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出来ました(その4.0) [プロジェクトB]

今回の支援
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あわせて、避難所スタッフ読者限定、わたしの記事をあとでココに書きます。ついに真相がわかる日が。。。

その1.1)
Twitterにも書きましたが、わたしの母は最近急に亡くなったばかりです。
荼毘にふすまでは滞りなく済ませましたが、実はあまり良いことではないとは知りつつそこでストップしています。
母の遺恨は色々あるとは思いますが、このたびの災害の犠牲者と行方不明者の方々とそのご家族のお悼みをさっし、自分の親の葬儀等をやめ、一日も早い発見と未だすまない弔意の静みが出来るよう可能な限り多くの方々の葬儀が済むまで被災地の方々の遺恨を大切にするつもりでいます。
位牌もまだ仮のまま、お墓もまだです。
これは個人支援も含め関係する多くの被災者の方々が未だ親戚縁者の弔いが間々ならないことにもよりますが、わたし自身が先の阪神での被災時に得ている経験から予め事態がわかっていたことにもよります。
わたしが被災した皆さんに向けている弔意と意気込みは、可能な限り最大限です。
重ねて、みなさまが一日も早く安らかなかたちになることをあらためてここに表したいと思います。
このことを被災されている方々に説明することがはばかられ今に至っています。
あらためてご冥福をお祈りすると共に、現実的な経過による行方不明者の措置には反対を表明します。

なによりも、わたし自身が被災地を回る日々の中で、実際にサルベージ作業中に発見される方々がいる実態を今もずっと見続けています。出来れば全員の安否がわかるまで、母には待ってもらうつもりでいます。弔うことに関する表現は本当に難しいですが、欠かさず防災センターで祈ることを続けている気持ちがスタッフの方に伝わればいいなと思います。

その1.5)
同様に、被災地での関係者の中に亡くなられたり行方不明者が肉親におられる方々には出来るだけの支援をこの先もずっとしてゆくつもりです。国をはじめとしてこれにかかる行政の対応には激しい憤りを感じています。しかしながら異議を唱えることよりも亡くなられた方の尊さに向き合うことのほうがはるかに大事だと考えています。
できれば同じ考えにいたる方がスタッフのなかでひとりでも多くなることを望みます。

その1.6)
各記事に重なりますが最後までわたしが『みんな』の手を離すことはありません。
たとえば自分だけが聞かされていない予定があっても、それはあなたが定常的な反応や対応が出来ないことが原因で自分が悪いことです。ごちゃごちゃと演出して腹いせにも似た行動で自分が満足する展開を用意しても、結局はその罪を自分が被ることからは免れない。現代のサイバー捜査は非常に高いレベルです。
一番は自分ではなく助かるべき人たちです。現在は稀有な環境下にあり、その中にいる皆さんの心情や考え方を自分に置き換えることすら難しいかもしれません。でももしそれが出来たなら、これほど有効な手立てはありません。
そしてそれが出来る『みんな』なのだから、どんなに時間がかかっても理解し実行していって欲しいと願っています。

たくさんの方から心配のメールなど頂き恐縮です。正直なところ、わたし自身も日に日に状態が悪くなるのを感じていて、今日はいよいよ右半身の反応が明らかに悪くなっています。
そんな中でもスタッフの皆さん中心に掲示や連絡などして頂き、離れていても身近に避難所を感じています。
この記事はまだまだ続きますが、更新が滞るそのときまで、ずっと皆さんの家族でいさせて下さい。

その1.7)
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皆さんから頂いた大切なお礼状は自宅でずっと待っている母の遺骨に添えてあります。どうもありがとうございます。
仏壇も正式な遺影も何もないままですが、母のことですから皆さんからのお礼状を毎日読み返しては一緒にいるつもりでいると思います。本当に本当にありがとうございます。


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その2
やっとその2になりそうです。
昨夜も歌津地区を回り避難所にも行きました。
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画像は事情を考慮し(笑)、Kちゃんと依頼主姿はトリミングしました。今度ちゃんと姿出すから。。。依頼主も含め、じつはこの記事の読者はうなぎのぼりに増えています。被災地域の仮設住宅には災害前の世帯電話番号を割り振られた有線NTTが開通したり、同様にネット回線が復旧したりして確かに皆さんがアクセスしてるのもわかっています。みんな元気~?!。
余談ですが、被災前の電話番号が使えることの効果はもの凄く、仮設住宅での暮らしに大きな安心感をもたらしています。様々な生活手段への不満が多い中で、これは結構好評です。
それと昨夜の避難所社長顔色いいし、でも仕事しすぎかな。仕事なるたけしないのがいいと思います。

CA3E016500010001.jpg昨夜は思いっきり台風、到着はどんどん遅れてしまいましたがいろいろと届けました。支援品は主に直接の生活品ではなくなっています。復興してゆく中で自分達に必要なものを細かく指定していただいてます。
生活力がどんどん向上していて、特にわたしが支援し続けていた方々からの依頼内容はどちらかと言うと頼もしい感覚を覚えます。せっかくだからなるたけよいものをお渡しできるように心がけています。

台風のせいで志津川の防災センターは高潮だったり豪雨だったりで正面は水没しています。
それでもいつも通り、トラックを停めて避難所のスタッフと被災者を守っていただくように手を合わせることは通過するたびに何度でも繰り返し欠かしません。


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わたしは最近新幹線で被災地と東京を往復する日々が続いています。
東京に戻るたび思うのはスケールの違いです。
日々の出来事に没頭している避難所スタッフの気持ちを察するところではありますが、考えも行動もだんだん狭くなっていることがとても気になっています。それぞれの力を発揮し動き続けている避難所ではありますが、少しペースを落として新しい空気を感じてみることも大切です。
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建物幅いっぱいの改札口

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あれだけ揺れても平気なスカイツリー


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完全点字だけの案内図

自分達は大変な目にあったという気持ちに入り込みすぎたり、あるいは少し被災の段階が浅かった結果自分を奮い立たせるために成りきったり。でもそれは少なくてもわたしが支援した皆さんの避難所においてはもう少し緩い気持ちで過ごせるはずです。ほかの地域では未だ最前線の場所があることをわたしはよく知っています。比較することは出来ませんが、もう少し段階の進み方を理解して落ち着いて取り組んだりして欲しいと思います。
自分には何も残らなかった、全て流れてゆくのを見ていた。
わたしと同じように大切な人が失われてゆく姿を見ていた。。。
それぞれの皆さんの状況を察することは間々なりませんが、世の中お金だけで動いていたわけではないことが伝わればいいなと思います。
そうすれば、炊き出しなのにマージンを要求するボランティア団体を断ち切れる力もわいてくると思います。皆さんは利用されすぎです。

皆さん一人一人を信じています。
まだまだ続きます。

その2.1)
炊き出しの話し書き始めちゃったから、本当の事を知らない方には衝撃の事実だろうけど。
食べることに対しては最大限の配慮が必要です。食べ物なければ命からがら助かった方々もそこで絶えてしまいます。
わたしも同じ、都合50時間以上も何も食べたりせず支援活動してたりしていて未だに調子悪いままです。

被災地で数日間食べ物が届かなかった場所をたくさん知っています。同じように安定しはじめた時期でも食事の支給が打ち切りになった場所も知っています。食べ物をあてがわない国があるなんて世界的に許されない、わたしはそうつぶやいたことがありました。世界の中で恥ずかしく思う必要があると思います。
第一に優先しなければならないことがどこにあるのか。助けるべき人は誰なのか、食べなければダメになってしまうのだから。
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画像はわたしが支援している地域の線路上、右隅にはここで生き残った方の痕があります。
当時続く潮の上げ下げの危険の中、流れ着いたガレキの中からパックわかめとモズクを拾い、少しずつ食べてしのいでいた跡です。最終的には食べ物が見つからなくなり、この方が最後に食べたのは味付け海苔がひとつだったと思われます。

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線路上はかなり高台ですが、食痕の先わずか数十メートルには壊滅した状況。細かな漂着物の大きさから何度か潮が打ち寄せた様子もうかがえます。
冬、明かりもなく、潮の動く音だけが響く中、命を落とした方がたくさんいました。その夜だけでも、また次の日も、次の日も。
毛布が見つかったこの方が暖をとれていたとは思えません。
それでも自ら歩き避難して生き残った先の炊き出し。ここでは2ヵ月後でもお肉を食べることが出来ないままでした。

炊き出しが持つ意味はたくさんあります。
主に善意の塊だと理解できる方は少なくなっているかもしれません。

それは阪神の時もそうだったけど、元気な方ほど集まって・必要な方には行き渡らない。それでも被災者を信じて、本当に困る食を助けたいと準備し臨むチカラは心と善意の魂そのものです。
それがお金儲けにしか思えないボランティア団体があります。代表者自ら歩合交渉を持ちかける。

催す方々全ての気持ちをへし折り、何よりも困っている被災者を冒とくしてもなを涼しい顔のまま。それが本当の顔の一部です。この人、本当は心なんかないのですよ。教わらずに被災後も過ごしてきた、今もなお。

わたしこのことを中央の全国紙に投稿しています。裏をとるところまでしてもらったのですが、避難所スタッフとその地域では崇拝者がいるので保留中。出来れば自ら勇気を持って欲しい、昨夜のようにやれば出来るのだから。
あわせてほかのことについてもまた続きます。

その2.15)
本日も緊急支援先が歌津でした。ネットワーク化された状況についていっていないのは岬周辺の避難所だけ。
避難所の看板降ろしたところでさえ今日も支援は続けています。
支援イコールお金としか見えていないかどうか、政治との授受も含めてもう曲がり角は過ぎているのかもしれません。
わたしが最後まで手を離すことはありません。

その2.2)
政治家の汚さを身にしみている方は少なくてあたりまえ。もちろん仕事としての政治だったり性根政治家だったりたくさんいるから千差万別でもいいと思って見逃がすことが多かった。

実はこのご時世なのにわたし、今日またしても扇風機を50台用意したんです。これは自慢として書いてあるわけではないことを理解してください。いったいどうしてそんなことができるのか。。。スタッフとしてもう気が付きませんか。
避難所に一番必要なお金のやり取りで対決政党の不支持や票のとりまとめを暗に願うこと、それは政治と金のいつもの構図を被災者に置き換えただけにしかなっていません。とくに狭い感覚に陥った地域性ではそれが信仰にもなるかもしれないし、この状況下ではずるい手法になっているかもしれません。あの日わたしが指摘しなかったら、自分の胸にしまっておくだけでみんなが助かると錯覚したかもしれない。
わたしはそれを責めたりするつもりはありません、家族だもの。ただ忌み嫌うことはしないし、なるたけ理解するように気持ちを置き換える。でも家族だから指摘するし、何か方法がないか模索もするし、知られない範囲ですでに包囲も済ませます。
本当の笑顔でいられないことの心苦しさのほうがずっと辛い。
家族なら喧嘩もするさ。

選挙が近くなって逆に秘密裏のコネしか頼れない汚い政治と、どんどん支援をできるわたしや潜在歌津ネットはまったく違います。
いまどき派手に活動しているのはボランティアの名を借りた政治団体だと噂がたっているのを現場で耳にしてる方も多いと思います。今は派手な活動そのものが逆効果なんです。
潜在とは表にかたちとして現れないネットワーク、それは心のネットワークなんです。
団塊的に心の置き方がわからない世代がはっきりしてきているいま・・・行動するのは難しいと思います。
たとえば、先日置いていった扇風機、台数は3つと少ないけれど、いま本当に必要な人や団体にとは思わずに仮設に入る人に持たすことで解決だろうか。心がかたちになるのには勇気もいるかもしれません。
支援品はもういいですと言うかもしれないけれど、いまも(余計なものは持っていっていないけど)届けるものをありがたくと受け取る方との違いってわかりますか。
もう負担になるから要らないと言う負担とは支援が品物やお金に見えているから。
届けるものが真心に見えているならどんなかたちでも受け取るものです。
わたしはもう充分走り回ったと言ってもらうのはあくまでも自分達に対しての充分、自己中からかもしれません。
いまだ最前線の箇所があり、いまだ解決していない支援の調達に苦心もしています。
無理なくという気持ちは伝わりましたが、もう充分に走ったから休めと言う言葉が一番がっかりでした。
そういう時は、またほかを待ってる方にと言う事が心が伝わってよかったかもね。
心遣いって難しく感じる必要ないですよ、本当の笑顔でい続けることが一番の心遣いです。それが出来るようにいまから考え直して欲しいと願います。
ながいなぁ。。。まだあるんですよ。

その2.3)
いい加減わたしがどんな立場の人間か、公表したほうがいですかね(笑)。。。
小野寺はわたしに気づきもせず挨拶にも来ない、奈落の底へとじわじわ落ちてもらいましょう。
昨日訪問したラジオスタジオのある岩手でも、あるいはさっきの福島・宮城でも有感地震が続いています。
精神的にも限界と感じている方がとても多く、不安やわたしの心配などで連絡を頂く方が一番多い夜となりました。
そしてなんと一番多かった内容は政治批判。。。どんな有名人が来ようがましてや政治家が来ようがうれしくなかったんですよ。でもそれを言い出せないでいただけ、町そのものが新しい人生をはじめていることに気づいていない、毎日通って本当の姿を見続けていた人がやっぱり人を大切に出来ていたのかもしれません。
やりたいほうだいやってサッサといなくなる、本当に必要な暮らしを支えてもくれない。不満の爆発はなかなかのものだし よく見る政治構図そのままで。。。被災で大変なのにさらに追い討ちが政治なんて目も当てられない、そんな気持ちで朝を迎えました。
ずっと隠していたけれど本気出さなきゃなと思いはじめています。

昨夜頂いた連絡の中に保育士の方がいました。
わたしはこの地区の保育園の先生方5人にピアノをプレゼントしています。
津波で流されてしまったりしていて自宅でピアノが練習できなくなっているのでと問い合わせいただいたのが最初でした。
この地区の保育園の再開は6月10日、それまでは避難所となっていたり 町の機関として保育所そのものが使えませんでした。何より保育士の皆さんは町の行政サービスの職員として活躍されてヘトヘトでもありました。
いざ保育所の再開となった時、自宅でピアノの練習が出来ない状態な事に気付いたと言うのが本当のタイミングだったのです。

ピアノをプレゼントするにあたり、わたしが出した条件はたった一つ『町の元気な子供達を育てて欲しい』それだけでした。

後日ピアノが各先生方に届き、『久々に弾いたら間違いまくりで(笑)』と到着の報告を頂いています。
そして現在もこっそり支援を続けている世帯があります。行政として、住民として、あるいは避難所の内情を詳しく今も連絡頂く方として、ある意味わたしが避難所スタッフから受けた嫌がらせを事前にわかって政治団体を監視していたのも。
それが偏らず複数の方にまたがり様々な連絡が行き交う。でもずっと悪用することはありませんでした。わたしも、そしてネットワークそのものも、この先もやり方は変わらないと思います。
それはわたし達みんなが、いつも本当の笑顔でいられるようになって欲しいと願っているからです。
だからこそ、わたし自身も以前より小野寺を世話したことも今日まで黙っていたのだと思います、忘れたとは言わせない。
でもわたしは忘れていましたけれどね(笑)。仇で返す政治に手を差し伸べるほど愚かじゃないよ。
一気にBlog記事畳みたい所だけれど、また支援の朝が来ました。紙面版ももう少し公開待ちで続きます。
今また防災センターで避難所スタッフとみんなの無事を願ったところです。

その3)
始発で東京と往復しながら紙面版の打ち合わせ、そのままここへやってきて様々な相談事を一緒に考えていく中ではずせなくなっているのが風評です。
一番は不穏なことがあったらすぐ連絡してくれと言う票読みの政治活動から始まるもの。結果、被災者同士自分以外の人を監視する干渉する目が育ちそれが全てコミュニティーの雰囲気の悪さ、生活のし辛さになってしまっていること。あえて強調するけれど、大昔の同和問題を政治家が自分で作り出し、不安をあおって挙句、不安を解消するためにやってきたと凱旋すること。
わたしが避難所に行けなくなったのも、避難所スタッフが政治活動団体にわたしのメールや取り組みの様子を流し続けて嫌がらせを助長していたことが原因でした。普通なら信頼を裏切られた気持ちが計り知れないけれど、わたしはそうは思いませんでした。今もそれを責める事はしていないつもりです。
大局を見失って、自分を見失って、自分が犯していることの罪状もわからない、本当の意味での幼さが露呈しないように心を閉ざすことになっている姿を、わたしが家族として伝えられない無力さが本当に本当に悔しい気持ちでした。あなたが悪いわけではない、教わっていないこと、関わりのルール、会得する機会がまったくないことがいけないと思います。真の悪はあなたの中にあるのではなく、『本当は関わりを持ちたくない』とあの日感じた気持ちが一番正しいと思います。これからもずっと信じていたい。

その3.1)
何よりもその情報を元に活動を続けBlog広告塔に成果としてあげていること、人の心を潰しながらの政治活動は刺し違えても絶対に許さない。多くの方が同じ気持ちだと思います。
小さな社会性を利用し絡めとるように人の心を束ねるやり方の中で、自分のおかれた状況を錯覚することからはじまり、ついには政治のしがらみから手を切ることが出来ない。地域性には置き換えたくないけれど、ほかには説明が付かないかもしれません。それでもその悪循環から脱し自分で活路を進んでいる方が同じ地域にいるのですから、勇気を持つことの大切さを痛感する日々です。
でもね、正直そうもいかないよ。。。
被災、喪失、別離、孤独、全てがいっぺんに来てどうやっても転化も昇華もできない心。
胸のうちを親身に語るチャンスはなかなかありません。それは語れば厚意で差し伸べられる手立ての全てを否定しなければいけないから。共感できるとか、ひとりじゃないとか、それは一番の苦痛になることだから。。。
心の中に入り込む支援はじっくり独りに向き合って、ずっとずっと続けてゆく腰の据わった活動が必要です。
わかったようなこと、わたしから説いたり誘ったりは出来ない、今すぐは。     やるべきでもない。
もしわたしに出来ることがあるなら、目に見えないものへの支援ではなく、目に見える物質的な支援、最初からそう決めていました。それは時々出てくる阪神の時の自分の経験からでした。わたしがずっと左手を離さなかった気持ちを、かわらず避難所のみんなに続けたい。
物資の届かない歯がゆさ苛立ち、その心の負担が強かったことを我慢せず、わたしにどうしたらいいですかと尋ねた日の気持ちをもう一度思い出して欲しい。ネットの再開、物資の平等性、願えばすぐ届く物達、全ては目に見えるものばかりの支援だけれども、わたしは一度も皆さんを裏切ったことはなかったはず。今からでも遅くないから、もう一度殻を出る勇気を持って欲しい、一時も欠かさずそう願い続けています。

ある時、7月末で避難所への経費の打ち切りが伝わったことがあります。それは二次避難といわれる現在のほとんどの避難所への行政支援の打ち切りが行われ、その日以降は自費で避難生活をしなければいけないともとれる内容のものでした。
実際には避難所生活に甘んじて仮設住宅の申し込みをしていない世帯があるのではないか、それの炙り出しの脅しと考えられるものだったけど。仮設住宅の申し込みには、住みたい地域、暮らしたい人数など、将来設計にかかわる項目を選ぶ必要がいくつかありました。そしてその申し込み方法の説明も、残念ながら担当した職員ごとにバラバラだったと思われる節が感じられています。その中ですぐ判断できる世帯と、いまだ行方がわからない親類がいたり親戚との連絡が充分ではなかったりするなど判断に困る状況の世帯がありました。個人でも性質正確の違いがあるように、世帯だって千差万別。国などの大まかな政策を上手にフィッティングするのが地元行政の役割なはずなのに、実際にはその逆。しかしながら行政の本拠も被災している状況下では本位にならないことも起こりうる、もちろんそれは危険なことだけど。
その事例で何が困るのか、避難所スタッフの中で事態を消化できないものが現れるのも仕方なかったと思います。
方針として経費が貰えなくても避難所の皆さんには変わりなくいてもらうことが内内にスタッフの中で決まっていたのだけれど。。。
どこに問題をおくか、この記事中に何度も出てくる問いかけです。
赤字になっては困ると言う判断からの抗議ではなかったと信じたいです。

風評や噂に関することはたとえ献金問題であってもなるたけ公表したいと思います。


その3.2)
その前に、わたしがかつて政治記者で、しかも政権交代を仕掛けた人物だと気付いた方がいたので。。。それとなく過去記事にはあるのですよね。たった二人で取材を続けて相棒は現在全国紙のデスクです。
人のための人生が嵩じて相棒のためにわたしはゴーストライトに入ったけど今は引退。それが相棒のためだと思ったからです。
その時わたしが用意したカードの中には連座で落ちた小野寺のスクープも含まれていました。でも見逃しました。理由は秘密。
今回、また連座となる案件を証言いただいています。
何月何日、どこそこで被災地域の新進も含めた集まりがあり、どんなカタチのお金が出たか。そのときの物的包みもすでに入手済み。この部分は永久に削除しません。真実を勇気を出して語ってくれた方の地域を愛する本当の気持ちがとてもわたしには痛烈でした。
安心して下さい、もうこの記事ほとんどアクセスありません。気になって気になって。。。の関係者だけです。

最後まで避難所スタッフの手を離しません。その為に必要なら確実になってしまったことでも言い歩くことはないでしょう。
ただし、信頼できるデスクに先ほどすべて預けました。いつでも出せるし勿論自民とのコネもちゃんとあるのでゆくゆくはどうなるか想像の通りです。そうなる前に、わたしの避難所から手を引くことを強く要望します。それにね、こんなわたしなのだから、2億ぐらい5秒で解決なんだから。ちょっとは信頼して欲しかったですよね^^。
信頼する仲間、人、それを選び育つ感覚は心の目しかありません。いつかあなたの閉じたままの心が開く瞬間が来ます。出来ればその時、家族として皆さんと共にあれたらいいと願っています。

その3.3)
風評との戦いを始めています。この記事にも続けてメッセージを書きますが、ここへのアクセス数を減らすため、新記事更新を再開します。でもここを忘れないでね。


一番の風評は放射能のこと。
ツイッターとかBlogとか実測値をあげたりしてるけれど、実際にながく研究した人にしか本当の意味はわからない。
放射線量は安定していつも同じではないこと、機器の校正はそれぞれ持ち主が選べてしまうことなど数字自体があいまいだと思ったほうがいいです。
何がいけないかというと、当人自身が知識がなかったこと、それが騒ぎのもと。
たとえば数字をあげ続けてる人はあさはかさを自慢しているに等しい状況です。
原発に対する様々なことは20年以上前から誰でも調べて知識化することが出来ていて、専門的でなくても何がどんな風に危険かを知ることは出来ていました。映画でもかなり丁寧な作品がいくつかあり、そのつもりでそれを見るだけでもよいものがありました。わたしもそうやって知りえたひとりです。主にはチャイナシンドロームとかの言葉が出てくる作品は手本でした。
今回地震がおき、波も来て最初に思ったのはそれら映画で描写されていた事態。そしてそれから逃れられない真実でした。
同じく(公表したのでわたしも含めて^^)ジャーナリズムな感覚からいち早く現地入りした仲間が多かったし、直接支援で最初に行ったのも仲間が最前線にいるその場所でした。
ここで支援物資のことをしているけれどあくまでも後方支援のつもりでいること。そしていつか不測の事態があっても仲間の遺志を(勝手に殺してごめん)継ぐ覚悟でここにいるのが本当です。『おまえはここに来るな、あとをたのむ』と電話でのやり取りがあって、でもわたしはひとりの人間として今あり、阪神のときと同じ命の尊さとまた正面から向き合うことを続けています。そして案件を先日デスクに預けた時点でわたしはもう報道の世界とは違えることにも決めました。
わたしは職業柄の勘からすぐ避難所を取り巻く政治性に気付いていたし、ここではっきり言うけれど避難所スタッフを切り離して真実にたどり着きました。かつまたを洗うだけでブラックとの関わりもえてあっさり土建系ともつながってすぐに昔つかんだ小野寺の非公開ネタまでも手繰る結果となりました。
そして全てをデスクに返上したのも避難所を守るため。ただその一点。
昨夜前出の原発最前線から『おまえはいつも若いやつらに肩入れして自分を殺す。本当は世界一真実をたくさん知っているのに俺らにも語らない、でも最後に俺の骨を拾いに来ることはわかっているからな』という会話で仲間はわたしのジャーナリズムに幕を閉じてくれました。今までずっとヤバイ橋だけわたしに渡らせてきた^^やつらがわたしを見送ってくれたのだからそれでいいのだと思います。
彼らが見据えているのは50年後や100年後のことです。そのために今を追い続けていなければならない使命感、それがわたし達の原動力です。わたしは後方になったけど、代わりにその風評と向き合いたいと思います。

ほんとうは長く愛されるロールケーキを心を込めて製造販売の長くが永くではないことに大きな意味を与えてあるんです。

3.5)
歌津にロールケーキの工場を建てて、町の人をたくさん雇う夢を見ていました。
アレルギー対策に本気でいられる工場はたくさんは無い、日本中のコンビニで販売して、そして町の安定産業として。
その為の資金も前記のとおりすでに用意してあった。
でも現実は一人5000円の避難所経費をめぐる公金・支援金詐欺だった。
仮設建設工期を延ばすことによって得られる財は1000万単位、最初にそれに気付いたのはあろうことか避難生活をしている方々だった。そして本当はもうみんな知っている、それでもお世話になったから黙って出てゆこうって。みんなで決めている。
泊センターでお世話になったいい人だから・・・その錯覚は救いようが無い。
一番困っているときにお世話してくれた・・・ちっちっちっ。
お世話に必要だったものを得るためにたくさんの人を困らせていた。そして死の淵まで追いやっていた。
それを涼しい顔して泊で出して、泊まりの人が助かって。
でも泊まりの人がたくさんの人を困らせて次へ進む結果になって、本当は取り返しの付かない悪を仕掛けられていた。
周りの人はみんな知っている、でも知らないのは渦中の人だけ。そんなとんでもない偽善者、これからもずっと気付かないんだと思う。
信じるものを見直す力があなたにはまったく無い。目が覚めたときに得られるのは過去の罪悪ではない、新しい境地と正しい目で見る神々しい家族の姿です。子供の姿が本当に輝いているのを見つけられずに終ったら、どれほど子供にとって不幸か知れません。一番大切なものまで失う瀬戸際にいる家族の手を離さずにいます。もしかしたらその手の力だけで堕ちずに済んでいるのかもしれません。
今日はとても心臓が苦しくって更新続けられないです。また書きます。

3.55)
書いてる途中だったので一番肝心なこと書き損じていますよね。
じつはわたしが同じ地域で避難所の看板を降ろして戦い続けた方々のこと、ここにはあえて書いていなかったのですがそのわけを話します。
ちゃんと避難所として公認され避難所看板も持っています。でも看板を降ろして支援も無く政治の介入も一緒に防いで戦い抜いたんです。

なにが重要かというと、支援金ももらっていないのです。

つまり支援金なしでも避難所の維持は規模の大小に関わらず可能だったことを証明したのです。
ひとり5000円の支援金、定員数を超えて預かるかたちの避難所があった場合、通常より当然満室よりたくさんの入金があり特需に相当します。
ですがすぐそばでまったく支援なしで公認避難所が運営されていたとしたら、当然すでに支払われた経費も逆算して返金があって当然です。公費なのですから。それを出入り業者はじめたくさんの方がほかの地域で吹いて回っているのをわたしの努力では止められません。
おそらくこれは現実に起こる措置だと思います。そしてそれを消すために政治が動く。
でもその時が連座に落ちる隙でもあります。わたし達は支援金捜査の全国第一号を見るかもしれません。
でもね、わたしもできるだけのことを働きかけています。
色々なかたちで噂される支援金詐欺ならもっとほかにもたくさんあります。
金に目がくらんでいる加減はわたしがここに表現している通り、でもそれを悪と表現することに終始してはいません。
その罠を張った者、都合悪くなればトカゲの尻尾きりなやつ、そこを正さなければこの町の先はブラックなままになってしまいます。
この点で一致している方が同じ町の中にたくさんいます。

長いのはなし、次にします。

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3.6 (2011.08.20.12:00)
なかなか書けなくってすみません。怒涛の日々です、対策もどんどん進めている中で書いてもいいこといけないことがあるのも原因の一つです。
今回一般版で公開した支援金詐欺は地域の業者などが作り出した言葉です。しかし現在は被災地での様々な違法行為の報道が盛んな中で、新記事のヒット数が爆発的な状況です。でも取り下げるつもりがありません。そもそもわたしがメディア露出を果たせば土建議員やその会合日時も含め、全て実名でゆくことになるからです。
でもこれ以上実名で書きたくないですね。
全て社会は連鎖していること、完全に包囲されていること、こめちゃんの子の事や様々な行事のことを含め網羅が徹底しているかもしれません。それは皆さんを取り囲む更に大きな知らないほうがいい世界からの事だと気付いていると思います。
社会って狭いわけではないという体感をしたと思います。
もうあとには引けない、あるいは自分達が糸口を作るわけには行かない、そのほかにも色々検討の余地ある中で一番大切なことは何でしょうか。
わたしにどんなに機嫌をとっても何の効果もありません。きっとすっぱりとした道徳が備わっているからです。
あなたが怯えるのは、自分に道徳観や倫理観が無いからです。その分を補う協力者もいない、むしろ足りない馬鹿がいるぐらいで(笑)。いやでも実際そうだよ。もうわかるでしょ。
なんでそうか、類は友を呼ぶからです。
自分の不健全さに付け入られ、次々と同類が集まってくるのが社会というものです。そしてそれが一番人生にとってつまらない時間帯になるのも本当です。いまわたしが言ってもわからないかもしれないけれど、でももう待ったなし、理解してください。
またここに書きますが、今日は先に一般公開版の方を簡単に更新してアクセス先を変えます。

3.61)マーちゃん
画像はあとで消しますが、その記事の世帯の子です。その世帯へ簡単に連絡取れる外部の人物は限られている。

3.7)支援品詐欺
様々な泊崎荘を取り巻く事柄を次々とここに先行して書くだけのことであって、やがてはわたしがそうしなくっても公になるこことばかりだし、自分達には聞こえてこないことばかりなんだと思います。
たとえば女将が小野寺でというなら、もちろんわたしが知る三陸の皆さんにも応援してもらうことになるだけのことだし、そして宿泊者も洋菓子も、不思議となんだか売りが多い気がするのは通販のせいではないと気付いているはずです。
ここからは同じくわたしが言って歩いてるわけではないことだと前置きします、それはあまりにもリアルすぎるから関係者内に話しの出所があるからだと思われるからです。
わたしが合計1500万円弱を支援品として渡したと前提したら、そのぶんが全て泊崎荘の純利益になることはちょっと考えればすぐわかることです。町役場でも最初から最近まで相談に行くたびに一人5000円の宿泊費のなかから避難者に必要なものを用意して渡す、ただ宿泊してもらうためだけの金額ではない、その為の公費拠出なのだから。という話しを今から記事化します。それをどう泊崎荘に有利に書くかが現実には難しくって。。。一人でも泊崎荘の理解者が増えるように、表舞台だけでなくブラックな政治社会でもみんなの知らないところで活躍中です。ブラックのルールが金ならみんなの知らないところでみんなの知らないうちに有無を言わさないほどの桁にしてわからせているかもしれません。わたしはこの一週間で2回も東京に行き複数の関係者に会って、土産話しをし続けています。
政治家には出来ないこと。。。これを表舞台にさらしたサマーウォーズ。
最近出会った人は全然知らない話しを次段に書きますが、アニメの世界でもわたしのゴーストライトは暗躍してたんですよ^^。たとえばその夏戦、ばっちゃんが電話書けまくって結局日本を救ってしまう図は、今わたしが泊崎荘スタッフの知らないところでしていることそのものです。守ると伝えた意味、皆さんにわかってもらう日は来ないかもしれないけれど、よかったら絶賛レンタル中ですので見てみてください。じつは泊崎荘に置き換わる事柄満載の作品に期せずしてなっていて、もしかしたらわたしはこの作品をゴーストライトした縁で先代に枕元で会い、そして行った事も会ったこともない泊崎荘の皆さんのために影で億単位でわからせているのかもしれません。
4.0)初公開
結構がんばっていたゴーストライトの中に全力があります。
でも被災地に忙しくって7月末までとしました。こんな事もしながらずっと支援していたのが自分でもうそのようです。
http://ameblo.jp/zenryoku-usagi-blog/entry-10968158221.html
かつまたがしていたことはかつてわたしがしたことのコピーです。そしてそれがいい人だとか言うならば、全部わたしの賛辞になってしまいます。そんなみじめなことしてあげないほうが本人のために感じます。
支援品が純利益になったのなら、マージンとして受け取った手数料は実はたくさんの方からの支援品が全部吸い取られてマージンとしてほかの団体に流れたと置き換わる悪質なことなんです。政治社会やブラックな世界のやり口に詳しいわたしだからこそ、早くから手を切るように言っていたことです。やがてこの部分の追求がなされる日が来てしまいます。その時に泊崎荘が潰れてしまう事になるのもわたしにはわかっているのです。
ばかで自分がどんな紹介をしてしまっているのか本人にはわかっていなかったんです。そしてそれに乗ったたくさんの商品も、都会スレしていない純粋さから結局さらに大きなブラック社会に付狙われてしまった。それがブラックの本当の狙いだし最初からその算段でのっとりを計画していたことだから。
そんな構図をいくつも取材していたのに、一番助けなければいけない泊崎荘を救えなかった。かつまたの活動を何とかして手伝ってあげたい甘い気持ちで見過ごしていたから。それが以前女将に伝えた内容の本当の裏なのです。
でもまだ何とかなるかもしれない。それはまったく表に出ない、ましてやこの地域の感覚では知るよしも無い深い世界のこと。ここへこう書いても誰にも伝わらない、本当に伝わって欲しい泊崎荘やかつまたにも勿論同じことだと思います。
いったんTUNAGARIをやめなさい。そしてもう一度誰にも頼らず、猿真似もせず、本当の自分で本当の繋がりを三陸に確かめに来なさい。
期せずしてわたしの島にいることも何かの縁でしょう。そこでわたしの心が育ったのだから、きっとかつまたにも出来ると信じています。幼くて、していい事と悪い事の善悪をわかっていないし、その責任の重さも平気でちくる人と同じくわかっていない。教わらなかったろうし教えなければいけないタイミングで伝えなかった周囲にも責任がある。もう本人には備わらないかもしれない。それでもわたしは諦めずに手を離すことは無い。
たった一人の家娘のガセネタで人生が閉じてゆく人がいるとしたら、それでもあなたは生き続けますか。


2011-07-31 14:13  nice!(0)  コメント(14) 
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