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支援の話し(追記)

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今日も届いているメールの中から紹介します。

>404さんは本当に支援やめたのですか?
あの仙台の親子、小泉の水が飲めない人達、気仙沼の山奥の人達はこれからどうしたらいいのですか?
私も支援してもらってる人は404さんだけです。いつかは自立しないといけませんがもう少しだけ私達被災者の為に頑張ってもらえないですか?
私も主婦だけを脱しこれから仕事したいと思います。みんなが普通に生活できるまででもいいです。
私達と共に頑張ってもらえませんか?
これは私の心からのお願いと気持ちです。
多分これ以上にみんな泣いていると思います(T_T)


―――――
残った約束分が最後だと思っています。
画像は今日探している冬用の敷物です。
やって良いことと悪いこと、言って良いことと悪いこと。
自分の都合だけで謝罪も出来ない人達に支援しようがありません。
気持ちを伴って届けられないのなら、続けて行くことは出来ません。
悪は悪、今だからこそしつけ、けじめの時です。なにもかも白紙なのだから。
それを出来ない、警告を受け取れないのだから結論は実行です。
例えば時間をおくとか、そんな事は出来ません。被災の進行は待ったなし、その感覚がないことそのものが被災最前線であるはずの団体の一番の問題です。
支援をだいぶしましたが、めんどくさくなったら厄介払い、社会がそれを許さないことを思い知った時には手遅れです。
いままでもそうしてたくさんのトラブルを自分本位で都合よく解釈し、たくさんのひとを踏みつけて偽善してきたと言わざるをえません。
地域性ということでは世界は許さない、本当の被災の怖さをわかっているのは結局阪神経験者だけになるのかもしれません。

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追記(2011.10.01.11:00)
どんどん支援を願う連絡がきていて、こうしてWebしてる場合じゃないんだろうけれど。。。 。。。
たとえば支援してゆく中でどうだこうだと、たくさん発信しなければこの中のことは全く伝わらない地元マスコミのやる気無さ。
どんなことも隠密にしようとする行政のやる気無さ。
なんにつけても元気が感じられないのは、この被災状況で当たり前なんですよね。
ところが、お祭りやってみますから、みんなで一緒に移転するように様々な活動してますからという場所が一箇所だけあります。時々わたしが記事にしていたその場所から最後の支援の日に連絡が来て、水が飲めないから持ってきてくださいとたのまれたのです。
大急ぎで出来るだけ、つめるだけを持って行ったその先で待っていたのは仮設の子供達でした。そしてつられて全世帯の全員が出てきて支援物資運びをしたんです。キーワードが子供だとかなんだとか理屈はいろいろ考え付くけれど、一番最初に思ったのは先日聞いたこの方々の細かい状況でした。
まだ自衛隊が到着しない中で道路を何とかしようと重機を使っている方々から『みんなでまた一緒に住もう、集団移転すんべ』と声が上がったことがあったそうです。
??、わたしには最初のこの元気がなければ色々前向きなことが実現しないんだと思いました。
とにかく道を何とかしようと、グシャグシャになったトラックや重機から燃料を抜き取っては使える重機を動かしがれきを注意深くどかして道を作り続けたそうです。そのうち2日目に様態が悪化した小学生が出てみんなで担いで宛てなく出発するか支援を待つかとなったこと。どこがどうなっているのか実は連絡手段も情報手段も無く誰も知らないまま何百人かがそこでずっと耐えていたんです。
幸運だったのは役所機能以外の全てが丘の上にあったこと。そして自家発電の老人施設のボイラーが稼動していたこと。限られたスペースでもそこにとりあえずお子さんも含めて弱者が身を寄せて一晩目をを過ごせたこと。
この状況とわたしが時々伝えている一部孤立した歌津の状況とは正反対だと思います。
それぞれに細かく支援をしたいと思っています。気持ちが宮城に向かない現実とそれとが同じ次元なのか、腹立たしい感覚とのギャップはいつ正常になるのか、それでも被災の進行は刻一刻と進んでいて待ったがありません。。。


2011-09-30 18:09  nice!(0)  コメント(0) 
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被災地歌津 なうなう [プロジェクトB]

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以前にも取り上げたことがある小さくなっちゃったガソリンスタンド。
ちゃんと危険物や何かの法令全て認可がそろったうえで営業中です。

ただし、事務所や建屋はナシ。
ガレキの中から探した机と椅子で雨の日はカッパを着てお客さんを待っています(よく見ないとわかりませんが)。
地域性として利用するお客さんの顔ぶれは同じ、まして歌津半島の先にある小さなスタンドだから。
結果、朝早くからガレキ撤去などの復興作業の現場の重機や車両に給油配達をして食いつないでいます。
大なり小なりの企業支援を唯一わたしだけがしています。
仮設中心の支援は週末ごとなどありますが、炊き出しなどの支援方法ではあまり効果が出なくなっています。
何がいけないかというと、世帯ごとに活動が再開する中ではやはり町全部が元気にならないとうまくゆかないからです。
当初から続けていた企業支援数社、結構効果が出てきています。
たとえば、ガソリンスタンド数社への支援ではこんな感じです。
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すっかり流されてしまった世帯にドバドバとポリタンクを配っています。まさかのトラック一台分、自分でもすごい量に思います(ちょっと反省)。でもこの数が必要なんです。
厳密にはさらに灯油を買うお金も微妙に出しづらい家計です。。。
というわけで、中身入ったのを各スタンドから仮設住宅や在宅でも困っている方に大量支援しています。
そのスタンドと被災世帯の取引の強化など、町全体の経済復興の一つのステップに思っています。
そして最初の画像のスタンドには、明日小さな事務所を支援します。
本当は本格的なコンテナハウスを用意すると申し入れしたのですが、『出来れば小さな物置でいいんです、その分ほかの方に支援してください』と言うことだったので。海っぺりのすごい場所にあるのでちゃんとしたの建ててあげたかったのですが、ほかの方にもという気持ち、母を流されたわたしにも同じ被災者としてよくわかるんです。ほかの方の支援にという気持ちが大きくなってわたしの支援が成立していましたから、このスタンドの意見と全く同じなんです。
逆に被災してない擬似被災の人は始末に終えない横暴をすることになっているという実情があります。
わたしは今月で支援を止めることを被災者の方に次々伝えています。
それは言いたい放題、やりたい放題、とくにピンハネNPOのある宮城に大きな疑問を感じているからです。
擬似被災の不誠実にたいして被災者が代わりに謝ったり不遇を受け止めたりしています。

出来れば自分達の間違いに気付いてやり直して欲しいと思います。
ミサンガの内職やホタテキャンドルも歌津では悪質で、内職代500円に対して売価は千数百円、たくさん売れるようにプロモしているせいだと思いたいですが、それすらも本当に必要でしょうか??。プロモ費がかかるボランティアってないよね!。
なにしろ隣の気仙沼では、もっと簡素なミサンガが同じ内職代500円で売価は525円、復興を支援したいなら本来この気仙沼方式が正しいわけです。TVに出たりCMしたりそのたびにお金がかさむなんて事が世に知れたら、TV局は当然処分対象です。
何がもっといけないかというと、CM見るたびにみんなでTVから顔を背ける事実です。
CMには地域で悪名な人がたくさん出ているし、まとめ役は当然のように内職手数料を獲っている擬似被災者だからです。
復興支援する目的の活動が自分の懐を肥やす状況に。。。ニヤリ、当然公安の手入れがあるでしょうね(笑)。
もう逃げられないよ藤〇さん。ということかな、わたしならすぐ逃げるけれどね。
手入れがあった後でマスコミなどのツナガリも当然取沙汰されるしね、被災地の大掃除になるかもね。やさしさから警告ぐらいは先にしておいてもいいですよね。ネット乞食で儲けておとといも4トン車で大量に個人支援受け取っていたけどそれをみんなに分けることもしないし、擬似被災の姿は順次紙面上で土建国会議員までもが公開されると思います。
わたしはそんな宮城に支援するのは間違いに思うようになりました。充分自分達でまかなえるだろうと。

それで契約より早くトラックも帰す事にしました。

支援打ち切りの話しをずっとしてまわっています。勿論理由もそれぞれの団体名や実名入りで、そうでなければみんなが納得しないから。関係した議員は落選するだろうし団体はもう二度とこの地を踏めないでしょう。
このあたりの地域性として悪口などに対して口が堅い傾向があり、それをわたし自身が逆手にとったイテマエ作戦かもしれないし(笑)、さてそれはどおかなと言いたくなるほどこの辺りでは深刻な被災いじめがあるのを多くの方に認識して欲しくて記事化しました。記事中の各部は捜査協力上充分に表現できないことだったりしたらゴメンナサイ。
ただし、改心したり謝ったりするなら考えてもよい状況です。
みんな同じく苦労をしてゆく仲なのだから、本当に必要なことは議論ではなく行動です。
もの凄い数の支援打ち切りの切実な反響に、その内容をそのまま擬似被災の仙台とかにも見せてあげたい気持ちです。
そんな内圧にも勝たなければ復興がなさないなんて、みなさんがどう思うのか、実際のところは民意が反映できているか多くの方に意見を聞きたい気持ちです。
反響への対応におわれて、実は早朝にお風呂に入ろうとやってきた温泉の駐車場についたまま、携帯が忙しくてもう真っ暗なのにまだ目的の風呂に入っていなーい(爆涙)。


2011-09-28 17:53  nice!(0)  コメント(30) 

被災地仙台市 暖房器具 [プロジェクトB]

いつも歌津中心にアップしていましたが、ほぼ同じだけの支援をほかの地域にもしています。
あまり注目されていませんが仙台市でも流失全損家屋があり、わたしが支援している数世帯はかなり大変な状況です。
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ふつうに街中、国道4号線に沿った栄えた地域です。
その中に 仙台市の この仮設住宅団地があります。
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仙台に住む多くの方が、その暮らしをほとんど知らないと思います。
それはわたしが歌津などで紹介している仮設住宅の暮らしと同じです。
小さな南三陸町でも大きな政令指定都市であっても不遇に代わりはなく。。。
よく仙台の方々が三陸に行くときに被災地に行くと表現していますがそれは大間違い。自分達も被災地に住んでいるしだからこその罹災証明なんですから。そしてたとえば過去記事のわたし支援の仮設団地より支援物資が少ない状況が、そとの物の置かれ方でわかると思います。
遠くにわざわざ支援に回らなくっても大丈夫、仙台の皆さんがわたしがしてるような支援を自分達の街ですることがすぐに出来るんですよ。そしてふつうに暮らすという事と仮設暮らしとの大きな差を自分達で考え、そして行動にすることも出来るんです。都合悪いことに目をそむけるのはこのご時世 悪 以外何者でもありません。自分達の本当の姿をちゃんと見て欲しい限りです。

この地域の中のとある借り上げ住宅にも支援世帯があります。
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たくさん並ぶ高層住宅に住んでいるお子さん2人の4人世帯です。
仙台市内の避難所での暮らしから脱して仕事も子供達の学校・保育園もここから始まるというときに、いざ住もうと着の身着のままでここへ来てみたら室内はもぬけの殻。仙台市からはただの部屋しかあてがわれなかったんです。
全て流失して着ている物だけしか持ち合わせていない状況に、それはただただ愕然とするほかに方法がない光景でした。
冷蔵庫などの赤十字家電セットはなんとかもらいましたが、避難所閉鎖で戻ることも出来ないご両親の気持ちが仙台の皆さんに本当にわかっているか、わたしは時々疑問に思っていました。電化製品があったって、それでどうしろと言うのか。
連絡頂いてお箸その他布団まで全部支援しました。家族4人分のそれは乗用車一台では積めない量でした。単純に考えて家族4人の引越しと同じ事を全く新規にするのですから。。。
どうしてこんな事態を市民の皆さんも、そして地元マスコミも放っておくのかなと憤りを感じています。

同じ並びのこの貨物センターに届いた暖房器をその足ですぐこの世帯に届けました。
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コレに先立ち石油ファンヒーターを手渡しした際、ご家族からどれほどの歓声、歓迎を受けたかちょっと上手に表現できないほどの出来事でした。力強く両手で握手され本当にありがとうと何度も何度も言われ、そしてお互いに思いっきり泣く状況です。家族全員がこんなにも陥れられる必要はないはずです。

電機メーカーのみなさんお待たせしました。発売前の新製品ここで活躍しています。
おりしも台風時期で遅延の続く中、最優先の発送到着に協力いただいた関係者の皆さんこそがこの世帯にとってのヒーローヒロインです。到着当日から使っていただいています。もう寒い思いはしたくないというたくさんの被災世帯の方々に、皆さんお一人一人の誠意が支援として勇気をくれました。ありがとうございました。
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2011-09-26 11:23  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう21 [プロジェクトB]

台風からあけて結構被害ありです。
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仮設住宅の暴風柵が1メートル以上移動した果てに車に倒れ掛かって半損ありの図です。
でもコレが無かったら、一番海側の列の住宅は暴風で過分玄関付近全部飛んでましたよね、だって柵でコレだから。

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こっちは土砂崩れで通行止めになってしまったところ。
今朝は大急ぎの復旧が間に合って片付いたけど、ダンプ数台分の土砂が運び出されました。

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だいたい当日通過前はこんな感じですでにダメになってるところが多くありましたから。
志津川も雨降るたびにこんな感じでトラック以外は通行不可。
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歌津半島の仮道路は余裕で流出開始中でした。このあとわたしは砂利に刺さってしまいショベルカーなど津波でも集落に残った残留機材総出演で1時間以上かけて脱出する大騒ぎになりました(TT)。
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その脇の海岸では10メートル以上の大波、瓦礫の山より高いですからね、すごいことになってましたけども。。。
いままではどうしてたのとみんなに訊くと、津波来る前は家でじっとしてたらしくって、意外と仮設の風雨トラブルにパニクルこととなったみたいなんです。TVでもずいぶんやっていたけれど、換気扇の丸のままドバドバ台所に雨が来るし、風に押されて玄関ドアが開かないし、大変な一日でした。それなのにみんながわたしに『どこにいるの?』、『ほっといていいから逃げれ』とかどんどん連絡いただいてました。
コレだけの状況でオヤっと気付いた人いたと思いますが、周りの行政区では避難とか積極的にしていたのに、南三陸町は事実上自主避難。歌中の体育館にだんだん人が集まったけど、先生方の判断で開放して一晩過ごしたというのが本当です。なにやってもなんだかなーと思う状況なんですよね。

台風の中で届かないかと思われた暖房器具、新製品蔵だし全部買い取ったぶんが最優先で到着しました。
支援品だということで関係者の方々があの交通大混乱の中で1日かからず運送してくれました。
感謝の限り。本当にありがとうございます。
その勢いのまま、その日の夕方には支援配布してすでに使用していただいています。
新製品でまだ世に出ていないので使用中の画像ありません。でも支援世帯から次々画像もらっていて、いかにうれしかったか、役に立ったか、電機メーカー、運送関係者の皆さん本当に本当にありがとう。


2011-09-23 09:47  nice!(0)  コメント(7) 

被災地歌津なう20 心に支援 [プロジェクトB]

風雨が強い歌津でしたが一番は直前まで30℃を越えていた状況から一気に15℃も低くなったことが特徴でした。
その状況で皆さんに本当の被災地を知ってもらうために、届いたメールの一部を掲載します。
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>Åさん
今日みたいな日はヒーターがいいなぁ~と思いました。

寒くなるとあの日の事を思い出します。寒かった…私のツブヤキでした。すいません。雨ですよ。運転気をつけて下さい~

>Bさん
私はアルト車検とりました11月はぼろぼろステップワゴン今回だけ車検とります。
やっぱり7人のりないと。。。ペットの家だったし、このぼろぼろステップでかなり助かりました。
ペットは2ヶ月、私達一家は1週間寝ましたからね。
大事にしないとと思います寒くてコンビニでおでん買いました^^。

>Cさん
今日寒さ肌で感じて本当にあの被災した日を思い出して怖くなりましたTT。

猫抱いて雪降ってた1週間車中で寝て。
不安で不安で毎日夜なると猫見て泣いて泣いて、
父ちゃんに『そんなに泣いても どうする事も出来ないんだから、猫を外に逃がしてやるか?』って言われたけど。。。
餌だってひとりで獲った事ないし、何より寒さで死んでしまうから駄目!!って。。。
ずっと車中で飼い続けました。
避難所に入った時はストーブで沸かしたお湯を借り、湯タンポに入れ毎晩猫の毛布の下に置き寝かせました。

懐かしいと思う反面怖くて、辛い感じがします。

404さんから色々と沢山の物資頂きましたが、今日のは一番!!、体と傷ついた心が暖まる物資です。
見てるだけでホッとします。
このファンヒーター避難した時あったらどれだけ暖かかったかと。。。でも電気もなかったですからね。

私達より悲惨な体験した人いっぱいいるのに何言ってるんでしょうね。

自立の土台と心の傷に塗り薬を404さんからいっぱい頂き、改めて頑張って前に進む気力が出てきます。
トラウマに負けないように頑張るぞ~
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皆さんが思いもしない体験をたくさんの人がして、そして明らかにトラウマとなって心全体に浸着しているんです。
不安を少しでも解消するように、わたし達が出来ることを全部するようにしたいと思います。
阪神の時、1月17日早朝からのことを寒さでわたしも思い出す時あるんです。
わたしは、でも婚約者の左手の冷たいことばかり感触として残っています。
先に渡したリングとか人の遺骸の冷たさとかは想像を絶するものでした。氷より硬く冷たいですよ。


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風雨が強い中でもえ、遠方より来て下さっているボランティアのみなさん。
『ねー、本当にありがたい。わたしら頑張らなきゃね、この台風の中なんだから、頑張らなきゃ、頑張らなきゃ』
と、わたしが揚げたTwitterを見た被災者の方から電話いただいたんです。
本当だったらこの方々に伝えなければいけないのだけれど、でも正直過酷な作業で気持ちの配慮にいたらないと思います。
コレは寒くなる直前、わたしが東京に撤収してしまった日に三陸町で最後に撮った画像です。
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こちらは炎天下、一つ一つ丁寧に拾って頂いた品々はガレキとは言えない大切な生活の記録たちです。
国道沿いのこの地でのボランティアの様子から、被災者はたくさんの心のチカラをもらっています。
作業としての工数ではなく、最も必要な心のケアに一番効果をあげています。本当にありがたい。

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わたしもカッパ着込んで短時間にできるだけの支援をしました。
このの画像は宮城県内のとある仮設住宅団地にファンヒーターと飲料水を支援してるときの様子です。
仮設住宅は都合よい場所にあるとは限らない。
暮らすのに都合よい場所は津波で根こそぎ壊滅、もう住居を構えることが出来ません。
結果どんどん人が住み辛いとんでもない山の中とかにこつ然とあったりするケースのほうが多いです。
この仮設団地に行くために何回も切り返しながら進まなければいけないすごい山の上です。しかも帰りは同じ道をバックで戻らなければ行けないすごい山のてっぺんにあるんです。
ここはわたし以外支援に来た人はいません。ずっと飲料水を支援し続けていますし、そのほかの物資も運び込み続けています。そしてあろう事か、この仮設団地の中に8人で一部屋の世帯があるんです。規定された状況に反した配置がされています。それでも、『役場に電話してくれたんでしょ、404さんありがとう、でも頑張るからさこれでいいよ、また子供の水持ってきて』って。ずっと公開してこなかったけど、最短の商店のセブンまで1時間近くかかるここへの支援を打ち切るのかと思うと本当に辛い気持ちでした。時間がかかる場所なので結局深夜ということも多かったけど、崖から落ちることなくバックして本当に大変な支援だった。それにこの方々が2年間の期限で無事復興を果たすとはとても思えません。
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仮の家ですからね、電気配線だってわたしでも作れそうな雑なものです。
政治的配慮ののろしポスターに仮設でピースの人たちが写っていますが、そんなわけない暮らしです。
被災地の中でも本当の意味でわかっていない辛い暮らしがある実態です。

それでもわたしにとってはやはり宮城に対する不振が上回っています。
続けてゆけるほどわたしは大人じゃないですね。結局当の本人達はだんまりですからね。
でも今日は東京での予定を全部キャンセルしてここにいます。
台風に備え、イオン様のご配慮頂き、万が一孤立にそなえて飲料水100ケースを深夜のうちに用意しました。
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そのほかに岩手の24時間スーパーに行って物資も備えました。
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本当に地味でね^^、とてもじゃないけど支援活動とかわたしには自慢する気になんてなれません。

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食事だって見切り品だし、高速無料化が改正されてからは罹災証明の無いわたしは有料道をほとんど使用していません。
この区間500円分使わなければ、あの仮設団地に1ケース多く飲料水買って持って行けるとか、
こっちの のり弁当にすれば一本多く子供達にジュース渡してあげられるとか、そんなことの繰り返し。
このあたりを毎日支援しているのはわたし一人だけになっちゃったのだけれども、関心を持ちここへアクセスいただいたりする方々の代わりとして。
そして今日までの間に、宮城のためにありがとうとTシャツや特性手袋頂いたり、何度も食事に誘っていただいた方々の恩は、撤収までに少しでもここに返しておきたいと思っています。
いまからこそ、たくさんの支援が必要なのに逆行する宮城に対する気持ちに拍車がかかるばかりです。


2011-09-21 07:37  nice!(0)  コメント(2) 

被災地歌津なう19 お願い [プロジェクトB]

今週2回目の東京へ撤収でした。
特に泊崎荘がべったりなNPOのことがきっかけではじまった宮城不振でしたが、それ以上に助けが必要な感覚になって、
いままた家にも入らずそのまま歌津に向かいます。

頂いたメール紹介します。

Åさん>
涙は昨夜私も流しましたよ、被災してから今まで本当に色々な事がありました。
思い出して涙出てきたんです。
ずっと一緒だった猫をなでながら励ましあってました。
そこへ知人から電話きて『なんだ風邪ひいたのか』って
うんって言ったけど 寂しくて猫と泣いたんです
寂しいけど どうする事もできないんだよね

Bさん>
理由となったスタッフのこと腹立ちました。思い出話しなわけでしょ、解釈は色々だけどエピソード?だなんて…
がっかりしました。
みんないまも大変な思いしてるのに。
404さんの怒りの気持ち、支援としてだまされたかもってのもわかります。404さんはいつも私達被災者の為に頑張ってました。みんな知ってます。少なくとも私達は宮城県人でも404さんのこと騙してなんかいませんよ。むしろ感謝の気持ちでいっぱいです。
404さんのあの笑顔、頑張ってる姿を見て私達も頑張ろう!って思ってます。
また宮城に来て欲しいです。みんな待ってますからね。

このほかの歌津発信も同じ内容なので代表してアップしました。
なかには『ロールケーキ売れるようになりました、よかったですよね』と一昨日メールばら撒いたNPOの奴に『ふざけてるんじゃなければ相手間違ってませんか』と打ち返してやったとの連絡もいただいてます。
ロールケーキ売れても何にも得にならないどころか、むしろ崎荘の儲け話を語られてはらたつべと言うのが本当らしんですが。。。
わたしも大人だな、ちゃんと地域のみんなのために利益を使うってんだから、大丈夫、そう言うな
ってと言い切ってしまいました。わたしはずっと手を離さない代わりに最初の復興市の前日に色々大変で泣き出したあなたが本心として語ったことを今も変わらず信じています。

時間と共に状況は変わってゆくものです。
とくに被災地ではその変化はめまぐるしく、残念なことに根深く進みます。
ロールケーキでも被災犬猫でも世間から見れば被災最前線です。
考え方がずれたり見方を間違ったり、それでも。。。
固執せず修正しながらよりよくなるようにすることが大切です。
結局本当の被災地と宮城の中心といえる仙台あたりの状況とがズレていることがわたしの今回の事の発端だと思います。
地元マスコミの弱さ、選挙が近い情報管制、私利私欲、なにもかも全部が被災地を困らせる方向へと動いています。
宮城の中にいては自分達の感覚の確からしさも見失いかねない要素がいっぱいです。
わずかですが、私製メールやここで状況を発信し続けることで役に立てればいいナと思いますし、地元放送に少しわからせてかかります。マスコミが政治にまけてどうするか!!。

どんなことでもいまから取り返しが付くことです。
固執を止めてもういちど頑張りなおすことが必要です。

途中で支援品調達して4トン車満載にして助けに行きますから待っててください。

それとどうしてもここに来た皆さんのチカラが必要です。
ひとりだけでもいいから、本当の被災地のことをほかの方にも伝えてください。支援は物だけでなく気持ちや行動です。
ここに書いてることはみんなリアルタイムです。
いま何とかしなければいけないのはご自分自身だけではなく、たくさん困っている人がそこにいるという現実です。

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画像はわたしの支援品の中で過ごしている猫さんです。この猫さんもケージに入れられ津波を見ながらも助かったんです。
記事中に出てくる支援世帯で当日からずっと心の支えになっている大切な命です。
人間優先で動物は二の次、それはペットを飼っていた世帯でもありがちになるほど、あの日以来本当に大変だったんです。
ふつうに暮らせてペットを飼っている方々ならそんなこと出来ないと思うことをしなければならない悲痛さなんです。
その大変さは今でも変わらずずっと進行しています。
でもこの猫さんは当初からドッグウッドの支援を受けたりしながら、いまも飼い主さんを支えています。
もう一度原点を思い出し、日本の全員がリスタートすればきっと事態は解決できると思い、重ねてお願いを皆さんにします。
一人だけでもいいから被災の真実をほかの方にも伝えてください。


2011-09-19 13:21  nice!(0)  コメント(0) 

被災地にチカラを

CA3E0290.jpgそしてこれがラストショットです。
母を津波でなくしたわたしの前で3月11日を楽しげなイベント話しにして語って頂いたスタッフが許せなくて、ドッグウッドのスタッフと言うより宮城県民と見るその関わり 全部がわたしには何もかもつらくなってしまいました。
実は宮城でも都市部中心に様々な被災地らしくない出来事に多々あってきました。
眼前での事に正直ここに関わることになったきっかけさえ憎しみに感じてしまうほどです。
たくさんの被災者が助かったとか、被災地に希望をくれたとか、様々な言葉を頂いた事すらちゃんとわたしの心に届いていません。
たった独り市民の勝手なことのようですが、ここでは宮城全部に置き換わるそれこそがすべて、実態です。
ドッグウッドスタッフには、自らが被災犬猫を預かる自覚と被災者の辛さを今一度考え直し、半年のこのコンサートからリスタートする事を支援出資者として強く命じます。
最後に来た支援要請メールが乳児用の紙オムツです。
これを届けることなく離れる事がわたしについた傷そのものだと感じています。


2011-09-17 16:52  nice!(0)  コメント(0) 
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被災地歌津なう18

CA3E0498.jpgここでたくさんの被災がありました。
それは人も動物も思い出も、その日から数日、数ヶ月、そして今日もリアルタイムで進行しています。

404さんならちゃんと聞いてくれるから、とその日お父様様が間に合わなかった坂で気持ちに整理をつけるためにわたしに話してくれました。
1度目の波がゆっくり家を浸してゆっくり引いて。2、3分して家の近くでみんなでぼう然と眺めていたら、『デカいぞ、逃げれ!はやく走って、逃げれ、逃げれ!、あー』と声がしてこの坂を登ったの。
犬に片手を引かれ、片手を父ちゃんとつないで。


父ちゃんの手が離れて見たら、長靴で転んで。
なかまが2人起こしてくれていて、私は
犬に引かれて走って走って。
みんなのいる坂のカーブを曲がった上で振り返ってずっと待ってた。
凄い音がしたんだか、何が見えていたか覚えていない。
1分経って仲間が一人登ってきて、ずっとカーブの下を見ていたら、もう一人の仲間が泥だらけっぽくなって上がって来て。
みんなでその人を掴んで登り直してずっとまったけど、父ちゃん来なかった。
妹が『父ちゃんだめだな』と言う声だけは良く聞こえたよ。

んだども、いま話して良かっだわ。やっとホットした。病んでたけどもう平気だべ。


でも、泣いてたよ。笑ってないその人が新しく家に住むまで、ずっと支援が必要です。


2011-09-17 13:54  nice!(0)  コメント(0) 
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被災地歌津なう17 [プロジェクトB]

P9150802.JPG
さっき支援要望あってお伺いした仮設住宅の世帯から夜に食べてと頂いたお稲荷さん、玉子焼き、お好み焼きです。
卵は支援で大量に届き賞味期限対策で大量にいただきました^^;。お好み焼きはキャベツのみ、たしかこの場合お好み焼きとは言わないかもしれないけれど、そもそもわたしに野菜が少ないので精一杯作ってもらったものです。
このほかにもう一つちょっと秘密の一品があり、事前に好みを聞いたうえでわたし用に特別に作っていただいた非公開希望のものです。全部美味しかったです。
もう一世帯からは、パンやお菓子などわざわざファミマで用意してくれたもの中心でした。お金使うの申し訳ないし支援だから物々交換しなくていいといつも伝えてるのですが、わたしは見返りを求めなさ過ぎるから申し訳なくてといつも帰りに持たせてくれます。
代わりに票の見返りの必要な支援は大ヒンシュクになっています。
先日某三陸町の建設や土木に関する課から、町内の全仮設に2Lの水が配られました。選挙が近くなり某土建国会議員がどこかのBlogを見て急遽用意して配ったものですが、軟水はあたりでも外国産で。。。みんなは困り果てでした。一本が20円台のその水は軟水表示でも賞味期限近し。しかも試したら容器から粉がふく始末です。勿論誰も使わずみんなして玄関先に放置してあります。
どんなものでもよいとは限らない、被災者は人間なのだから、流通過程で直射日光にでもさらされたのか某団体の支援品の水を沸かしてコーヒーやお茶に使った方々が腹痛になり、同じタイミングで一斉に救急車を呼んでパニックになったことも最近あります。
110913_1000~01.jpg
お待たせしました、電機メーカーの皆さん。。。ちゃんと仮設住宅で活躍しています。
今日の支援品にはコレに合わせたラグを持って行きました。
そのほかの暖房支援はまだ活躍してる画像とどいていないのでおって紹介だと思います。まるごと購入大作戦、結局メーカーの皆さんをお騒がせしてスミマセンでした。でもその後のご配慮でこちらのホームセンターにも同型を中心にたくさんの暖房器具が店頭に並ぶようになりました。重ねて業界をお騒がせしましたお詫び。わたし勢力健在?、皆さんの心意気がたくさんの被災者を救いました、本当にありがとうございましたm(_ _)m。

今日は東京から支援に出掛けたので夜遅くになってしまって、急にたくさん連絡いただいたことで支援世帯や事業所の全部を回れませんでした。被災地では深刻なことになっています。支援の必要性と取り巻く宮城の実情とは、わたしが全国紙に近々の事例を掲載しない限り活路がないのかもしれません。記事は信頼できる方に今朝預けてきていますし、15版からならいまからでも明日中に間に合いますね(AM1:00久々の時限投稿です)。


2011-09-16 01:06  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう16 [プロジェクトB]

昨夜もすごい月の輝く夜空でした。
歌津の海はポニョの盛り上がった海の色のように月明かりで全体が水色になっていました。
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昨夜遅くなってから支援でお伺いした仮設住宅の台所です。玄関の扉から写しました。
その玄関はガラスの引き戸でそのまま台所にあがり、そしてカーテンのみで仕切られた2部屋に直通です。
この台所の状況はわたしが大昔住んでいた安アパートのどーしようもない感じそのままです。。。
支援品などがたくさん集まり、逆に収拾つかない感じと主婦の皆さんならちょっとぞっとする光景ですよね。
たくさん物が積もっているところは本来ガスレンジがあるのです。
でもこの家庭は隣の棟にいるご両親と5人世帯なので、2棟でワンセットの家電品で暮らしています。そもそもこの部屋はもぬけの殻で被災世帯に引き渡されました。
隣のばあちゃんの棟で煮炊きをして食事をしています。
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地域としてご馳走ナ料理を帰りに持たせてくれました。
お味噌と醤油とちょっとみりんかなを付けた焼きおむすびと甘辛のお芋です。このあたりの家庭料理です。
お野菜は不足気味で穀類中心な暮らしの中で精一杯用意していただいたものでした。
コレがホント美味しいですよ。。。一晩中あれこれ走って、今からボランティア芝刈りをした後にまた支援に出掛けます。
だんだん世帯として暮らしてゆく中で支援の内容も変化しています。
家を流され着ていた服だけしか残らなかった、なにもない、本当に何も無い状態の世帯が何万単位であります。
なにもかも誰かから譲ってもらわなければその日のくらしもたちません。
支援が無ければ復興はありえません。
たとえば赤十字を通じた募金があるじゃないかと疑問に思う方もいると思いますが、お金は届いていません。あくまでも見舞金が少し渡されただけです。それしか収入がないので、ある意味それは貯金。そして生活は支援で暮らしています。
まるっきり貧しい国の難民と同じスタートからご自分が復興しようとしたら何が必要か。
新しい首相が表現として次々と引用された被災者の様子が全てではありません。被災者の視線でというならば、政治ではなくわたしたちしか出来ないことがたくさんあると思います。
この場合、お金ではなく様々な支えが必要です。
じゃあどうすれば良いのか。
自分が出来ることを出来る範囲でしてみてください。
支援品なら遠方でタオル1枚からでも取りに伺います。


2011-09-14 08:56  nice!(0)  コメント(0) 

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