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被災地歌津なう4 [プロジェクトB]

母の被災を公開せず、ただ平然を求めて受け入れることなく行方不明として電話だけ何百回もし続けた日々と、むくろを見て荼毘にするまで何も思い出せなかった日からの支援の辛さと。
本当の支援は出来ることを出来るだけ、でもそれ以上に必要とされる支援の眼前にずっと現場では一人だけで向き合っていました。ずっと辛いまま。
お互いわたしと被災同士の会話では、電話なのに今でもふつうにお互い泣きながらになる。
本当に理解できる苦しみは些細な事でも違いがわかる。
被災した喪失感や今でもあとを追いたい苦しい愛情はどんなに時間がたっても解決しない。
歌津ではガレキの原を見ながら、実は一点を凝視している方が多い。あんなに小さかったっけな、わたしの土地って。今でも泣き崩れる方がいる傍らでわたしもいつもおお泣きしている、歌津なう。

24TVの中にあったストーリーはほんの一握りでしかありません。命の消え行く境目が流れの中でつないだ手が離れただけだったりすることがたくさんあり、はぐ れるって言葉の意味が今でもわたしには受け入れられない。
時間がたって見つかった遺体がきれいな状態だったって言われたって、彼氏とはぐれてずっとそこで見つけてもらうの待っていた魂なら、女性として当然の身だしなみをずっとしていただけなんだとも思う。
寒く冷たかったし、音も勢いもすごかったし、ひたひたとやってくるとは限らずあっという間に捲かれて息も出来ずにもがくスペースも無い。わたしが見る夢の中での母はそれでもやっぱり無駄遣いしないでねと言い続けている。
結局一度も面と向かって謝ってもらった事無い頭も下げれない接客業なんて聞いた事ないし、もちろんその上でのロールケーキがお金に見えてるわけではなく口にする人の気持ちになっていると信じています。
その為にコンビニチェーンのオファーを取り付けていたし資金も用意していたのだから。今でも準備は整っています。


2011-08-23 06:55  nice!(0)  コメント(4) 

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