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支援の話し(追記)

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今日も届いているメールの中から紹介します。

>404さんは本当に支援やめたのですか?
あの仙台の親子、小泉の水が飲めない人達、気仙沼の山奥の人達はこれからどうしたらいいのですか?
私も支援してもらってる人は404さんだけです。いつかは自立しないといけませんがもう少しだけ私達被災者の為に頑張ってもらえないですか?
私も主婦だけを脱しこれから仕事したいと思います。みんなが普通に生活できるまででもいいです。
私達と共に頑張ってもらえませんか?
これは私の心からのお願いと気持ちです。
多分これ以上にみんな泣いていると思います(T_T)


―――――
残った約束分が最後だと思っています。
画像は今日探している冬用の敷物です。
やって良いことと悪いこと、言って良いことと悪いこと。
自分の都合だけで謝罪も出来ない人達に支援しようがありません。
気持ちを伴って届けられないのなら、続けて行くことは出来ません。
悪は悪、今だからこそしつけ、けじめの時です。なにもかも白紙なのだから。
それを出来ない、警告を受け取れないのだから結論は実行です。
例えば時間をおくとか、そんな事は出来ません。被災の進行は待ったなし、その感覚がないことそのものが被災最前線であるはずの団体の一番の問題です。
支援をだいぶしましたが、めんどくさくなったら厄介払い、社会がそれを許さないことを思い知った時には手遅れです。
いままでもそうしてたくさんのトラブルを自分本位で都合よく解釈し、たくさんのひとを踏みつけて偽善してきたと言わざるをえません。
地域性ということでは世界は許さない、本当の被災の怖さをわかっているのは結局阪神経験者だけになるのかもしれません。

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追記(2011.10.01.11:00)
どんどん支援を願う連絡がきていて、こうしてWebしてる場合じゃないんだろうけれど。。。 。。。
たとえば支援してゆく中でどうだこうだと、たくさん発信しなければこの中のことは全く伝わらない地元マスコミのやる気無さ。
どんなことも隠密にしようとする行政のやる気無さ。
なんにつけても元気が感じられないのは、この被災状況で当たり前なんですよね。
ところが、お祭りやってみますから、みんなで一緒に移転するように様々な活動してますからという場所が一箇所だけあります。時々わたしが記事にしていたその場所から最後の支援の日に連絡が来て、水が飲めないから持ってきてくださいとたのまれたのです。
大急ぎで出来るだけ、つめるだけを持って行ったその先で待っていたのは仮設の子供達でした。そしてつられて全世帯の全員が出てきて支援物資運びをしたんです。キーワードが子供だとかなんだとか理屈はいろいろ考え付くけれど、一番最初に思ったのは先日聞いたこの方々の細かい状況でした。
まだ自衛隊が到着しない中で道路を何とかしようと重機を使っている方々から『みんなでまた一緒に住もう、集団移転すんべ』と声が上がったことがあったそうです。
??、わたしには最初のこの元気がなければ色々前向きなことが実現しないんだと思いました。
とにかく道を何とかしようと、グシャグシャになったトラックや重機から燃料を抜き取っては使える重機を動かしがれきを注意深くどかして道を作り続けたそうです。そのうち2日目に様態が悪化した小学生が出てみんなで担いで宛てなく出発するか支援を待つかとなったこと。どこがどうなっているのか実は連絡手段も情報手段も無く誰も知らないまま何百人かがそこでずっと耐えていたんです。
幸運だったのは役所機能以外の全てが丘の上にあったこと。そして自家発電の老人施設のボイラーが稼動していたこと。限られたスペースでもそこにとりあえずお子さんも含めて弱者が身を寄せて一晩目をを過ごせたこと。
この状況とわたしが時々伝えている一部孤立した歌津の状況とは正反対だと思います。
それぞれに細かく支援をしたいと思っています。気持ちが宮城に向かない現実とそれとが同じ次元なのか、腹立たしい感覚とのギャップはいつ正常になるのか、それでも被災の進行は刻一刻と進んでいて待ったがありません。。。


2011-09-30 18:09  nice!(0)  コメント(0) 
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