわかっています。みんな元気~?!。
余談ですが、被災前の電話番号が使えることの効果はもの凄く、仮設住宅での暮らしに大きな安心感をもたらしています。様々な生活手段への不満が多い中で、これは結構好評です。
それと昨夜の避難所社長顔色いいし、でも仕事しすぎかな。仕事なるたけしないのがいいと思います。

CA3E016500010001.jpg昨夜は思いっきり台風、到着はどんどん遅れてしまいましたがいろいろと届けました。支援品は主に直接の生活品ではなくなっています。復興してゆく中で自分達に必要なものを細かく指定していただいてます。
生活力がどんどん向上していて、特にわたしが支援し続けていた方々からの依頼内容はどちらかと言うと頼もしい感覚を覚えます。せっかくだからなるたけよいものをお渡しできるように心がけています。

台風のせいで志津川の防災センターは高潮だったり豪雨だったりで正面は水没しています。
それでもいつも通り、トラックを停めて避難所のスタッフと被災者を守っていただくように手を合わせることは通過するたびに何度でも繰り返し欠かしません。


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わたしは最近新幹線で被災地と東京を往復する日々が続いています。
東京に戻るたび思うのはスケールの違いです。
日々の出来事に没頭している避難所スタッフの気持ちを察するところではありますが、考えも行動もだんだん狭くなっていることがとても気になっています。それぞれの力を発揮し動き続けている避難所ではありますが、少しペースを落として新しい空気を感じてみることも大切です。
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建物幅いっぱいの改札口

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あれだけ揺れても平気なスカイツリー


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完全点字だけの案内図

自分達は大変な目にあったという気持ちに入り込みすぎたり、あるいは少し被災の段階が浅かった結果自分を奮い立たせるために成りきったり。でもそれは少なくてもわたしが支援した皆さんの避難所においてはもう少し緩い気持ちで過ごせるはずです。ほかの地域では未だ最前線の場所があることをわたしはよく知っています。比較することは出来ませんが、もう少し段階の進み方を理解して落ち着いて取り組んだりして欲しいと思います。
自分には何も残らなかった、全て流れてゆくのを見ていた。
わたしと同じように大切な人が失われてゆく姿を見ていた。。。
それぞれの皆さんの状況を察することは間々なりませんが、世の中お金だけで動いていたわけではないことが伝わればいいなと思います。
そうすれば、炊き出しなのにマージンを要求するボランティア団体を断ち切れる力もわいてくると思います。皆さんは利用されすぎです。

皆さん一人一人を信じています。
まだまだ続きます。

その2.1)
炊き出しの話し書き始めちゃったから、本当の事を知らない方には衝撃の事実だろうけど。
食べることに対しては最大限の配慮が必要です。食べ物なければ命からがら助かった方々もそこで絶えてしまいます。
わたしも同じ、都合50時間以上も何も食べたりせず支援活動してたりしていて未だに調子悪いままです。

被災地で数日間食べ物が届かなかった場所をたくさん知っています。同じように安定しはじめた時期でも食事の支給が打ち切りになった場所も知っています。食べ物をあてがわない国があるなんて世界的に許されない、わたしはそうつぶやいたことがありました。世界の中で恥ずかしく思う必要があると思います。
第一に優先しなければならないことがどこにあるのか。助けるべき人は誰なのか、食べなければダメになってしまうのだから。
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画像はわたしが支援している地域の線路上、右隅にはここで生き残った方の痕があります。
当時続く潮の上げ下げの危険の中、流れ着いたガレキの中からパックわかめとモズクを拾い、少しずつ食べてしのいでいた跡です。最終的には食べ物が見つからなくなり、この方が最後に食べたのは味付け海苔がひとつだったと思われます。

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線路上はかなり高台ですが、食痕の先わずか数十メートルには壊滅した状況。細かな漂着物の大きさから何度か潮が打ち寄せた様子もうかがえます。
冬、明かりもなく、潮の動く音だけが響く中、命を落とした方がたくさんいました。その夜だけでも、また次の日も、次の日も。
毛布が見つかったこの方が暖をとれていたとは思えません。
それでも自ら歩き避難して生き残った先の炊き出し。ここでは2ヵ月後でもお肉を食べることが出来ないままでした。

炊き出しが持つ意味はたくさんあります。
主に善意の塊だと理解できる方は少なくなっているかもしれません。

それは阪神の時もそうだったけど、元気な方ほど集まって・必要な方には行き渡らない。それでも被災者を信じて、本当に困る食を助けたいと準備し臨むチカラは心と善意の魂そのものです。
それがお金儲けにしか思えないボランティア団体があります。代表者自ら歩合交渉を持ちかける。

催す方々全ての気持ちをへし折り、何よりも困っている被災者を冒とくしてもなを涼しい顔のまま。それが本当の顔の一部です。この人、本当は心なんかないのですよ。教わらずに被災後も過ごしてきた、今もなお。

わたしこのことを中央の全国紙に投稿しています。裏をとるところまでしてもらったのですが、避難所スタッフとその地域では崇拝者がいるので保留中。出来れば自ら勇気を持って欲しい、昨夜のようにやれば出来るのだから。
あわせてほかのことについてもまた続きます。

その2.15)
本日も緊急支援先が歌津でした。ネットワーク化された状況についていっていないのは岬周辺の避難所だけ。
避難所の看板降ろしたところでさえ今日も支援は続けています。
支援イコールお金としか見えていないかどうか、政治との授受も含めてもう曲がり角は過ぎているのかもしれません。
わたしが最後まで手を離すことはありません。

その2.2)
政治家の汚さを身にしみている方は少なくてあたりまえ。もちろん仕事としての政治だったり性根政治家だったりたくさんいるから千差万別でもいいと思って見逃がすことが多かった。

実はこのご時世なのにわたし、今日またしても扇風機を50台用意したんです。これは自慢として書いてあるわけではないことを理解してください。いったいどうしてそんなことができるのか。。。スタッフとしてもう気が付きませんか。
避難所に一番必要なお金のやり取りで対決政党の不支持や票のとりまとめを暗に願うこと、それは政治と金のいつもの構図を被災者に置き換えただけにしかなっていません。とくに狭い感覚に陥った地域性ではそれが信仰にもなるかもしれないし、この状況下ではずるい手法になっているかもしれません。あの日わたしが指摘しなかったら、自分の胸にしまっておくだけでみんなが助かると錯覚したかもしれない。
わたしはそれを責めたりするつもりはありません、家族だもの。ただ忌み嫌うことはしないし、なるたけ理解するように気持ちを置き換える。でも家族だから指摘するし、何か方法がないか模索もするし、知られない範囲ですでに包囲も済ませます。
本当の笑顔でいられないことの心苦しさのほうがずっと辛い。
家族なら喧嘩もするさ。

選挙が近くなって逆に秘密裏のコネしか頼れない汚い政治と、どんどん支援をできるわたしや潜在歌津ネットはまったく違います。
いまどき派手に活動しているのはボランティアの名を借りた政治団体だと噂がたっているのを現場で耳にしてる方も多いと思います。今は派手な活動そのものが逆効果なんです。
潜在とは表にかたちとして現れないネットワーク、それは心のネットワークなんです。
団塊的に心の置き方がわからない世代がはっきりしてきているいま・・・行動するのは難しいと思います。
たとえば、先日置いていった扇風機、台数は3つと少ないけれど、いま本当に必要な人や団体にとは思わずに仮設に入る人に持たすことで解決だろうか。心がかたちになるのには勇気もいるかもしれません。
支援品はもういいですと言うかもしれないけれど、いまも(余計なものは持っていっていないけど)届けるものをありがたくと受け取る方との違いってわかりますか。
もう負担になるから要らないと言う負担とは支援が品物やお金に見えているから。
届けるものが真心に見えているならどんなかたちでも受け取るものです。
わたしはもう充分走り回ったと言ってもらうのはあくまでも自分達に対しての充分、自己中からかもしれません。
いまだ最前線の箇所があり、いまだ解決していない支援の調達に苦心もしています。
無理なくという気持ちは伝わりましたが、もう充分に走ったから休めと言う言葉が一番がっかりでした。
そういう時は、またほかを待ってる方にと言う事が心が伝わってよかったかもね。
心遣いって難しく感じる必要ないですよ、本当の笑顔でい続けることが一番の心遣いです。それが出来るようにいまから考え直して欲しいと願います。
ながいなぁ。。。まだあるんですよ。

その2.3)
いい加減わたしがどんな立場の人間か、公表したほうがいですかね(笑)。。。
小野寺はわたしに気づきもせず挨拶にも来ない、奈落の底へとじわじわ落ちてもらいましょう。
昨日訪問したラジオスタジオのある岩手でも、あるいはさっきの福島・宮城でも有感地震が続いています。
精神的にも限界と感じている方がとても多く、不安やわたしの心配などで連絡を頂く方が一番多い夜となりました。
そしてなんと一番多かった内容は政治批判。。。どんな有名人が来ようがましてや政治家が来ようがうれしくなかったんですよ。でもそれを言い出せないでいただけ、町そのものが新しい人生をはじめていることに気づいていない、毎日通って本当の姿を見続けていた人がやっぱり人を大切に出来ていたのかもしれません。
やりたいほうだいやってサッサといなくなる、本当に必要な暮らしを支えてもくれない。不満の爆発はなかなかのものだし よく見る政治構図そのままで。。。被災で大変なのにさらに追い討ちが政治なんて目も当てられない、そんな気持ちで朝を迎えました。
ずっと隠していたけれど本気出さなきゃなと思いはじめています。

昨夜頂いた連絡の中に保育士の方がいました。
わたしはこの地区の保育園の先生方5人にピアノをプレゼントしています。
津波で流されてしまったりしていて自宅でピアノが練習できなくなっているのでと問い合わせいただいたのが最初でした。
この地区の保育園の再開は6月10日、それまでは避難所となっていたり 町の機関として保育所そのものが使えませんでした。何より保育士の皆さんは町の行政サービスの職員として活躍されてヘトヘトでもありました。
いざ保育所の再開となった時、自宅でピアノの練習が出来ない状態な事に気付いたと言うのが本当のタイミングだったのです。

ピアノをプレゼントするにあたり、わたしが出した条件はたった一つ『町の元気な子供達を育てて欲しい』それだけでした。

後日ピアノが各先生方に届き、『久々に弾いたら間違いまくりで(笑)』と到着の報告を頂いています。
そして現在もこっそり支援を続けている世帯があります。行政として、住民として、あるいは避難所の内情を詳しく今も連絡頂く方として、ある意味わたしが避難所スタッフから受けた嫌がらせを事前にわかって政治団体を監視していたのも。
それが偏らず複数の方にまたがり様々な連絡が行き交う。でもずっと悪用することはありませんでした。わたしも、そしてネットワークそのものも、この先もやり方は変わらないと思います。
それはわたし達みんなが、いつも本当の笑顔でいられるようになって欲しいと願っているからです。
だからこそ、わたし自身も以前より小野寺を世話したことも今日まで黙っていたのだと思います、忘れたとは言わせない。
でもわたしは忘れていましたけれどね(笑)。仇で返す政治に手を差し伸べるほど愚かじゃないよ。
一気にBlog記事畳みたい所だけれど、また支援の朝が来ました。紙面版ももう少し公開待ちで続きます。
今また防災センターで避難所スタッフとみんなの無事を願ったところです。

その3)
始発で東京と往復しながら紙面版の打ち合わせ、そのままここへやってきて様々な相談事を一緒に考えていく中ではずせなくなっているのが風評です。
一番は不穏なことがあったらすぐ連絡してくれと言う票読みの政治活動から始まるもの。結果、被災者同士自分以外の人を監視する干渉する目が育ちそれが全てコミュニティーの雰囲気の悪さ、生活のし辛さになってしまっていること。あえて強調するけれど、大昔の同和問題を政治家が自分で作り出し、不安をあおって挙句、不安を解消するためにやってきたと凱旋すること。
わたしが避難所に行けなくなったのも、避難所スタッフが政治活動団体にわたしのメールや取り組みの様子を流し続けて嫌がらせを助長していたことが原因でした。普通なら信頼を裏切られた気持ちが計り知れないけれど、わたしはそうは思いませんでした。今もそれを責める事はしていないつもりです。
大局を見失って、自分を見失って、自分が犯していることの罪状もわからない、本当の意味での幼さが露呈しないように心を閉ざすことになっている姿を、わたしが家族として伝えられない無力さが本当に本当に悔しい気持ちでした。あなたが悪いわけではない、教わっていないこと、関わりのルール、会得する機会がまったくないことがいけないと思います。真の悪はあなたの中にあるのではなく、『本当は関わりを持ちたくない』とあの日感じた気持ちが一番正しいと思います。これからもずっと信じていたい。

その3.1)
何よりもその情報を元に活動を続けBlog広告塔に成果としてあげていること、人の心を潰しながらの政治活動は刺し違えても絶対に許さない。多くの方が同じ気持ちだと思います。
小さな社会性を利用し絡めとるように人の心を束ねるやり方の中で、自分のおかれた状況を錯覚することからはじまり、ついには政治のしがらみから手を切ることが出来ない。地域性には置き換えたくないけれど、ほかには説明が付かないかもしれません。それでもその悪循環から脱し自分で活路を進んでいる方が同じ地域にいるのですから、勇気を持つことの大切さを痛感する日々です。
でもね、正直そうもいかないよ。。。
被災、喪失、別離、孤独、全てがいっぺんに来てどうやっても転化も昇華もできない心。
胸のうちを親身に語るチャンスはなかなかありません。それは語れば厚意で差し伸べられる手立ての全てを否定しなければいけないから。共感できるとか、ひとりじゃないとか、それは一番の苦痛になることだから。。。
心の中に入り込む支援はじっくり独りに向き合って、ずっとずっと続けてゆく腰の据わった活動が必要です。
わかったようなこと、わたしから説いたり誘ったりは出来ない、今すぐは。     やるべきでもない。
もしわたしに出来ることがあるなら、目に見えないものへの支援ではなく、目に見える物質的な支援、最初からそう決めていました。それは時々出てくる阪神の時の自分の経験からでした。わたしがずっと左手を離さなかった気持ちを、かわらず避難所のみんなに続けたい。
物資の届かない歯がゆさ苛立ち、その心の負担が強かったことを我慢せず、わたしにどうしたらいいですかと尋ねた日の気持ちをもう一度思い出して欲しい。ネットの再開、物資の平等性、願えばすぐ届く物達、全ては目に見えるものばかりの支援だけれども、わたしは一度も皆さんを裏切ったことはなかったはず。今からでも遅くないから、もう一度殻を出る勇気を持って欲しい、一時も欠かさずそう願い続けています。

ある時、7月末で避難所への経費の打ち切りが伝わったことがあります。それは二次避難といわれる現在のほとんどの避難所への行政支援の打ち切りが行われ、その日以降は自費で避難生活をしなければいけないともとれる内容のものでした。
実際には避難所生活に甘んじて仮設住宅の申し込みをしていない世帯があるのではないか、それの炙り出しの脅しと考えられるものだったけど。仮設住宅の申し込みには、住みたい地域、暮らしたい人数など、将来設計にかかわる項目を選ぶ必要がいくつかありました。そしてその申し込み方法の説明も、残念ながら担当した職員ごとにバラバラだったと思われる節が感じられています。その中ですぐ判断できる世帯と、いまだ行方がわからない親類がいたり親戚との連絡が充分ではなかったりするなど判断に困る状況の世帯がありました。個人でも性質正確の違いがあるように、世帯だって千差万別。国などの大まかな政策を上手にフィッティングするのが地元行政の役割なはずなのに、実際にはその逆。しかしながら行政の本拠も被災している状況下では本位にならないことも起こりうる、もちろんそれは危険なことだけど。
その事例で何が困るのか、避難所スタッフの中で事態を消化できないものが現れるのも仕方なかったと思います。
方針として経費が貰えなくても避難所の皆さんには変わりなくいてもらうことが内内にスタッフの中で決まっていたのだけれど。。。
どこに問題をおくか、この記事中に何度も出てくる問いかけです。
赤字になっては困ると言う判断からの抗議ではなかったと信じたいです。

風評や噂に関することはたとえ献金問題であってもなるたけ公表したいと思います。


その3.2)
その前に、わたしがかつて政治記者で、しかも政権交代を仕掛けた人物だと気付いた方がいたので。。。それとなく過去記事にはあるのですよね。たった二人で取材を続けて相棒は現在全国紙のデスクです。
人のための人生が嵩じて相棒のためにわたしはゴーストライトに入ったけど今は引退。それが相棒のためだと思ったからです。
その時わたしが用意したカードの中には連座で落ちた小野寺のスクープも含まれていました。でも見逃しました。理由は秘密。
今回、また連座となる案件を証言いただいています。
何月何日、どこそこで被災地域の新進も含めた集まりがあり、どんなカタチのお金が出たか。そのときの物的包みもすでに入手済み。この部分は永久に削除しません。真実を勇気を出して語ってくれた方の地域を愛する本当の気持ちがとてもわたしには痛烈でした。
安心して下さい、もうこの記事ほとんどアクセスありません。気になって気になって。。。の関係者だけです。

最後まで避難所スタッフの手を離しません。その為に必要なら確実になってしまったことでも言い歩くことはないでしょう。
ただし、信頼できるデスクに先ほどすべて預けました。いつでも出せるし勿論自民とのコネもちゃんとあるのでゆくゆくはどうなるか想像の通りです。そうなる前に、わたしの避難所から手を引くことを強く要望します。それにね、こんなわたしなのだから、2億ぐらい5秒で解決なんだから。ちょっとは信頼して欲しかったですよね^^。
信頼する仲間、人、それを選び育つ感覚は心の目しかありません。いつかあなたの閉じたままの心が開く瞬間が来ます。出来ればその時、家族として皆さんと共にあれたらいいと願っています。

その3.3)
風評との戦いを始めています。この記事にも続けてメッセージを書きますが、ここへのアクセス数を減らすため、新記事更新を再開します。でもここを忘れないでね。


一番の風評は放射能のこと。
ツイッターとかBlogとか実測値をあげたりしてるけれど、実際にながく研究した人にしか本当の意味はわからない。
放射線量は安定していつも同じではないこと、機器の校正はそれぞれ持ち主が選べてしまうことなど数字自体があいまいだと思ったほうがいいです。
何がいけないかというと、当人自身が知識がなかったこと、それが騒ぎのもと。
たとえば数字をあげ続けてる人はあさはかさを自慢しているに等しい状況です。
原発に対する様々なことは20年以上前から誰でも調べて知識化することが出来ていて、専門的でなくても何がどんな風に危険かを知ることは出来ていました。映画でもかなり丁寧な作品がいくつかあり、そのつもりでそれを見るだけでもよいものがありました。わたしもそうやって知りえたひとりです。主にはチャイナシンドロームとかの言葉が出てくる作品は手本でした。
今回地震がおき、波も来て最初に思ったのはそれら映画で描写されていた事態。そしてそれから逃れられない真実でした。
同じく(公表したのでわたしも含めて^^)ジャーナリズムな感覚からいち早く現地入りした仲間が多かったし、直接支援で最初に行ったのも仲間が最前線にいるその場所でした。
ここで支援物資のことをしているけれどあくまでも後方支援のつもりでいること。そしていつか不測の事態があっても仲間の遺志を(勝手に殺してごめん)継ぐ覚悟でここにいるのが本当です。『おまえはここに来るな、あとをたのむ』と電話でのやり取りがあって、でもわたしはひとりの人間として今あり、阪神のときと同じ命の尊さとまた正面から向き合うことを続けています。そして案件を先日デスクに預けた時点でわたしはもう報道の世界とは違えることにも決めました。
わたしは職業柄の勘からすぐ避難所を取り巻く政治性に気付いていたし、ここではっきり言うけれど避難所スタッフを切り離して真実にたどり着きました。かつまたを洗うだけでブラックとの関わりもえてあっさり土建系ともつながってすぐに昔つかんだ小野寺の非公開ネタまでも手繰る結果となりました。
そして全てをデスクに返上したのも避難所を守るため。ただその一点。
昨夜前出の原発最前線から『おまえはいつも若いやつらに肩入れして自分を殺す。本当は世界一真実をたくさん知っているのに俺らにも語らない、でも最後に俺の骨を拾いに来ることはわかっているからな』という会話で仲間はわたしのジャーナリズムに幕を閉じてくれました。今までずっとヤバイ橋だけわたしに渡らせてきた^^やつらがわたしを見送ってくれたのだからそれでいいのだと思います。
彼らが見据えているのは50年後や100年後のことです。そのために今を追い続けていなければならない使命感、それがわたし達の原動力です。わたしは後方になったけど、代わりにその風評と向き合いたいと思います。

ほんとうは長く愛されるロールケーキを心を込めて製造販売の長くが永くではないことに大きな意味を与えてあるんです。

3.5)
歌津にロールケーキの工場を建てて、町の人をたくさん雇う夢を見ていました。
アレルギー対策に本気でいられる工場はたくさんは無い、日本中のコンビニで販売して、そして町の安定産業として。
その為の資金も前記のとおりすでに用意してあった。
でも現実は一人5000円の避難所経費をめぐる公金・支援金詐欺だった。
仮設建設工期を延ばすことによって得られる財は1000万単位、最初にそれに気付いたのはあろうことか避難生活をしている方々だった。そして本当はもうみんな知っている、それでもお世話になったから黙って出てゆこうって。みんなで決めている。
泊センターでお世話になったいい人だから・・・その錯覚は救いようが無い。
一番困っているときにお世話してくれた・・・ちっちっちっ。
お世話に必要だったものを得るためにたくさんの人を困らせていた。そして死の淵まで追いやっていた。
それを涼しい顔して泊で出して、泊まりの人が助かって。
でも泊まりの人がたくさんの人を困らせて次へ進む結果になって、本当は取り返しの付かない悪を仕掛けられていた。
周りの人はみんな知っている、でも知らないのは渦中の人だけ。そんなとんでもない偽善者、これからもずっと気付かないんだと思う。
信じるものを見直す力があなたにはまったく無い。目が覚めたときに得られるのは過去の罪悪ではない、新しい境地と正しい目で見る神々しい家族の姿です。子供の姿が本当に輝いているのを見つけられずに終ったら、どれほど子供にとって不幸か知れません。一番大切なものまで失う瀬戸際にいる家族の手を離さずにいます。もしかしたらその手の力だけで堕ちずに済んでいるのかもしれません。
今日はとても心臓が苦しくって更新続けられないです。また書きます。

3.55)
書いてる途中だったので一番肝心なこと書き損じていますよね。
じつはわたしが同じ地域で避難所の看板を降ろして戦い続けた方々のこと、ここにはあえて書いていなかったのですがそのわけを話します。
ちゃんと避難所として公認され避難所看板も持っています。でも看板を降ろして支援も無く政治の介入も一緒に防いで戦い抜いたんです。

なにが重要かというと、支援金ももらっていないのです。

つまり支援金なしでも避難所の維持は規模の大小に関わらず可能だったことを証明したのです。
ひとり5000円の支援金、定員数を超えて預かるかたちの避難所があった場合、通常より当然満室よりたくさんの入金があり特需に相当します。
ですがすぐそばでまったく支援なしで公認避難所が運営されていたとしたら、当然すでに支払われた経費も逆算して返金があって当然です。公費なのですから。それを出入り業者はじめたくさんの方がほかの地域で吹いて回っているのをわたしの努力では止められません。
おそらくこれは現実に起こる措置だと思います。そしてそれを消すために政治が動く。
でもその時が連座に落ちる隙でもあります。わたし達は支援金捜査の全国第一号を見るかもしれません。
でもね、わたしもできるだけのことを働きかけています。
色々なかたちで噂される支援金詐欺ならもっとほかにもたくさんあります。
金に目がくらんでいる加減はわたしがここに表現している通り、でもそれを悪と表現することに終始してはいません。
その罠を張った者、都合悪くなればトカゲの尻尾きりなやつ、そこを正さなければこの町の先はブラックなままになってしまいます。
この点で一致している方が同じ町の中にたくさんいます。

長いのはなし、次にします。

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3.6 (2011.08.20.12:00)
なかなか書けなくってすみません。怒涛の日々です、対策もどんどん進めている中で書いてもいいこといけないことがあるのも原因の一つです。
今回一般版で公開した支援金詐欺は地域の業者などが作り出した言葉です。しかし現在は被災地での様々な違法行為の報道が盛んな中で、新記事のヒット数が爆発的な状況です。でも取り下げるつもりがありません。そもそもわたしがメディア露出を果たせば土建議員やその会合日時も含め、全て実名でゆくことになるからです。
でもこれ以上実名で書きたくないですね。
全て社会は連鎖していること、完全に包囲されていること、こめちゃんの子の事や様々な行事のことを含め網羅が徹底しているかもしれません。それは皆さんを取り囲む更に大きな知らないほうがいい世界からの事だと気付いていると思います。
社会って狭いわけではないという体感をしたと思います。
もうあとには引けない、あるいは自分達が糸口を作るわけには行かない、そのほかにも色々検討の余地ある中で一番大切なことは何でしょうか。
わたしにどんなに機嫌をとっても何の効果もありません。きっとすっぱりとした道徳が備わっているからです。
あなたが怯えるのは、自分に道徳観や倫理観が無いからです。その分を補う協力者もいない、むしろ足りない馬鹿がいるぐらいで(笑)。いやでも実際そうだよ。もうわかるでしょ。
なんでそうか、類は友を呼ぶからです。
自分の不健全さに付け入られ、次々と同類が集まってくるのが社会というものです。そしてそれが一番人生にとってつまらない時間帯になるのも本当です。いまわたしが言ってもわからないかもしれないけれど、でももう待ったなし、理解してください。
またここに書きますが、今日は先に一般公開版の方を簡単に更新してアクセス先を変えます。

3.61)マーちゃん
画像はあとで消しますが、その記事の世帯の子です。その世帯へ簡単に連絡取れる外部の人物は限られている。

3.7)支援品詐欺
様々な泊崎荘を取り巻く事柄を次々とここに先行して書くだけのことであって、やがてはわたしがそうしなくっても公になるこことばかりだし、自分達には聞こえてこないことばかりなんだと思います。
たとえば女将が小野寺でというなら、もちろんわたしが知る三陸の皆さんにも応援してもらうことになるだけのことだし、そして宿泊者も洋菓子も、不思議となんだか売りが多い気がするのは通販のせいではないと気付いているはずです。
ここからは同じくわたしが言って歩いてるわけではないことだと前置きします、それはあまりにもリアルすぎるから関係者内に話しの出所があるからだと思われるからです。
わたしが合計1500万円弱を支援品として渡したと前提したら、そのぶんが全て泊崎荘の純利益になることはちょっと考えればすぐわかることです。町役場でも最初から最近まで相談に行くたびに一人5000円の宿泊費のなかから避難者に必要なものを用意して渡す、ただ宿泊してもらうためだけの金額ではない、その為の公費拠出なのだから。という話しを今から記事化します。それをどう泊崎荘に有利に書くかが現実には難しくって。。。一人でも泊崎荘の理解者が増えるように、表舞台だけでなくブラックな政治社会でもみんなの知らないところで活躍中です。ブラックのルールが金ならみんなの知らないところでみんなの知らないうちに有無を言わさないほどの桁にしてわからせているかもしれません。わたしはこの一週間で2回も東京に行き複数の関係者に会って、土産話しをし続けています。
政治家には出来ないこと。。。これを表舞台にさらしたサマーウォーズ。
最近出会った人は全然知らない話しを次段に書きますが、アニメの世界でもわたしのゴーストライトは暗躍してたんですよ^^。たとえばその夏戦、ばっちゃんが電話書けまくって結局日本を救ってしまう図は、今わたしが泊崎荘スタッフの知らないところでしていることそのものです。守ると伝えた意味、皆さんにわかってもらう日は来ないかもしれないけれど、よかったら絶賛レンタル中ですので見てみてください。じつは泊崎荘に置き換わる事柄満載の作品に期せずしてなっていて、もしかしたらわたしはこの作品をゴーストライトした縁で先代に枕元で会い、そして行った事も会ったこともない泊崎荘の皆さんのために影で億単位でわからせているのかもしれません。
4.0)初公開
結構がんばっていたゴーストライトの中に全力があります。
でも被災地に忙しくって7月末までとしました。こんな事もしながらずっと支援していたのが自分でもうそのようです。
http://ameblo.jp/zenryoku-usagi-blog/entry-10968158221.html
かつまたがしていたことはかつてわたしがしたことのコピーです。そしてそれがいい人だとか言うならば、全部わたしの賛辞になってしまいます。そんなみじめなことしてあげないほうが本人のために感じます。
支援品が純利益になったのなら、マージンとして受け取った手数料は実はたくさんの方からの支援品が全部吸い取られてマージンとしてほかの団体に流れたと置き換わる悪質なことなんです。政治社会やブラックな世界のやり口に詳しいわたしだからこそ、早くから手を切るように言っていたことです。やがてこの部分の追求がなされる日が来てしまいます。その時に泊崎荘が潰れてしまう事になるのもわたしにはわかっているのです。
ばかで自分がどんな紹介をしてしまっているのか本人にはわかっていなかったんです。そしてそれに乗ったたくさんの商品も、都会スレしていない純粋さから結局さらに大きなブラック社会に付狙われてしまった。それがブラックの本当の狙いだし最初からその算段でのっとりを計画していたことだから。
そんな構図をいくつも取材していたのに、一番助けなければいけない泊崎荘を救えなかった。かつまたの活動を何とかして手伝ってあげたい甘い気持ちで見過ごしていたから。それが以前女将に伝えた内容の本当の裏なのです。
でもまだ何とかなるかもしれない。それはまったく表に出ない、ましてやこの地域の感覚では知るよしも無い深い世界のこと。ここへこう書いても誰にも伝わらない、本当に伝わって欲しい泊崎荘やかつまたにも勿論同じことだと思います。
いったんTUNAGARIをやめなさい。そしてもう一度誰にも頼らず、猿真似もせず、本当の自分で本当の繋がりを三陸に確かめに来なさい。
期せずしてわたしの島にいることも何かの縁でしょう。そこでわたしの心が育ったのだから、きっとかつまたにも出来ると信じています。幼くて、していい事と悪い事の善悪をわかっていないし、その責任の重さも平気でちくる人と同じくわかっていない。教わらなかったろうし教えなければいけないタイミングで伝えなかった周囲にも責任がある。もう本人には備わらないかもしれない。それでもわたしは諦めずに手を離すことは無い。
たった一人の家娘のガセネタで人生が閉じてゆく人がいるとしたら、それでもあなたは生き続けますか。


2011-07-31 14:13  nice!(0)  コメント(14) 
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0.1ct(島人から追記) [プロジェクトB]

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dogwood制作
よろしくお願いします。

それと今朝dogwood出動のスコップ団です。



非政治団体スタッフ限定。

状況は色々あって退社の時期は変わったけれど、その趣旨なら誰もが賛同できるはず。
ある日のメール:『うなぎ様、会社としてだけでなく、(間接的にも)世界中の被災支援の女神です。大切な集まりになるようにしてください』。
昨夜某所で皆さんに心の限り刺さる視線(きゅうり)ともっともな非難(全員)を浴びましたが、実際その価値ありだろ。
それはひとりだけでなく全員が同じことだとも思っています。
会社のことをいい思い出として忘れないために、一番必要なアイテムだと思って用意しました。
また仕事に戻ってきて欲しいとか別に腹黒いことなんか一切ありません。
必要だったらゴーヤのぶつぶつ削り落としたガラス細工とか沖縄行って用意してきますから。。。

CA3E01150002.jpg プレゼントありがとうございました[揺れるハート]

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島人追記

帰った気になって眺めていますか。
動物の人たちならわかると思います。フジはわたしを忘れていないし 挨拶も甘えもそして嬉しさも。
@わんこたちとまったく同じです。
沖縄 なにもかも懐かしい
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わたしは芝生でよく寝ていますけど、こんなに安全な芝生はそうそうないからです。
水族館のビーチで夜間(一般立ち入りで来ませんのであしからず)過ごしていると、カニやら色々やってきて寝られませんから。。。それにたいていゆんたくになり寝ることははばかられます。
島は土地として小さいけれど、その代わり大きな海がずっと続いています。水族館の場合は前が伊江島ですが、夕方から空が明らむほど花畑に燈が入り、やがてゴールドの朝を迎えます。あの色が出るのはここだけだと思います。
どんな時、どんな場面でも起こる出来事は一度だけです。毎日同じことの繰り返しだったり、どこかで見た情景だったり、そんな大人である必要なんてまったくありません。みんなと同じレベルが優秀なんて大間違いの刷り込みです。人と違ったらちょっとあれどうなの的ナ感覚でいたらもったいないと思います。
島にはたくさんの感覚豊かな方がそれぞれを発揮して暮らしています。それが凄いパワフルに感じる源なのだと思います。
でもここは違う。発揮している個性もそれぞれが1%にもなっていない。。。
ボランティアというフィールドではたくさんの個性が発揮されて運営が成り立っています。それは全て自分の責任で、自分で出来ることをしているからかもしれません。
自分が自分でいられる場所、みなさんはそれを見つけているはずです。そしてそれを用意することも経営の責任です。
仮に様々な出来事からうまくゆかない事うまくゆかない人が出たとしても、そのうまくいってないっていったいなんでしょうか。
誰がうまくゆかないと決めてしまっているのかと。。。島ではそんな理屈を考える人はいません。

東京でも当日からずっとたくさんの混乱がありました。帰宅難民や生活困難の規模などを考えると世界で一番ピンチを乗り切った主要都市と例えられると思います。コンビニだって被災地と同様にまったく何もなくなってしまったりしていたんですよ。マニュアルの整備された都心のコンビにでは、すぐさま販売から支援に切り替えて支給品でしのいだ弱者の方もたくさんいたんです。
本当に自分達だけが被災者なのか、何々町民、何々市民、何々県民としてなんて意識ホントは関係ないと思います。
みんなに役に立つものを考え作り出し、みんなが美味しいものを生産し続ける、ここはそんな場所であったはずです。
いまその為に必要なのは、二つ目の人生を思いっきりはじめることです。影響なかった人なんて大なり小なり一人もいない。
みんな同じスタートから新しい取り組みをはじめられる時がやってきたと考えかえる必要ありです。

いま一番必要なこと。
それは『うまくいっていない人』を助けることです。
東京でもそうですが、はっきりした原因がわからないのに不調になる方が非常に多くいます。
表現なら目に見えないストレスとかなのかもしれないけれど。それはよく考えるとここでも同じです。身近でもそれは起こっているし陥っている方がいるかもしれません。そしてそれは本人も訴え出ることが出来ない難しい感覚のものです。
この事例にみんなが一丸となって取り組む中でたくさんの個性が発揮され、たくさんの新しい二つ目の人生が始まると思います。
コトの始まりはみんなに共通、だからこそ WE’RE NOT ALONE なのだから。


お金の花はいつか散る、沖縄では唄として共通する言葉。有名な島唄にも出てくる一節です。
沖縄を語る風情がこれを知らないわけがない、うそで固めたボランティア活動は見た目よさそうだけれども、被災者の心をもてあそぶ結果になるだけ、被災者がのまれて見抜けなくても真実ならわたしが見抜いています。
わたし達の活動はただひたすらに命を尊く思うこと、ただそれだけです。
ボランティアや被災を語りお金をむさぼり集め、やりたい放題の政治なら動物も人間もしっかり見させていただいてますうな。
ここでは書かないけれど裏では本当にあくどいよ。地域性ある暮らしの人では見抜けないほど巧妙。珍しいもので釣ってゆくけれど、自分自身が体当たりで被災者の心を動かしているわけではない。特に被災地で非常事態の中では本性が全て出てしまうこと多いから。
それでも人としてそいつを尊重しなければいけない、そいつの心が育つのを待たなければいけない、そのストレスはもって行き場がなく全部心臓疾患になっちゃってるのが本当だと思います。自分に気付くことがない人は助からないよ。。。
がんばれ、いまがんばれ。いましかないよ。


2011-07-20 10:42  nice!(0)  コメント(0) 

支援は終わりから [うわむき]

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ちょっとゆっくりして、月夜の海岸で心臓たたきながら(ToT)朝を迎えました。
みんなまだ寝てる頃、もしくは子供に起こされて子供番組見てる頃。。。

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この海が戻ればいいのに、海に出て、浜で暮らして。
避難所の方が『釣りをして、魚介を食べて、飲んで寝て、一ヶ月ゆっくり過ごしてください』と手紙寄せていただいたことがありました。
海が中心の暮らし、海にいい思いさせてもらってたからまた海で暮らしたい。。。海を見ながらの漁師さんの目は、わたしの届かない心の中までずっと見ていたと思います。

支援と言う大きな段階はわたしの関りの中では去りました。今は復興のためのお手伝いが活発です。
もちろん個人支援はコト細かく進んでいます、そして被災者の方がそれぞれにさらにほかの被災者を手伝う状況を積極的に構成するようにしています。それはわたしを頼らなくてもみんながそれぞれにすすむこと、それが本当の復興だからなのかもしれません。

もしもわたしがいなくなってもいいように。
医者が言うほど良くないと思い始めています。昨夕お伺いしたソニックマイヅル店でも、しばらくは呼吸が整わずおかしかった。
いざと言うときに使ってと言われた薬を昨夜ついに飲んでしのぎました。頻発する弱い心筋梗塞や狭窄とかじゃない気がする。。。
支援をしていた段階で、本当に支援して欲しかったのはわたしのほうだったかもなと考え始めてもいます。やっぱり未だに避難所に対する思いは変わらず、うな。
いつ電話しても、いつ行っても、みんな本当に明るい。わたし役に立ったのだろうか、わたし自身にはわかっていないんです。
わたしは帰る場所がないですね、よく考えたら。家にいるより被災地を走り回っている時間が長くて、わたしどこに帰ったらいいのかと思って。それで一晩中海を眺めていたんです。
もしここでだめになる前に何をしようかということ考えてたら、いまさらどーでも良いこと考えてるなと勘違いしてる気にもなりました。
すっかり日が差し朝が来ました。どんどん走りますか(もう充分走り回ったから休めと怒ってる方もいますが)。この海をまた見に来ればいい。
仮設住宅に先行して住んだ皆さんに色々試してもらっています。その様子、総合的に伝えるチャンスを用意したいと思います。
それと、最も復興が遅れている場所へも現在アプローチしています。
ほかにもいっぱいサボっていた発信、少しずつできたらいいなと思います(いつもの言い訳)。

業務連絡
・スカイタンクはフォークが刺さる1トン、多数必要です(最低3個以上)。

・うなぎが嫌いになったらどーすんだ。責任取れるか問いただしておいてください。でも今日また夕方着いちゃうんだよね。。。

・行くぞ


2011-07-16 06:08  nice!(0)  コメント(0) 

こどもの時(追記) [三ツ星記念日]

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あの時も最後まで左手を取ってた。
今また最後まで手を離すことは無い。

もう避難所に行かない方が良かったり、さっさと次にぱしらないと話しは始まらなかったり。
でも最後まで諦めず(なんかの教育者じゃないけどね)わたしは手を離さない。

預かった子達だって別れの時がある。15の命との触れ合いは、ある日突然別れがやって来る。
・買い物に行ったきり。
・コンビニから帰ると誰もいない。
・ドライブの途中で。
わたしに情があるから、コーディネーターはあの手この手で引き離す。
一度も別れの言葉を交わしたこともないし、最後に託す事もない。
いつもおもちゃが2つずつ無くなってるだけ。両手で持てる数は2個だけなんですよね。

今また告げずに別れても、後悔するチャンスすらわたしには残らない。
わたしの人生はそれの繰り返しだから。

でももういい加減甘えたい。生き物的に動物的に人に甘え信じたい。


入院も手術もそっちのけ。次もわからないのにいまそうしなければいけないなら上等です。
いてまいましょう(^o^)/。

記事あとで追記します、それを理由に過ごします。

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追記 (2011.07.14.16:46)
^^ 歴史探訪に時間かかりすぎですけれどね、こんなにめちゃくちゃな生き物いませんからね。
何にも思い浮かばないから、自分がどうして来たのかも思い出せない。。。フタして生きてるわけじゃないけれど、ビット幅が32だったち64だったりするのと同じでね、いっぺんに思い出して処理できる量には限度があるみたいです。
これだけの経験とかを役に立てるなら、いったいどんな方法を使うべきか今のところわかりません。
それでも明日の朝にはどこにいるか、夕方別れたら明日はもう会えないかもしれない。今こそ全部しておかないとホントの明日はやってきません。

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転載許可いただきましたので避難所のBlogから。
へへへ。みんな作りなし本当の顔しています。
じつはね、この子達をはじめ夕方から就寝前になると部屋からあぶれ、子供達がみんなロビーにたむろします。
その中で、わたしはみんなからため口で、まったく違和感なく空気よりスムーズな関係なんです。
これは子供に限らず大人もです。
避難所のスタッフ、特に連絡係になってくれていた方の尽力の賜物です。
本当にありがとう、中央から着たわたしを家族に迎え入れてくれたのはあなたです。
しかし、この子達がなぜわたしが初音をたくさん持って行っているのかは知らないままです。
こんどPSPで音楽聴く方法教える約束してるのが右下の小学生。そんな感じです^^。

続きを読む


2011-07-14 16:54  nice!(0)  コメント(4) 
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業務連絡 [404]

^^;、昨夜(今朝かも)相当ビックリし続けた人いたかも。わたしもビックリ、でもこうして書き込みもできているから平気です。
徐々に衰弱し、意識が混濁してきて色々いっぱい書いたのですよ、本人は忘れないようにと思いながら。だってこの被災支援の中で本当に色々な出来事ばかりがあり、それを全部書いて記録しておきたいのにできなくて。昨夜はその反省から?記録だけはしてたのですがいかんせんたくさんの人が見てる公開ページですからね。でもそのときの本当の自分なんだといま思う。
意識が混濁して体の調子も落ちる中、これでもいいかと思うようになって、そのまま堕ちたりもしてたのです。
自力で走って何とかできたけど、たくさんの人に電子的にもテル的にも救けてもらい、社長は遠いところ夜中に避難所までも探し回っていただきました。生命的に危ないし、自分でも仕方ないと諦める感覚のほうが強く充分自死だった。運転慣れが功を奏し自分で走って何とかできたのは偶然で、断片しか覚えがありません。
でも書き込んでいることはそれぞれそのままのことで、嫌がらせから避難所に急に行けなくなったことがどうしても、今でも、やっぱり滝涙の状況に変わりはありません。
行った事もない場所の会った事ない人のために24時間全開だった源は書き込まれている通りだし、どうしても許せない気持ちの出来事も。。。自分では無理かもしれない。。。

今朝芝生に倒れこみ(人工芝じゃなくって良かったよ(関係者笑))、一番最初に思ったのは阪神の震災のこと。
ずっと前に抽象的に書いたけど、わたしは明け方婚約者と就寝中で建物が倒壊し、婚約者は左手だけ出して下敷きになって亡くなった事、それがやっぱり今回被災した方々を何とかしようと思う原動力の一つだと改めて思いました。。。
左手はどんどん冷たくなって、即死だった彼女に早めに渡した常用リングはゆがんでとれなかったし、わたしも被災してお別れも正式にはできなかった。被災したわたし自身もだんだん衰弱して助け出された記憶はあいまいのままです。
いまこそ全額はたいてでも避難所の方々の復興を手伝おうとおもったのは自信の震災の時の困り方がわかっていたからだと思います。
ほかにも生きてていろいろあったけど、やっぱりどうしても受け入れられないこともある。
それは昨夜書き込んでいる通り、支援の量の大小ではなく、心が届いていたかどうかであって、かなりむちゃくちゃにもがんばったけどひとつも届いていなかったこと。そうかなぁと、本当にそうなのかなぁと今でも思う。
復興のお金儲けに目がくらむ被災者と、お金にいとめなく支援するわたしとは相容れないのかどうか。そこにダークな関わりが割り込んでいることがさらにいかにもな感じでね。それもありな状況下ではあるけれど。
たくさん頂く心配の連絡の中に『もうあの避難所のことは忘れて、404を待っているほかの避難所でがんばろう』ってのもいくつかあったんです。でもそうもいかない気がしてなりません。160人から少しずつ解消し今は140人、全員の心はすでに復興を果たしそれは町一番のことだと思います。なぜならそれぞれ集まって住む仮設住宅では、わたしの避難所卒業の方がみな飛びぬけて元気でふつうな考えで暮らしているから。それは大成功だとの励ましも頂いています。でもわたしはひとりだけ助けられなかった人がいる前記事の通りの状況に、今からでも救えないかと、それが眠気も起きないしおなかもすかず衰弱にいたる原因のように思えています。
時はやがて経過して、段階もどんどん進んで、最近は医療機関向け支援が主でした。
昨日は本吉の病院に扇風機を届け『これもいるけどまずはお医者さん連れてきて』と真顔で言われ(報道にある通りここにはお医者さんがなぜかいません)、次に行った気仙沼の港の病院では地震発生による津波の懸念から避難勧告が出て、トラックほったらかしで大急ぎで近くにいた高齢者を背負い高台に避難もしました。あの場合は日陰のある高台に避難しないと弱者には辛い状況下でした。
先ほども別納で頼んだ冷蔵庫が石巻市民病院(仮診療所)に着いたと連絡はいったばかりです。
なんかスゲーかっこよそうに見えるけど、舞鶴から900キロ離れた病院に直納支援なんて、恐ろしく想像を絶する誰にもわからない出来事でしかないんです。それでもそれが届いてよかったと迎え見送っていただく看護士や事務の方の気持ちに響いているならば、名前も告げずにいることに何のためらいもありません(ちなみに病院と言う正確から画像もなくってゴメンナサイ)。ずっと走っているあいだに思うのは、それが何の意味かもわからずひたすらに復興ケーキを作っている当人のことです。心のこもったものを提供できなければ意味ないし、心を込めてもその先がダークではやっぱり意味がない、ただそれだけです。
ひとり取りこぼしでも成功には至らないのが本当で、阪神のとき冷たくなってゆく手を取り続けた気持ちと一人残したいまが同じ心持ち、歳も経てどちらかと言うとあの時よりも今のほうが辛い気持ちです。
たくさんの人の復興を助けた代償にこの身が果てても仕方ないと最初から思ってはいたけれど、だからといってその勢いをまんましていたわけではありません。
家族なら深夜早朝に関わらずはせ参じ助けるの、当たり前に思っていただけです。でも心は届いていなかった、ただそれだけです。

63-52-32 を 50個

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CA3E0023.jpgCA3E00250001.jpg

56-40-28 を 150個

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できればスカイタンク1トンを数個


2011-07-11 15:48  nice!(0)  コメント(3) 

みんなに会いたい [三ツ星記念日]

心臓が痛くってなかなか走れない、社長には悪いけど〇〇の事態は自分で用意する必要なしかも^^;。

みんな、  漁師さんたちと一緒にメシ食ったことある?、

おととい(だったはず;)、お昼を避難所で食べて、わざわざ冬生(とうい:将来野球選手になるから覚えていて、野球衣料中心だったけど支援しました)パパ がお友達と来てくれたんです。笑顔でみんなすっげーいい人だよ。話しもおもしれーしそう言うのってわかるよね。日焼けして皮が剥けてたから日焼け止めとか 薬買っていこう。
CA3E1000.JPG
メニューは肉じゃがだった。
これがすごい話しがあって、女将が3杯もよそってくれて。食べるの大変だったんだけど、すごさの秘密が女将。
女将ってやっぱすごいよね、ハンドパワーなんだよ、
女将が持ってきてくれた肉じゃが、ハンドパワーですごい美味しい味なんです!、いやホンとなんだって。
夜遅く支援でもそれでも女将いつも挨拶してくれた。来れない時はフロントの電話で。いつもいつもあったかいお母さんだった。
深夜に着いちゃった支援回があって、社長と女将と三人でロビーでゆっくり話しをしました。会話内容は3人の秘密だよね(爆)。韓国がどうとか誰が見てるかわからないから書けないよ。
理想のご夫婦だった。
この方たちだから今があるって思った。
いい夜だったし、お二人のツーショットで見送っていただいたの、もしかしてスーパープレミアだよね。
その社長、とにかくあんまり働いちゃダメだからとわたしにはスペシャルに緩い。電話もながくて緩い、GPS付けとかないといけないと思うので、秋葉に行ったら探そう。
若旦那、と言うか番頭さんというかクーちゃんパパ。理路整然とすごい頭がよい、わたしが来ると仕事が増えるといけないから時々いない。でもこないだちょっ とだったけどゆっくり話した、頭よい冷静で正確、さすがクーちゃんのパパ。もっと早いSSDPCを探しておいてあげたい、
姉ちゃんはもっとクーちゃんのママ。やさしくて切れるクーちゃんの会話の源、いつも真実をつかみ見ている、復興用にめがね屋に行って新しいの用意してあげたい。たぶんそうだと思う。
いつも水を運んでいた甥っ子さんには電話でとくとくと1っトンタンクの必要性を説かれた。でも800Lが4つを持って帰ったら結構気に入っていた。最後にすれ違った日に手を上げてくれたのが一番の会話だった。避難所を支えたヒーローだった。
次はとばして、あれ、なに子さんだっけ。。。うたげでいつも踊るし、京都に行くと言うと2回行ったといってスナックですごいことになったことをゲラゲラ話 しているうちにわたしが出発する繰り返しだった。近所にプレハブで家を建てて、本当は一番自立した考えだったかも、でも3食昼寝付き続けている。いつも出 てきて見送ってくれるのも忘れない。でもやっぱ浜の人だと思うのはお歳関係なく目が良くて、遠くからでもわたしに最初に手を振るスーパーおばさん。靴買っ てよこす約束もういいのかな。
漁協友達のいるママさんにはとても世話になった。いつでも尊敬できるママでミサンガの成功の鍵を握っていると思う。お子さん達に復興市のママの雄姿見せてあげたかった。すげーかっこいいんだから!!。家族全員おそろいの服用意する作戦を密かにしてたのに実現していない。
きのうお父さんが調子悪くなった娘、おそらくお父さんの自慢の娘だよね。車の中からお父さんがチラッと見たとき、満面の笑顔で思いっきり手を振ってたの見逃していない。行くとやたらと出現するなぁ。。。シャネルのほうが好みかな。
ロールケーキスタッフはちょっといろいろだよね。たとえば復興市のテントの中でも、ま、そりゃいつものことなんだろうけど、わたしは一生ついてゆきます。。。いつも本物を見ている大切な二人。趣味のもの探してゆきたい。
避難所を卒業した方にも、実はこっそり支援を続けています。それは支援ではなく生還賞としてずっと続く尊敬のかたち、近所避難所の大将に32型プレゼントしたわたしの気持ち、特別に調達した薬たちとまったく同じ。
生活支援ではなく、仮設の方々に渡しているのは生還支援、これなら誰も文句は言えない!、わたしの本当の気持ち、
今までの人生には戻れない、ひとつの命で二つ目の人生のスタート、卓球でも仮設でも同じ思いっきり打ち込んで欲しい気持ちは変わらない。そうだ、実は全日 本バージョンの卓球試合服、たまたまお店にいた有名選手のお勧めだったこと、おそろいの練習服が当時はまだ非売品だったことまだ言ってない。毎日抱いて寝 る価値はある。。。
卓球少女ママ、どうかなわたしのメールに誠実に対応していただいていつも助かる。志津川の画像や最後の町の様子の画像。。。そういえばまだ娘さんがどの建 物から撮ったのか聞いていなかった;。汗拭きシートのオーダーでは『その隣の』『女性用』のレスがスゲー早かった。やっぱスポーツママなんだろうなと思っ た。実は靴が同デザインだった(はず)ことがわたしの最大の支援でした(笑)、必要数そろえるの一晩かかったことは内緒。

仮設に移ったら一番最初にして欲しいことがひとつだけある。全員にお願いしたいのは・・・あの日最初にお世話になった建物や移り歩いた施設に行って来てく ださい。そして冷静にお世話になった皆さんに会って、冷静に何をすべきか考えてください。関係者の方々は、みんなが来るのを本当は待っている、何も言い合 う必要はない、お互いに二つ目の人生を確認すればそれだけでいい。

登場していない人のほうが多いけど、そろそろ行かないと扇風機オーダーの病院は800キロ先12時間後着予定。

とばしたひとりはBlog読者だから勝手に読者サービス対象者、ご家族や知人やみんなの知らないあなたをわたしは知っているのかもしれない。悪口書かない 約束だから^^;、みんなの中にはわたしも入っています、こんな事態になって心苦しいです、ごめんなさい・・・と初めてわたしに謝ったことは内緒にしておきます。でもひとつだけ、理想のママさんに伝えたいことがある。この町の中で、あなただけが二つ目の人生を始めていない。勇気を出して。勇気を出して。みんながあなたの本当の笑顔を待っている。
できればこれを書ける人の忠告は真摯に受け取って欲しい。必要なのはこれを書けない権力や繋がりではない、あなたのいつも笑顔だ。
ここで日が暮れ始めてもまた明日は日が昇る、そのときに病院の前で扇風機を降ろしているか、対向車線へとハンドルを切るかはわたしだけの秘密。先代に会いたい、先代と毎晩飲んで毎朝漁に出て、いつもみんなを見守っていたい。
勝手に読者サービス対象者のあなたのために、これからもずっとみんなの暮らしを支えていたい。個人支援に限界はなかったよ。みなさん一人一人を信じている。


2011-07-09 18:40  nice!(0)  コメント(2) 

プロジェクトM3発展中 [プロジェクトB]

M3SP進行中 (2011.07.08.06:20)
被災地を出発したのが月曜日、未だ全部届けられていません。。。
途中避難所ではじめてのんびり過ごし皆さんにふつうに溶け込んで受け入れて頂いたこと、
扇風機が50台と大量だったこと、
避難所と言う甘えを辞め看板を降ろした自立のためにある真の避難所に遭遇して支援をしていたことなど
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が遅れの理由です。でもわたしが時間をかけていたのはその為だけではありません。
実は昨夜になって待望の看護士さん繋がりからの連絡を頂き夜間も扇風機を届けに走りました。日曜日の気仙沼私立病院への緊急支援の連鎖です。おそらく皆さんもなぜかタイムリーに同様の医療機関での扇風機不足のTV報道を見ていただいたと思います。
とにかくハエが多いので衛生上気を使う病院に扇風機がいきわたる様に願っていました。
現在もプロジェクトM3SPが進行中です。

被災世帯には自立支援として日赤を代表する仮設住宅向け家電6点セット(冷蔵庫、洗濯機、テレビなど)が申請により配られますが、既存住宅の借り上げ棟には5点セットでエアコンが付きません。借りた家ならもともと付いてるだろうと言う想定からです。
仮設住宅へと扇風機支援を依頼されていた地域に昨夕プロジェクトM3SPで行ったところ、扇風機を本当に必要としているのは仮設ではなく借り上げに入った方々だからと変更する旨とリストを渡されました。
ただ物資が欲しいとネダルもらい慣れの地域と違い、優先性や自分達の状況を冷静に考え、自立に真剣に取り組む姿勢に。。。やっと日本で活動している気がして来ました。
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2011-07-08 08:37  nice!(0)  コメント(0) 

プロジェクトM3進行中 [プロジェクトB]

もうずっと走りまわっていて、ご厚意で新車を貸して頂いたレンタカー屋さんゴメンナサイ、もう5000キロ以上走ってしましました。返す頃にはふつうの車になっちゃうと思いますm(_ _)m。

現在石川県内、海岸で朝を過ごしました。久々ゆっくりして…ずっとここに居たかった。。。

プロジェクトM3TVSPが折り返して避難所に向かっています。

時節柄どーしても画像も詳細もアップ出来なくてスミマセン。

世の中ではいま全く手に入らないモノ達、被災地のみんなの為に極めて大量に用意して頂きました。

こないだの日曜日の気仙沼病院へ扇風機15台即日調達は自分でも何かの縁に曳かれるような神がかりを感じていました。

でも今回は様々な場面でたくさんの方々が活躍して頂いた賜物にほかなりません。

電気業界で働く皆さんに心から、心の奥底から全霊でお礼申し上げます。



ほんとうに あ り が と う !!!
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被災地に皆さんの努力が伝わり届きますよう精一杯走ってきます。


2011-07-06 06:34  nice!(0)  コメント(9) 
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宮城@今造チームさん(競技終了) [プロジェクトB]

CA3E0108.jpg 
先ほど長沼に競技に来られている今造チームの皆さんに会うことが出来ました。
明日朝から決勝のところを夜間お時間頂き、皆さんからお土産まで頂いて恐縮しました。
被災地からは何も用意が調わず、とにかく全部流されて何もないと言うことのご理解を頂いた上で、競技者である皆さんには失礼を承知で食べ物、避難所製作のロールケーキをお渡ししました。
っか、クッキーとかで商売始めとけば良かったのにね。。。(爆)
明日朝8時半から男子決勝、45分から女子決勝、
\ΛΛ/ そうです!、男子4名全員上位進出です。
それをうかがってわたしは勝手に元気でましたよ。自分の事のように嬉しい。
ので、予定を変えて密かに応援に行きたいと思います(ニヤリ)v。

-----------------------------
競技終了 (2011.07.03.09:15)
先ほどシングル競技終了直後まだ汗もひかない中でお集まり頂き、握手までしていただきました。
手にこめて頂いた力がそのまま被災支援になるよう、今造チーム記念プロジェクトに取り組むことにしました。
新規プロジェクトのヒントを頂いた皆さんに詳細近々報告できると思います。
large.jpg
今治よりお越し頂きたくさんの力を被災地に与えて頂きました。代わって感謝したいと思います。
皆さんの支援はかっこよかったです^^/。


2011-07-02 21:32  nice!(0)  コメント(4) 
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