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業務連絡 [404]

^^;、昨夜(今朝かも)相当ビックリし続けた人いたかも。わたしもビックリ、でもこうして書き込みもできているから平気です。
徐々に衰弱し、意識が混濁してきて色々いっぱい書いたのですよ、本人は忘れないようにと思いながら。だってこの被災支援の中で本当に色々な出来事ばかりがあり、それを全部書いて記録しておきたいのにできなくて。昨夜はその反省から?記録だけはしてたのですがいかんせんたくさんの人が見てる公開ページですからね。でもそのときの本当の自分なんだといま思う。
意識が混濁して体の調子も落ちる中、これでもいいかと思うようになって、そのまま堕ちたりもしてたのです。
自力で走って何とかできたけど、たくさんの人に電子的にもテル的にも救けてもらい、社長は遠いところ夜中に避難所までも探し回っていただきました。生命的に危ないし、自分でも仕方ないと諦める感覚のほうが強く充分自死だった。運転慣れが功を奏し自分で走って何とかできたのは偶然で、断片しか覚えがありません。
でも書き込んでいることはそれぞれそのままのことで、嫌がらせから避難所に急に行けなくなったことがどうしても、今でも、やっぱり滝涙の状況に変わりはありません。
行った事もない場所の会った事ない人のために24時間全開だった源は書き込まれている通りだし、どうしても許せない気持ちの出来事も。。。自分では無理かもしれない。。。

今朝芝生に倒れこみ(人工芝じゃなくって良かったよ(関係者笑))、一番最初に思ったのは阪神の震災のこと。
ずっと前に抽象的に書いたけど、わたしは明け方婚約者と就寝中で建物が倒壊し、婚約者は左手だけ出して下敷きになって亡くなった事、それがやっぱり今回被災した方々を何とかしようと思う原動力の一つだと改めて思いました。。。
左手はどんどん冷たくなって、即死だった彼女に早めに渡した常用リングはゆがんでとれなかったし、わたしも被災してお別れも正式にはできなかった。被災したわたし自身もだんだん衰弱して助け出された記憶はあいまいのままです。
いまこそ全額はたいてでも避難所の方々の復興を手伝おうとおもったのは自信の震災の時の困り方がわかっていたからだと思います。
ほかにも生きてていろいろあったけど、やっぱりどうしても受け入れられないこともある。
それは昨夜書き込んでいる通り、支援の量の大小ではなく、心が届いていたかどうかであって、かなりむちゃくちゃにもがんばったけどひとつも届いていなかったこと。そうかなぁと、本当にそうなのかなぁと今でも思う。
復興のお金儲けに目がくらむ被災者と、お金にいとめなく支援するわたしとは相容れないのかどうか。そこにダークな関わりが割り込んでいることがさらにいかにもな感じでね。それもありな状況下ではあるけれど。
たくさん頂く心配の連絡の中に『もうあの避難所のことは忘れて、404を待っているほかの避難所でがんばろう』ってのもいくつかあったんです。でもそうもいかない気がしてなりません。160人から少しずつ解消し今は140人、全員の心はすでに復興を果たしそれは町一番のことだと思います。なぜならそれぞれ集まって住む仮設住宅では、わたしの避難所卒業の方がみな飛びぬけて元気でふつうな考えで暮らしているから。それは大成功だとの励ましも頂いています。でもわたしはひとりだけ助けられなかった人がいる前記事の通りの状況に、今からでも救えないかと、それが眠気も起きないしおなかもすかず衰弱にいたる原因のように思えています。
時はやがて経過して、段階もどんどん進んで、最近は医療機関向け支援が主でした。
昨日は本吉の病院に扇風機を届け『これもいるけどまずはお医者さん連れてきて』と真顔で言われ(報道にある通りここにはお医者さんがなぜかいません)、次に行った気仙沼の港の病院では地震発生による津波の懸念から避難勧告が出て、トラックほったらかしで大急ぎで近くにいた高齢者を背負い高台に避難もしました。あの場合は日陰のある高台に避難しないと弱者には辛い状況下でした。
先ほども別納で頼んだ冷蔵庫が石巻市民病院(仮診療所)に着いたと連絡はいったばかりです。
なんかスゲーかっこよそうに見えるけど、舞鶴から900キロ離れた病院に直納支援なんて、恐ろしく想像を絶する誰にもわからない出来事でしかないんです。それでもそれが届いてよかったと迎え見送っていただく看護士や事務の方の気持ちに響いているならば、名前も告げずにいることに何のためらいもありません(ちなみに病院と言う正確から画像もなくってゴメンナサイ)。ずっと走っているあいだに思うのは、それが何の意味かもわからずひたすらに復興ケーキを作っている当人のことです。心のこもったものを提供できなければ意味ないし、心を込めてもその先がダークではやっぱり意味がない、ただそれだけです。
ひとり取りこぼしでも成功には至らないのが本当で、阪神のとき冷たくなってゆく手を取り続けた気持ちと一人残したいまが同じ心持ち、歳も経てどちらかと言うとあの時よりも今のほうが辛い気持ちです。
たくさんの人の復興を助けた代償にこの身が果てても仕方ないと最初から思ってはいたけれど、だからといってその勢いをまんましていたわけではありません。
家族なら深夜早朝に関わらずはせ参じ助けるの、当たり前に思っていただけです。でも心は届いていなかった、ただそれだけです。

63-52-32 を 50個

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CA3E0023.jpgCA3E00250001.jpg

56-40-28 を 150個

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できればスカイタンク1トンを数個


2011-07-11 15:48  nice!(0)  コメント(3) 

被災漁協のホント [404]

もしもわたしが本当のことを書いたなら、皆さんが信じるかどうか。
そしてもうわたしがdogwoodにも行けない事になるのだろうと思うと。。。でも被災したペット達の目をちゃんと見ることが出来る人でありつづけられたらいいと思います。
実は2漕式洗濯機を漁協の幹部に騙し取られかけたのです、みんな信じないかもね。
それでソニックマイヅルさんには『当初の予定と違う場所に配るかも』と趣旨を説明したのです。
わたしが支援している避難所があるのは漁師町だったところです。
漁協が全ての実権を握り、被災直後も暖房無く寒かった大部屋で33人は身を寄せ合い、個室の漁協幹部の部屋ではストーブがたかれ続けたのを皮切りに、最初に支給された靴も泥付きの自分達のを大部屋に渡し、当人達は新品に履き替えたりなど、切り無く差別が続いて今に至ります。
支援物資が届かず憔悴したわたしの避難所のスタッフ達の話しを以前書きましたが、届いていたのは幹部関係者宅で避難所にはストップがかかっていたのです。だから届かないの当たり前。
わたし先日町長と数分会談をして新たにいろいろ聞いたことがありました。
4000世帯と1500世帯の2つの地域に同数の支援物資を振り出した。1500世帯の地域は4000世帯の地域の3倍近い物資だったのに、届かないという調査結果が千数百せたいあった。調べて〇×さんの家にいっぱいあった(さすがに〇×さんにしておきます^^/)。
それでわたしが幹部〇×さんのところに行ってみたらあふれて納まらない支援物資が庭先まであった(爆)。
そしてもっとすごいのは、その幹部〇×家の庭ではちょうどボランティア服着た人たちが重機で片付けをしていたのですが、よくみたら偽ボランティアで、ボランティアセンターに戻らずそのまま某地区の土建作業所に帰って行きました。
もちろん全部画像あり、コメントも録音ありです。そしてこの北朝鮮漁協は日本の被災地に実在します。

今回わたしが漁業復興を手伝いたいと漁協に話しを持ちかけたら、幹部が各浜を案内しながら一緒に配りますと言うことで段取りは出来ていました。15台ぐらい要りますと逆にリクエストされたので、25台ぐらいいいですよと伝えると、数の修正が必要だったらしくわたしへの返事に1日かかりました。
ここにながく関係してきたわたしはたくさんの方にいろいろ意見を求めたところ、『やつらに渡すと関係者の家に届いちゃうだけでみんなで使わないよ』と言う真実を複数返答いただいたのです。実際に先んじて浜の様子をいくつか見に行ったら、電気の来ていない浜に洗濯機を設置するという状態を確認しました。さらにもらう準備をしていた方から直接証言も頂きました(笑)。

そんな漁協に2漕式洗濯機渡せないよね、今だって1000キロ近く離れた場所から自分で被災地に運んでいて、しかも金額だってねえ。
ソニックマイヅルさんの信頼を大切に、ここに漁協の本当の話しを書きました。
ほかの地域でも様々な立場の方の横行が報告されてわたし自身も現実を知っています。
『何も無くなった所に物資が降って来たら、誰だって自分だけのものにしたくはなるかもよ』と、わたしは被害を訴える方々にいまでも言い続けています。
そんなわたしを現地のたくさんの方がやつらに巻き込まれていないか心配だといってくれているのです。それだけ深刻な事態です。
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大丈夫です。2漕式洗濯機はもっと民主的な地域を探し出して手渡すことになりましたから。
今もなお海の中にいるたくさんの方々が不正をちゃんと見ていてくれると思っています。そして許さず海の中へと漁協を引きずりこんでわたし達を助けてくれると信じています。そしてそんな彼らこそこの2漕式洗濯機をもらうにふさわしいとも思っています。ソニックマイヅルさんゴメンナサイ。残った何台かは漁協幹部の前で片付け済んだ漁港に投げ入れることにしています。どうせせこい奴らなので引き揚げて使うと思いますけれどね。
一番こっけいなのは、洗濯機を自分で買うことすら出来ないのに群れて幹部がいることです。海辺では全自動洗濯機はNG、基本2漕式洗濯機が根強い人気です。そしてわたしが用意した30台も被災地が復興を果たすまで生活を支える重要アイテムとして大活躍してくれるはずなんです。

漁協関係者にもたくさんの子供達がいます。
海に生きる男なら、浜の女なら、今からでも改心して後世に残せる港環境に改めるべきだと思います。

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ソニックマイヅルさんに紹介していただいた昼食場所へと向かう途中、穏やかで美しい海岸が続きました。
わたしが支援している地域もこんなふうに元に戻ったらと、泣けて泣けてね、運転できなくなってしまったんです。
腐った漁協に耐えて暮らす人たち、わたしは本当に助けられるかな。


2011-06-30 03:26  nice!(0)  コメント(2) 

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