SSブログ

被災地歌津なう20 心に支援 [プロジェクトB]

風雨が強い歌津でしたが一番は直前まで30℃を越えていた状況から一気に15℃も低くなったことが特徴でした。
その状況で皆さんに本当の被災地を知ってもらうために、届いたメールの一部を掲載します。
----------------
>Åさん
今日みたいな日はヒーターがいいなぁ~と思いました。

寒くなるとあの日の事を思い出します。寒かった…私のツブヤキでした。すいません。雨ですよ。運転気をつけて下さい~

>Bさん
私はアルト車検とりました11月はぼろぼろステップワゴン今回だけ車検とります。
やっぱり7人のりないと。。。ペットの家だったし、このぼろぼろステップでかなり助かりました。
ペットは2ヶ月、私達一家は1週間寝ましたからね。
大事にしないとと思います寒くてコンビニでおでん買いました^^。

>Cさん
今日寒さ肌で感じて本当にあの被災した日を思い出して怖くなりましたTT。

猫抱いて雪降ってた1週間車中で寝て。
不安で不安で毎日夜なると猫見て泣いて泣いて、
父ちゃんに『そんなに泣いても どうする事も出来ないんだから、猫を外に逃がしてやるか?』って言われたけど。。。
餌だってひとりで獲った事ないし、何より寒さで死んでしまうから駄目!!って。。。
ずっと車中で飼い続けました。
避難所に入った時はストーブで沸かしたお湯を借り、湯タンポに入れ毎晩猫の毛布の下に置き寝かせました。

懐かしいと思う反面怖くて、辛い感じがします。

404さんから色々と沢山の物資頂きましたが、今日のは一番!!、体と傷ついた心が暖まる物資です。
見てるだけでホッとします。
このファンヒーター避難した時あったらどれだけ暖かかったかと。。。でも電気もなかったですからね。

私達より悲惨な体験した人いっぱいいるのに何言ってるんでしょうね。

自立の土台と心の傷に塗り薬を404さんからいっぱい頂き、改めて頑張って前に進む気力が出てきます。
トラウマに負けないように頑張るぞ~
-----------------
皆さんが思いもしない体験をたくさんの人がして、そして明らかにトラウマとなって心全体に浸着しているんです。
不安を少しでも解消するように、わたし達が出来ることを全部するようにしたいと思います。
阪神の時、1月17日早朝からのことを寒さでわたしも思い出す時あるんです。
わたしは、でも婚約者の左手の冷たいことばかり感触として残っています。
先に渡したリングとか人の遺骸の冷たさとかは想像を絶するものでした。氷より硬く冷たいですよ。


CA3E05130001.jpg
風雨が強い中でもえ、遠方より来て下さっているボランティアのみなさん。
『ねー、本当にありがたい。わたしら頑張らなきゃね、この台風の中なんだから、頑張らなきゃ、頑張らなきゃ』
と、わたしが揚げたTwitterを見た被災者の方から電話いただいたんです。
本当だったらこの方々に伝えなければいけないのだけれど、でも正直過酷な作業で気持ちの配慮にいたらないと思います。
コレは寒くなる直前、わたしが東京に撤収してしまった日に三陸町で最後に撮った画像です。
CA3E0490.jpg
こちらは炎天下、一つ一つ丁寧に拾って頂いた品々はガレキとは言えない大切な生活の記録たちです。
国道沿いのこの地でのボランティアの様子から、被災者はたくさんの心のチカラをもらっています。
作業としての工数ではなく、最も必要な心のケアに一番効果をあげています。本当にありがたい。

CA3E0515.jpg

-------------

CA3E051711.jpg
わたしもカッパ着込んで短時間にできるだけの支援をしました。
このの画像は宮城県内のとある仮設住宅団地にファンヒーターと飲料水を支援してるときの様子です。
仮設住宅は都合よい場所にあるとは限らない。
暮らすのに都合よい場所は津波で根こそぎ壊滅、もう住居を構えることが出来ません。
結果どんどん人が住み辛いとんでもない山の中とかにこつ然とあったりするケースのほうが多いです。
この仮設団地に行くために何回も切り返しながら進まなければいけないすごい山の上です。しかも帰りは同じ道をバックで戻らなければ行けないすごい山のてっぺんにあるんです。
ここはわたし以外支援に来た人はいません。ずっと飲料水を支援し続けていますし、そのほかの物資も運び込み続けています。そしてあろう事か、この仮設団地の中に8人で一部屋の世帯があるんです。規定された状況に反した配置がされています。それでも、『役場に電話してくれたんでしょ、404さんありがとう、でも頑張るからさこれでいいよ、また子供の水持ってきて』って。ずっと公開してこなかったけど、最短の商店のセブンまで1時間近くかかるここへの支援を打ち切るのかと思うと本当に辛い気持ちでした。時間がかかる場所なので結局深夜ということも多かったけど、崖から落ちることなくバックして本当に大変な支援だった。それにこの方々が2年間の期限で無事復興を果たすとはとても思えません。
CA3E05110001.jpg
仮の家ですからね、電気配線だってわたしでも作れそうな雑なものです。
政治的配慮ののろしポスターに仮設でピースの人たちが写っていますが、そんなわけない暮らしです。
被災地の中でも本当の意味でわかっていない辛い暮らしがある実態です。

それでもわたしにとってはやはり宮城に対する不振が上回っています。
続けてゆけるほどわたしは大人じゃないですね。結局当の本人達はだんまりですからね。
でも今日は東京での予定を全部キャンセルしてここにいます。
台風に備え、イオン様のご配慮頂き、万が一孤立にそなえて飲料水100ケースを深夜のうちに用意しました。
CA3E0521.jpg
そのほかに岩手の24時間スーパーに行って物資も備えました。
CA3E0520.jpg  CA3E03020001.jpg
本当に地味でね^^、とてもじゃないけど支援活動とかわたしには自慢する気になんてなれません。

CA3E05220001.jpg
食事だって見切り品だし、高速無料化が改正されてからは罹災証明の無いわたしは有料道をほとんど使用していません。
この区間500円分使わなければ、あの仮設団地に1ケース多く飲料水買って持って行けるとか、
こっちの のり弁当にすれば一本多く子供達にジュース渡してあげられるとか、そんなことの繰り返し。
このあたりを毎日支援しているのはわたし一人だけになっちゃったのだけれども、関心を持ちここへアクセスいただいたりする方々の代わりとして。
そして今日までの間に、宮城のためにありがとうとTシャツや特性手袋頂いたり、何度も食事に誘っていただいた方々の恩は、撤収までに少しでもここに返しておきたいと思っています。
いまからこそ、たくさんの支援が必要なのに逆行する宮城に対する気持ちに拍車がかかるばかりです。


2011-09-21 07:37  nice!(0)  コメント(2) 

nice! 0

コメント 2

youzi

暑い暑いと思っていましたが、急に涼しくなり
体が付いて行かないって感じですね。
被災地の方々は不自由な事がまだまだいっぱいのうえに
急に涼しくなったりで、体調を崩しませんように。
by youzi (2011-09-23 19:35) 

404

>youziさん
いつも訪問有難うございます。
被災地の場所にもよりますが、漁師町だった地域がとても多いです。
浜の人達は子供であっても強い方々ばかりです。
でも、夜には外に出ない。
寒さが怖い。
いまの町を見れない。
たくさんの気持ちの不整合がこの先ずっと続くことになりました。
わたし達は少しでも早くみんなを安心させたくて、雨風関係なく復興のために活動しています。
気持ちが整わなければ復興は成功しないので、深夜早朝でもメールや携帯を受付け起きています。
中学生からでも、車の運転がままならなくなったお年寄りでもたくさん連絡が来ます。
見識が平気な対応が出来るように気を付けています。
by 404 (2011-09-25 08:49) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証: 下の画像に表示されている文字を入力してください。

 

このブログの更新情報が届きます

すでにブログをお持ちの方は[こちら]


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。