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被災地の夜明け [プロジェクトB]

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ガレキも撤去され広大な更地になった国道にポツンとバス停があります。
ここがかつて栄えた町だった、その名残で同じ場所に設定されたバス停です。
そのはるか向こう、丘の上に明かりのある施設、そこが支援先の小泉地区の集会場です。
避難所もかねた学業施設の一角、保育園の並びに建つプレハブ小屋が集団移転を推進する地区の拠所です。
行政区は気仙沼市、でも以前は本吉町として合併した地域でした。

夏の初め、わたしが急遽の支援依頼で扇風機を届けた本吉診療所にはお医者様がおらず看護士若干名が必死に対応する
不自然な診療施設でした。
そして昨夜も支援した本吉小泉地区の集会場もなぜか空っぽのプレハブ小屋だけでした。集会場となす設備が一つも無い
不思議な場所でしかありませんでした。
不平等とわたしの責任の範囲ですが明記します。
診療所に扇風機、集会場に住民イベントの支援やいすやホワイトボード、全部わたし達の支援で始めて機能することばかり。
この街の行政は麻痺しているのかあるいは前出の不平等に徹しているのかどちらかだと再度明記します。

このての不自然な事ばかりすごい数の事例があります。それを丁寧に公開することをわたしは続けてゆきたいと思っています。

昨日は早朝に東京に戻り母の霊前に泊浜仮設の皆さんからの志をそなえました。
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CA3E04440001.jpg近所の駅で都内の画像を被災地の世帯に送りました。
『ここでは平日昼間でも地下鉄が5分おきに走り、都営バスも3分かからず次のがやってきます。
改札で携帯をかざすだけで朝5時前から深夜1時過ぎまで安価にいつでも利用できます。
お子さん達はきっとこんな街で暮らすことになるのだと思います。その為に万全で充分な復興をしておかなければいけません』何組かの支援世帯にこの駅前からメールをしました。

わたし自身が週何回か打ち合わせで東京に帰る度に、被災地の状況の劣悪さに怒り、復興に強い決意を感じています。
いつか支援した街の皆さんも被災した地域の皆さんも一緒に様々な振興がなされるように。
わたしが見ているこの街の景色の中には被災者の方の歩く姿も見えているし、同時に被災地では頑張ったチカラに共鳴し訪れる支援者の皆さんが泊崎荘でゆっくり過ごす様子も見えています。それは幻ではなくやがて現実になることとして・・・とても色鮮やかな光景としてわたしには見えています。
それがわからない被災を食い物にするやからを野放しにしないことが必要です。その為に被災地では何がおきているのかを公開することを続けてゆくし、そして皆さんの気持ちがお互いに通じ合う支援も続けてゆきます。
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その朝東京からメールした世帯に夕方支援をしました。お礼に頂いたその高校生が作ったおむすびが宝物に見えてなかなか食べれなかったです。

いつも訪問ありがとうございます。お返事も訪問も間々なりませんが、一人でも多くの方にリアルタイムな被災地が伝わりますよう今後もたくさんの方とのコミュニケーションが大切です。ご協力とともに、かたち無くても応援いただく支援をいただければ幸いに思います。
過日よりまた少し揺れを感じることが多くなっていて、在宅・仮設・避難所などで暮らす方の不安は増長しています。
あわただしく被災者の方々と連絡を取り合うことが多くここからの発信が精一杯になっていますが、より多くの方に実情と何より気持ちが届くことを希望します。
また朝が来ました、今日は佐沼の道の駅で待機しましたがこれから何軒か回ったのち調達に向かうため早々に出発します。
今日がまたみんなに上向きな日でありますように走り出したいと思います。


2011-09-09 07:05  nice!(0)  コメント(4) 

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