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いてまえ作戦ゼロ段階(日常) [プロジェクトB]

段階の順序が変わってしまいますが、いてまえ作戦ゼロ、いつもの様子を追記しましたから前後入れ替えます。前記事も続けて訪問いただければ幸いです。

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この際だから、思い切って出来るだけ遣っちまう事となりました。
いてまえ作戦フェーズゼロ、本日18時に開始しました。
わたしを支援して下さる方々総動員、そうとう覚悟して記事訪問し続けて下さい。

悪をよしとせず、本気で支援取り組んで下さる皆さんの気持ちが多くの皆さんと被災地に届きますよう、正直心だけでなく体も尽きるまで全てこの作戦に使います。
びっくりする準備して数日間、一緒に支援してる気になって応援下されば幸いです。そして被災地アクセスの皆さん、わたしたち支援者の本気を受け取り続けて下さい。

まずは作戦開始のお約束、こんな所で10キロも渋滞してたことなんてないのになぁ。。。
ご存知の通り、何故かわたし作戦につきものの大渋滞。なんかいつも通り過ぎて笑える。

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折り返し
朝のうちに様々な支援物資を積んで折り返し三陸に向かっています。
支えて頂く方々の励ましの言葉がそのまま被災地へ届くようにしたいのですが、どうしても腹立たしい感覚があるからね。
新しく始めることが出来るのに、旧態依然とした事へ運ぼうとする様子が哀れに思っています。
それと比べ、大勢に関わらない復興を目指すチカラ強い被災者があまりにも対照的にうつります。
現在いてまえ作戦のまだゼロ段階。
わたしの物資調達からずっと皆さんと過ごして支援のあれこれを疑似体験してみて下さい。
現在様々な家電製品を積んでいます。
そのほかに途中でペットボトル水を追加しました。
それぞれの物資は被災地ではあえて調達しないものもあります。
例えば水は集中的に1カ所ではわたしは買いません。同じ系列店を数軒周り、数ケースずつを10軒でトータル数十ケース、イコール1トンとして引き渡ししています。
1カ所で買い占めると調達は楽ですが、緊急時にその地域で足りなくなってしまうし、品薄のひっ迫感が出て本当に買う人を困らせてしまうからです。
こんな丁寧なことをしながら避難所に物資が届いていたなんて、おそらく全然知らない世界だったと思います。それにそう真似する人はいないかもしれないし。ただし、この水に関しては被災地の近くで買うことが多いです。それはその地域の経済を活発にするためと言う願いも込めているからです。
その逆に今回も扇風機を大量に積んでいますが、これは被災地から遠いメーカー直接の倉庫からの振り出しを利用します。
なぜでしょう?。。。
被災地で買ったら本当に探している人が手に入らず疲労困憊してしまうだけだからです。これでは復興になりません。。。
前記事のピアノは贈った南三陸町に一番近い楽器店にしました。万が一のメンテナンスのため、そして経済復興支援のため、そして何より、被災しながらも営業していたその店舗で働く従業員の皆さんが自分だけでなくもっと困っている方を助けて元気を出そうと言う気持ちになってもらうためです。

考えすぎだとは思っていません。それぞれその通り効果が出ているからです。たとえばピアノは後日店舗からさらに別の形の支援品を自主的に送っていただく支援をしていただきました。
扇風機は現在も足りませんがわたしはト-タルでたぶん300以上を調達したと思います。大半がメーカー倉庫などからでしたが、被災病院に贈ったものは運良く探せたものなども含まれています。
はるか彼方、900キロも離れた地域の電気営業マンたちがすごい勢いで探し出し集めたものが、被災地で活躍しています。もちろん、その販売代理店だけでなく影の営業マンたちもわたしの大切な支援者でここの読者でもあります。
いつも本当にありがとう、電気製品は被災生活を支えるだけでなく、被災者を元気にする魔法のアイテムです。自信を持って企業活動続けてくださいね。
避難所ではただのかねめのmのでしかなかったけど、それぞれの支援物資はたくさんの支えとこのBlogをとおして絆となっていたんです。
支援品がお金に見える人間性なんて今すぐやめたほうがいいと思います。


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支援物資お届け状況-1
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何とか夜までに支援品の一部をお届けしました。
そのあしで、集積倉庫に行って定番物資を積み込み2軒目の待ち合わせ済ませました。

病院にはさらに大型のを届けましたけど、もし効果があるのなら全数設置可能です。

営業マンのノウハウが販売店を通じて被災地で活躍すること、心遣いが動物達にも届きますようにお渡ししました。
命の尊さは人も動物もかわらない。
大事な肉親とはなればなれ、そして見つからない。。。わたしたちは努力をおしまずにずっとみんなで探しています(詳しく書くと真似されるのでぶっちゃけブログと紙面版参照してください)。
言葉が違っても心は通じています。
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面会後に車は走り出そうとするけれど、ハウスに戻ってゆく姿が見えなくなるまで、そして見えなくなってもずっとそこでいつまでもいつまでも姿の消えた先を見つめている。
命にも心にも人や動物の違いはありません。見つからない子達もずっと戻ってきてくれるのを待っています。
支援に人も動物も差がないわたしに平気でバッシングする方は多いけど、心を大切にするかどうかです。
人の心を次々つぶし吸い尽くして自分が育った気になって、そんな惨めな人生なら終らせてあげたいと思います。
ここだけではなく・・・たくさんのシェルター、そして避難所で在宅でそしていまだ車中暮らしで、たくさんの命がみなさんの支えを待っています。
家族とまとまっているから支援は要らなかったり、自分でお金がまかなえるから必要なかったり、そんな偽者の復興気分に一生懸命ではいつか破綻してしまいます。ここは被災地、その外ではふつうにみんな暮らしているしふつう以上にいい思いしてる人すらいるのです。どんなにがんばって復興生活をしようとしても一度基盤を失った方が100年かかってもそれに追いつけません。支援は継続的に必要で、それを組み込みながらならこそ本物の復興を果たすことができるようになります。
そして今まで支援してきた方々を大切に思うなら、むしろ支援を受けながらの暮らしが正しいかもしれません。
たとえば税金の優遇、たとえば様々な免除、そもそもふつうに暮らしている中でもそういう事は大なり小なりあったはず。
それを考えれば目の前で手渡しな支援なら暮らしにあってもおかしくないよ。

このあと支援要請にあわせたわたしの今日一日をそっくりそのまま書き込みます。
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CA3E01700003.jpg今回の依頼品は複数の世帯に医薬品とシューズや長靴です。
佐沼のドラッグストアが近くて便利なので支援物資調達にいつも利用しています
仮設に移ったあとの常備薬の希望の用意編です。
家族構成にあわせた量を用意するように気を使います。
スタートセットはあまりにも画一的、こうして架設に入るまでに希望の支援品を用意しておいてあとから届く仮設セットの具体化・差別化を図っていました。
医薬品は同じ効果でも銘柄の違うものがたくさん並列にあります。
ここで活躍するのが以前にその世帯から要望のあった古いリストです。
過去にその世帯に届けた医薬品を参考にします。
これが出来るのはわたしだけ、だって避難生活のその世帯がわたしを家族として迎えて連絡もくれるのだから、家族として本当に必要なものを届けることも出来るんだと思います。
今回のリストになかった前回の支援医薬品も合わせてお渡ししました。
またジェネリックな同等医薬品も余分に用意します。
もしかしたらこちらのほうがいいかもしれませんからね。
ごっそり一袋になりましたが、今頃『これは違う』とか『こんなに要らない』とかプチ騒ぎになっていると思います。
でも大丈夫、みんなとても賢い方ばかりだから一緒に苦労したほかの世帯に分けていただいたり工夫して対処しているはずです。

このほかの方の依頼品も近くの大手スーパーやホームセンターで用意してお渡ししました。

これがわたしの支援の日常です。必要とされるものを連絡いただくネットワークはわたしと被災者との信頼の絆です。
支援と言う言葉と自立と言う言葉、意味の履き違えがとてもたくさんありました。
『架設に入ったら支援は受けられない』とか『自立のために支援は要らない』とか、全部うそ。
それぞれの世帯の方に丁寧に理解を求めてさらにそれが信頼へとかわってゆきました。色々お互いに話しをしてみなければわからないことがいっぱいあります。誤解だってたくさんあって当たり前だったかもしれません、だってあれだけの状況に置かれた事実は曲げられないものね。
わたしと色々話しをして、謎とされるわたしのことも話して、開いた心の中も伝え返していただいてます。そして皆さんわたしから変化と勇気を得ているみたいです。
その理由は。。。
わたしの母の命日は3月です。発見まで2ヶ月かかりました。
それでもこれだけ頑張ってるのだから、同じ自分も頑張らなくちゃって。だからみんな元気なんですよ。
あなたもわたし達と一緒に頑張りましょう、しっかり目を覚まして、クズはクズ以上にならないから見切りなさい。

追記:
この記事に気が付いた方から追悼の意を頂いています。有難うございます、わたしも冥福を祈っています。
わたしBlogに一切書かなくってね。しかも発見されるまで一度も現地入りしていないし、契約で残った取材やらもずっと続けていたわけだし。業務上死に目に会えない覚悟がおたがいにあり、皆さんには年末に亡くなった旨で統一してお話していましたから。
急に出掛けたいと言い出して寒い時期だと体に障るからせめて3月半ばぐらいにしてとお願いしました。午前中東京駅で見送りし、乗り継いで縁あった女川の水産工場にいたころだったと思います。行程はわたしが知っていましたから。
土地勘もないし、体も弱いし、ああわよくば生きていようかと思うタイプではないから。
津波があったとき、わたし自身はすぐに悟っていました。生きていれば自分で何とかできる自己完結型の人が10日間連絡をよこさなかった。そして積極的に探しに出なかったのも時々ここに書いている通り宮城の方が優先されるべきと思っていたから。
捜索願は10日も過ぎてから出しました。もちろん混乱のさなかのことですぐ探す手配になるわけでもなし。ただ届け出た地元の警察署の窓口の方が皆さん、わたしの趣旨を聞いたところでボロボロ泣いてくださったこと、それでもうわたし自身の弔意は決意に切り替わったんです。わたしもかつて被災者だったし、今こそみんなを助けようって。仕事だけは母の言いつけ通り続けながらの日々だったけど、それからはこのBlogにあるとおりです。
前も書いたけど被災地の皆さんにわたしの母もそうですと最初からは言えないままでした。
そしてたくさんの方に真実を伝える職務上死に目に会えないことはお互いに理解済みのはずだった。
母はその地域では最後の発見者となりました。複数の住宅のガレキの下敷きで発見は遅れたと説明受けています。防水携帯の入った服が遺品です。最後の着歴がわたしでした。それとなぜかリードが2本巻きついていたそうです。たぶん母は住宅街で残ってつながれていた犬達をはずしてまわっていたんじゃないかと思います。

何人かの方には話したし公開すれば気が楽になるかと思ったけど、今日もまた走り出せないまま、まだ菅生にいます。
被災地の夢を諦めないために、いてまえ作戦フェーズ2スタートしています。今からまた気持ちを切り替えてスタートします。
喪にふす感覚からこの記事へのNice!やめておく必要はありません、いつもとおなじ、読者のみなさんと一緒にいます。
がんばる気持ちを伝えてください。


2011-08-04 05:49  nice!(0)  コメント(4) 

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