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被災地歌津なう5 [プロジェクトB]

色々聞き込んだこと書いとかないと忘れそうな勢いなんですけれど[あせあせ(飛び散る汗)]。。。
わたしが被災だとわかるとみんなどんどん連絡も詳しい話もしてくれる。そして、本当にどうすれば良いかも被災者の皆さんが導いてくれる。避難所の時はあれもって来てこれもって来てってなぜかいつも5の倍数ずつだったけど;、今は一個単位で正確に準備して届けることが出来ています。
そして、顔を見ながらこれがあるとこうなってこんなことになるから持ってこれる?って、夢のある目で話しが進んでゆきます。
目の奥で穏やかに見ていてくれると、それだけで支援してよかったなって思えて話し聞いてなかったりもします[たらーっ(汗)]
その逆にうらみつらみの告白もあります。避難生活の本当の痛み、TVとかでやっているものと同じとは限らない。だってチャンチャン焼きはやらせなんだから、要するにハッピーなんて今のところそんなにあるわけ無いもん。。。

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昨日も作業ご協力いただいてコカ・コーラいろはすを直接引取り避難所へ。
赤ちゃんや小さいお子さん用の飲料水だけど、どうしても理解がいただけずコミュニティーの大人だけ世帯でも全体へ均等に配って欲しいと譲ってもらえない場面も時々あります。
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次回からはお子さんだけになりますと説明しながら全世帯に均等配布になりました。そもそもお子さんも多いしお年よりも多いコミュニティーなので40世帯の半分ぐらいは対象者だったし、たくさん持っていったのでお年よりや子供世帯の割り当て数も充分な量になっていました。
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どうして均等を望むのか。それはこの地域では前段階の避難生活中にあってはならない理不尽な不平等があったからです。
それで社会性よりも個人尊重が最優先になってしまっているのです。
わたしはそれをわかっているので均等な支援方法の希望などには応じることにしています。だってそれが受け取り側の要望なのだから、必要な方に必要な支援をし続けている事象そのものです。
配布が済んでみんなが仮設住宅におさまったあと、三々五々子供家庭のお母さん方が入れ替わり立ち代りお礼を伝えにわたしのところへやってきました。散々な目にあっても、子供家庭では一般的な反応が出来る社会性が復帰していることが多いです。
それは子供の成長力が親をさらに正常な心理社会性にと逆に導いているからです。
わたしが子供を重視していることが多いのは、子供たちが持つ力がピンチな社会を大きく変える事を阪神震災で学んでいたからです。
子供がいる家庭が一番最初に明るく回復し、やがて周囲の大人もみんな真実を求める社会性を取り戻してゆくものです。

そしてこのコミュニティーの皆さん全員に大きな宿題も置いてきました。
今までは何でも均等、それが正しいと思っていたかもしれません。これって豊かなときの社会主義運営とかだったりして、各世帯の復興にはむしろ妨げだと思っています。
今度からは子供がいる家庭だけに配布します。。。これがわたしの出した宿題です。
育ち盛りの子供たちに懸念される問題の解決、弱者に対する思いやり、これらは一般社会のなかで当たり前に配慮される事柄です。そしてこれからは各世帯にあった成長を個別にしてゆくという、これも社会の中であたりまえの構造がこのコミュニティーで復活できるかどうかが宿題です。
被災前に住んでいた皆さんの集落で、そしてその皆さん自身は子供や弱者にどうしていましたか?。
また、昔のような素敵な町にしませんか?。。。

子供や弱者がいようが何しようが大人だけの私達も欲しいんだと訴える人が出てきて当然の境遇の中で、このコミュニティーが本当の復興に向けて第一歩を踏み出すかどうか。
でも焦っていません。もしわたしが望んだとおりの宿題の答えが出なくっても、また次になにか成長のチャンスがやってくる。時間の流れまで被災地の神様は見捨てていないと思っています。
それは泊崎荘に対しても同じです。むしろ今までのポリシーに戻る必要が無い逆の成長となるかもしれないけれど、復興が始まる地域の新社会にあった感覚に生まれ変わって行くことが復興の宿にふさわしい行動だと思います。名実がそろってはじめて看板のチカラが発揮できる。実が無いから批判が集中していると思いかえれるか。被災前の亡者である必要はまったくない、政治が都合よい屋根をかけてくれるかもしれないけれど、もてなしまではしてくれない。いままさにそのままの構図の宿に陥っていることにここで気付いて欲しいと思います。
それを悪とは思っていない。
足りないと思われる部分をけっぱって豊かにすれば、今のままの情勢でも政治も経営もバランスよくみんなに受け入れられるはず。足りないのは海を見つめ前を向くことではなく、空を見上げて上を向くことだという宿題です。


2011-08-24 06:47  nice!(0)  コメント(2) 

被災地歌津なう4 [プロジェクトB]

母の被災を公開せず、ただ平然を求めて受け入れることなく行方不明として電話だけ何百回もし続けた日々と、むくろを見て荼毘にするまで何も思い出せなかった日からの支援の辛さと。
本当の支援は出来ることを出来るだけ、でもそれ以上に必要とされる支援の眼前にずっと現場では一人だけで向き合っていました。ずっと辛いまま。
お互いわたしと被災同士の会話では、電話なのに今でもふつうにお互い泣きながらになる。
本当に理解できる苦しみは些細な事でも違いがわかる。
被災した喪失感や今でもあとを追いたい苦しい愛情はどんなに時間がたっても解決しない。
歌津ではガレキの原を見ながら、実は一点を凝視している方が多い。あんなに小さかったっけな、わたしの土地って。今でも泣き崩れる方がいる傍らでわたしもいつもおお泣きしている、歌津なう。

24TVの中にあったストーリーはほんの一握りでしかありません。命の消え行く境目が流れの中でつないだ手が離れただけだったりすることがたくさんあり、はぐ れるって言葉の意味が今でもわたしには受け入れられない。
時間がたって見つかった遺体がきれいな状態だったって言われたって、彼氏とはぐれてずっとそこで見つけてもらうの待っていた魂なら、女性として当然の身だしなみをずっとしていただけなんだとも思う。
寒く冷たかったし、音も勢いもすごかったし、ひたひたとやってくるとは限らずあっという間に捲かれて息も出来ずにもがくスペースも無い。わたしが見る夢の中での母はそれでもやっぱり無駄遣いしないでねと言い続けている。
結局一度も面と向かって謝ってもらった事無い頭も下げれない接客業なんて聞いた事ないし、もちろんその上でのロールケーキがお金に見えてるわけではなく口にする人の気持ちになっていると信じています。
その為にコンビニチェーンのオファーを取り付けていたし資金も用意していたのだから。今でも準備は整っています。


2011-08-23 06:55  nice!(0)  コメント(4) 

被災地歌津なう3 [プロジェクトB]

アクセスも連絡もたくさん頂いていて恐縮です。
別に暗黒面にいるわけではなくって、ふつうに殺してやりたいだけなんだよね。
でもそこを通らなければ支援している仮設に行けない、子供たちに飲料水を届けてあげられない、なんとかして気持ちがおさまるのを待つしかないけれど、逆に募るばかり。家族だからと思うから許せるけれど、一般論としてはよくわたしに文句を言える、というところでしょうね。でもわたしは手を離すことがないからこれからも何でも言い合えることに変わりはありません。でも全体も自分自身も見えなくなっているのが本当のところだと思います。出来れば早く状況を脱して欲しいけれど、信じるものを間違えてるからこのまま外部誘導から更生法適用が一番の薬なのかもしれません。
疲れているときに考えたことは、結果も疲れてしまうものです。リフレッシュしたいまならもっと違うアイディア沸くかもしれません。
世の中が自民党で出来ている横柄さがある地域性のなうをここに書きます。内容はすでに仙台中心に公になっていることのなぞりです。
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泊崎荘で支援物資を溜め込まれてしまって、その先へは届かず餓死しそうなので助けて欲しい。
ある自民党に関わった筋からの連絡でした。

泊崎荘そのものは地域の自民党国会議員を強く支持しています。
それが同じ自民党の街部から痛打を食らっています。
スタッフにだけわかるように表記しますが、街部で自民党をとつながりもっていて泊浜に詳しい人って限られている。本人がどんなに否定しても、なんなら裏もあかした方が良いのかもしれませんね。
何度も何度でも言うけれど、信じるものを間違えている。面白がられている。。。

わたしは泊崎荘の真実の何もかもを知っているから怪情報内容は疑いの余地もなかったけれど、仲間は心配になり、全国から急遽救うべく集まった支援品をたくさん持って泊崎荘のその先へ行きました。

その結果は小さな女の子がいる世帯とのコンタクトと支援品の引渡しでした。子供のいい笑顔が印象の記事でした。
その記事へのコメントも良識あるものでした。
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泊崎荘のこと、わたし自身は思いっきり弁護してお世話になった方々とも大喧嘩になったのだけれど、
でもそのわたしから世界中のみなさんには本当のことを伝えたいと思います。


前記事の仮名高倉荘に溜め込まれた物資は、本来公平に地域のみんなに行き渡るはずのものでした。
それが届かないどころか避難している泊崎荘から見える場所で、これ見よがしにフォークリフト搬送さえ使ってどんどん溜め込まれて続けていました。

被災して持ち物が何もない身になってみて下さい。
なくなったのは物だけではない、
大切な思いでも、
何より大切な家族親類の命もいっぺんにあっという間になくなったら。

少しでも手元に支援を届けて欲しい、時にはすぐに使いもしないどんなものでも。

それが本当だと思います。思いますではなくそうでした。
わたしの支援の最大の敵は、票読みでしかない政党政治と、『あっちには届いたけどこっちには届かない』という言葉です。
泊浜センターへの避難から続けて運営中心的だった方々への理解が一番最初の取り組みでした。
『支援品はちゃんとわたしが持ってくるから、もう二度とそんな事言わないで欲しい』。それが約束だったよね。
そして約束もちゃんと守ってくれた。
どんどんと届く支援品と比例して、どんどんみんな元気になって行く様子、いま書いていても涙が止まらない。

時間を置いて追記します、ちょっと辛くなってしまいました。
投稿も時限発行にしておきます。この記事があがるとき、たくさん連絡いただいている通りわたしはもっと元気になって、また書き続けられると良いなと思います。

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追記(201.08.23.06:00)
泊浜にいます、天候は雨。
追記で続きをと思いましたが、24TVの批判がいくつかきていて公告したい事があるので当初の分は別記事にします。
TVでやってたのみんなすでにわたしが(非公開でも)やったのばかりとか連絡どんどん来てたけどそれでもいいと思います。
でもなんでみんながっかり連絡かというと、都合のよい解釈と、支援のための辛さの無い、裏づけの浅い報道だからだと思います。
わたしはTVの裏を知っているからいつも通り全然見ていなかったけど、みんなが期待する味の涙が流れていたかどうかは考えようだと思います。
同じ事言ってた人が二人以上いる話しにしますが、たとえば漁でシャケ獲ってみんなで食べて豊漁ですとかなに言ってんだと思いますよね。それ女川からたくさん逃げたぶんだろうよオイオイ。この時期でふつう揚がらないから豊漁ってナニだし。
漁船を配ってたのその日だけし、現実とだいぶ違うよねって言うのはそれがTVだからなんですよね。
でもたくさんの命がのまれて、同じ波の中での運命はいまから変えようが無い。それはちゃんとたくさんの人に伝わったと思います。かわいそうだから支援するって言う向きにはして欲しくないけれど、それでも支援してくれるなら理由はどうでもいいのかもしれない。
わたしが同じく被災した感覚の中でしている支援は、必要だからしている支援です。
その為にいまもたくさんの連絡や相談をもらい、それは被災者だけでなく同じ支援者同士の連携、そして現地コーディネーターとしての受け入れ、そのほかにもたくさんたくさんの種類があります。
とにかく長期戦、理屈じゃないたくさんの人の希望を補強してゆくことはやり続けなければいけない。


2011-08-21 07:45  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう2 [プロジェクトB]

前記事で結構書いたので引いてる状況ですけれど。
注釈しなければいけないことが抜けていたと思います。
わたしが積極支援で支えた避難所というのは仮名泊崎荘です。同地区に『ニュー泊崎荘』と言うのがありますが、実名のそれと関係あるかどうかはわかりません(これじゃダメでしょうね)。
毎日の出来事の中で、一番取りざたされてきているのは道徳観・倫理観のない人とのかかわりです。
この被災地だけではなくその外でも出くわすことが増えていて、それは残念な年代があることが出てきているからかもしれません。
特に被災地では、活発で活躍しがちな方が最後まで一人でも多く助けようとして波に巻き込まれている地区をいくつか見受けます。そんな中で、泊浜地区に関してはその心配なく、もうすぐ最後の避難世帯も解消卒業にいたる状況です。
ただ一つのネックは泊浜地区で古来からある(仁義なきってことにする?)争いごと憎しみ合いが全てにおいて優先していることです。
この地区にもう一つ避難所になりうる仮名高倉荘と言う民宿があり、なかなか相譲らないおっさんがいるのです。。。
特に歌津地区での仮設住宅建設は、過去の集落単位で行われているのが実情です。ある意味集落ごとの集団移設に近い感覚です。泊浜でも同じく泊崎荘にほぼ集団で避難をし、先月いよいよ泊崎荘地先に隣接する状況で仮設団地も出来みんなで引っ越しました(ただし、漁業関係的に微妙な世帯はなぜか別地区に固まって入居、このことはまた別記します)。
そこでの団地責任者がこれまたなぜか仮名高倉荘になっているのです。もしわたしが任侠な人なら桜吹雪見せながら役場に単身わからせに行きますけれどね。なぜかと言うと。。。
じつは本来避難所として活動すべき仮名高倉荘は避難者を受け入れなかったのです。
なぜか。。。(引っ張りすぎましたか^^)、
仮名高倉荘は避難所機能の必要が出る時期までのあいだに、支援物資を溜め込みなぜか部屋からあふれ廊下にまで達して・・・避難者を受け入れることが出来ない笑い話しが発生したからです(今記事は軽いタッチですがここは笑いどころですから、呆れるだけでなく皆さんも史実として笑ってください)。
これが被災地の実情です。
もちろんわたしは自分の目とカメラでその当時の状況を確認しています。ただし取材ルール上不適切な方法で用意した画像なのでここにはあげません。そしてまだほかの方にも見せていません。いまもひとりでダンボールの溢れてる画像を見ながらこれを書いています。確かにこれじゃぁ誰も住めないよ。。。
そしてそれはわたしたちの泊崎荘にかかる支援金詐欺の言葉の出所にたどることも出来ることです。
本来なら一人5000円(クレジット会社手数料も含む、この事も別記します)の宿泊代を公費としてもらいながら避難者を受け入れる震災特需で収入を得ることが出来なかったねたみ。ねたみ、ねたみ。この出来事に泊崎荘側が巻き込まれていると、ここまでは思ってください。
たとえばすぐ見える近所同士でご自分がそんな立場だったら、みなさんどおしますか。ドカンと大きな建物が建っていて引っ越すことも出来なくて、ただただ言われ続けるばかり。ちなみに規模も全然大と小ぐらいの激しい差で泊崎荘が中心です。
そして避難生活で大変なところへそんな情勢を持ち込まれる仮設住宅生活者にとってはもっと切実だと思います。
話しの中心は被災して避難生活をしている方々です。
そのために泊崎荘として取り組んできたことが詐欺扱いされて良いわけがありません、ここまでは。
被災地なう、少しみなさんの理解を得るだけの時間を置いてからここに更に追記します。
それと一番大事なこと、ようするにわたしはなんか機嫌損ねて怒ってたりはしないということです。家族なら喧嘩もあるし意見も普通よりぶつかるだろうけど、行き先が解っていながら子供たちのキャンプに手土産渡したりしている事を考えて欲しいですね(もちろん本当に持って言ってくれるかは別にして)。
だれにでも出来ることではないと毎日支援しながら言われるけれど、だったら誰にも真似できないハートを持っているかもしれません。でもそれだけに裏切りは相手の方を見境無く許しません。
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先日漁船を支援した方から朝とれのシャケを頂きました。
わたしがなかなか一定の場所にじっとしていなくってすぐ頂くことが出来ませんでしたが、保存完璧で先日dogwoodカフェの協力で特別に一品仕立てていただきました。プリプリと鮮度を感じる味で元気頂きました。本当に本当に有難うございました。そしていまもなお様々な協力を頂いていることにわたしのほうこそ感謝したいと思います。まだ済んでいない支援も継続してお届けします。もう少しお待ちください。
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朝から歌津走り回りまくりでしたが、メインはこの@わんこのフードの支援でした。
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まったく言うことを利かない落ち着きの無い子ですが。。。
この子はあの日飼い主を助けた被災犬です。気になって自宅に戻った飼い主をどんどん引っ張り導いて高台に。背後には波が迫り残念ながら飼い主のお父様は間に合いませんでした。
避難生活中も共に生き残ったこの@わんこを隠す形で進行し、飼い主は食事も半分食べるかどうかで多くをこの@わんこに与えていました。そう言うケースはたくさんあります。動物は二の次、それが本当の人間の助かり方だからです。
でも最後まで見ず知らずの犬達を逃がし続けていたわたしの母がいた以上、わたしにとって命の大切さに大小はありません。
この@わんこのフードはわたしがずっと支援します。
一緒にがんばろうね。

 


2011-08-20 14:00  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう1 [プロジェクトB]

復興という言葉そのものの乱用が歌津では起きています。
泊崎荘の巨大看板がいくつかあり、真っ黄色地に黒々と震災復興の宿と。
馬鹿としか言いようが無いことで、黄色と黒字は宿泊業界でご法度の攻撃色バランスです。見ただけで寄り付きたくなくなる、その為のカラーですからね。接客する気が無いその気持ちのままです。
それに泊崎荘そのものは災害にあっていません。
たとえば水が出なかったとして、それなら東京の方が期間も長い暮らしの方が多数います。
そして孤立して大変だったとして、それも東京でも同じことが起きています。
施設にはヒビ一つ入っていない、それが逆に自慢ナほど。出来ればその長所をよいものにしてあげたいけれど。
極めて狭い世界観、実は自分自身が精神的に侵されていることに気付いていない真実は、結局本人には伝わらないものです。
友達や仲間を選ぶ場面が人生では残念ながら発生します。
付き合う男で人は変わってしまう、泊崎荘の場合はこれがそのまま適応されます。一番みじめなのは子供です。大人は自己満足で済むけれど、子供は親が死んだあとでも引きずり続けなければなりません。
たくさんの方の善意があっての今、たくさんの人に復興させてもらったわけで自分でしたわけではない。これが一生涯つづく真実です、消すことも変えることも出来ないし、ずっと重くのしかかる背中合わせの脅威に感じているのだと思います。自分達は何もしていないどころか、支援金詐欺として名前が挙がるお金に特化した施設として地域で名を馳せています。でも本当はそうではないことわたしはちゃんと知っていますけれど。
それを排するための心理配色がそのままデカデカと多数看板に使われているのです。
目立たなければ儲からないとか、その看板を掲げることにたくさんのメリットを感じたのでしょうが、先代からの雷は時に命を奪うかたちで襲い掛かることになると思います。
われに返る機会はたくさんあるかもしれません、これからも。
でもそのタイミングは重要です。
人をもてなすだけでなく、人の命も宿泊中に預かる、信頼をやり取りするその本分を思い出すまで、どうか世界中の泊崎荘に支援をした皆さん、しばらく待っていただけないでしょうか。彼女はやがて目を覚まし、正々堂々と子供に背中を預ける復興を果たします。
わたしから、くれぐれもみなさんに再度お願いします、復興には何年もかかります、どうかずっと待っていてくださるように。

そしてよかったら、わたしが丸抱えで仮設住宅支援している世帯の子との昨夜の次のメールのやり取りを読み取ってください。

>わたし→
あなたちゃんだけでなく兄弟ももそうだけど、家を出発して学校や街に出ればふつうの感覚のふつうのひと達の数のほうが多いからね。被災地の、特に生活まで変わっちゃった人のことを助けてくれるとは限らないし、こちらから助けてもらう事も出来ないかもしれない。

でも助けてもらわなければ、実際暮らしていけないと言うのも事実だしね∩∩。
あなたちゃん、兄弟君、母ちゃん、父ちゃん、じいちゃんもばあちゃんも、みんながほかの人達と対等に正々堂々と社会で関わりあってゆくために、わたしは何でもしますからね、物だけでなく何か困った事があったらいつでも何でも連絡してね。
わたしから問い合わせることはしないから、みんな携帯にわたしのテル番とメアド登録しておいて下さい。
そのかわり、正々堂々とスポーツマンシップ的に生涯生きていこうね。

>あなたちゃん→
はい!ありがとうございます!!
頑張っていきます
なのでいろいろ迷惑かけると思いますが、今後ともよろしくお願いします(^-^)/

>わたし→
了解です、おやすみなさい

>あなたちゃん→
おやすみなさい
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被災地のわたしのリアル、すべて仮名ですが、せめて町の美観を損ねる看板は書き換えではなく撤去が正しいと思います。
もう看板を掲げる権利が社会的にありません。もしくは付き合いを変えなさい。世界中の誰もがそう望んでいます。
こめの子はわたしが育てます。本来なら飼育拒否をわたし達に紹介する侮辱、生き物に対する考えを許すことはありません。


2011-08-19 09:22  nice!(0)  コメント(0) 

復興から再生へ [プロジェクトB]

先日小泉地区の皆さんに支援したなかから、スローガンを表題として使わせていただきました。
多くの被災地からのアクセスに答えて記事化します。
現在は復興を日々感じる状況の方も多いと思います。
現状を被災地の外へ発信する役割をNPO団体の妨害で果たせていない現実を悔やみます。
いまからでも出来るだけ取り組んでゆきたいと思います。

そんな中、ただ避難所に漫然といたわけではない方々を紹介します。
小泉地区集団移転協議会・小泉地区の明日を考える会 が前出の地域にあります。
わたしが今から書くことはわたしの責任の範囲のもので、地域の方に迷惑をかけるものではありません。
現在は気仙沼市となっている本吉町、実際のところなかなか融通の効く行政対応ではありません。基本的には元の気仙沼地区が行政対応の中心となっています。
現在も避難所に暮らす方が多数いる地域であると同時に、270戸ほどがすっかり更地になってしまった、何も残らなかった地域でもあります。
わたしが出来る支援は直接必要なものを届け、あるいは進展しない行政との設備充実交渉を見かねて個人支援をしたりすることになるだけです。
未来を考えている方々に一つずつ、一歩ずつの足がかりを固めてゆくための支援をしてゆきたいと思います。
画像は8月16日夕方からのイベントの全体像です。これをマスコミ公開なしでやったこと、もちろん趣旨も色々ありますが、町の人たちでこれほど大規模に作り、町の人たちだけで見続けたことの意味が損なわれないようにしたいと思います。
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金まみれの土建議員も政治家もそくらえです。どこかで見かけた・・・地域に一生懸命と書かれた某国会議員のポスターが『お金に一生懸命』と書き換えられていたの見かけて半日ほど大うけでした。わたしがやったんじゃないけれど、全国から集まるボランティアの方のGJでしょうね。中じゃー崇拝者いるみたいですけれど、外じゃーそういう方なんでしょうね。
フェーズ四配置についています。


2011-08-18 11:05  nice!(0)  コメント(0) 

いてまえ作戦フェーズ3 [プロジェクトB]

ずっと更新できていなくってすみません。
今日も対策のために歌津宿泊しています、衛星GigaLAN使い、久々のUSAネットラジオにも接続しながら書いています。
書きたいことはいっぱいあります。でもここで書けることばかりではありません、それはピーマン(業界コード名)が真似することでたくさんの方が困るから。
そして本来被災地からリアルタイムで発信して皆さんに本当の被災地を知ってもらうことが出来ないという結果になっています。
これが一番いけないことで、それほどまでに害悪ナ団体に対して、NPOの法規にあわせて中央から照会も始めています。このまま成長を待って活動させとく必要ないと判断しています。
そして最大の焦点、わたしがメディア露出して真実を伝えること。。。様々な方に打診している中で全員がGoサイン。
『世の中の良心を信じたい』と頂いた言葉には、でもまだ答えが返せない、それほどの被災地泊浜の真実を知っているからだと思います。様々なケースを実体験し続けているのは、あちこち支援し続けているわたし独りだけなのかもしれない。
でもわたし自身にはまだ時間をかけたい気もしているし、復興のスピードとのタイミングも大切にしたい。
あれだけひどい仕打ちをされて。。。自分の身も果てるところだったのにどうしてなのかと問われますけれどもね。
今でも仕打ちと背中合わせで、心臓の苦しさに任せ自分で自分に手をかけることをためらわない辛さの中にいるけれど。
当人はわかっていないんですよ、人を一人殺したことも、そそのかされて利用される作りこまれた状況にいることも。
わたしはずっと手を離すことはありません。
ほかの人にはわからないその大切さを知っています。震災で全てをなくすはかなさも。ぬくもりが刻々と消えてゆく真実も。
それだけに冒涜は許す気にならなかったんだと思います。週末にフェーズを四に移行すること、その為の配置にいま歌津にいること、事の全ては非公開で果たすことも理解を求めたりは出来ません。本当に大切なことが子供達にも伝われば、それが被災地にいる宿命として生きるすべになるかもしれないし、その手段が命のやり取りであっても、ここでは許されると思います。現在もなお彷徨うたくさんの魂のある被災地の子として。。。真実と強くなれ!。

そもそもいてまえ作戦がどんどん進んで、フェーズ3はどうなっているのか全然公開してないし(笑)。
現実的に被災者の方々一人一人に向かい合うことしている細かさがどこまで出来るのかまったくわからなかったけど、どの場面でもわたしの支援品を見かける状況がわたしには不思議な空間です。
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お渡ししている仮設セットのすだれや自転車や物干しのある世帯や、
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沖に漁に出たままになる方がわざわざわたしの支援品を持って船に乗ると連絡いただいたり、スタンドで使っている備品、手を振る方々が着ている衣類、あげればキリがなくなっています。
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あれはどこでどんな方々から調達したとか、どうやって運んだとか、どう渡したか、まるでその人の心が透けてるような笑顔が本当に本当に尊く思います。まさか東日本で一足だけしかない靴を調達しに日本海側を走り回るなんて。でも全部大切な支援です。
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フェーズ3はたくさんの方に一番必要としているものを届け、町全部を制覇するいてまえ作戦です。その目的が隠密な政治の排除かどうか、わたしは選挙関係者ではないですからね、ここで書く必要もないし、困っている方個別の支援を直接しているだけです。支援した誰に聞いても、時にわたしから支援受けてることすら語らない場面もあると思います。
そして支援がライフラインに関わるデリケートなものだから、誰でも取り扱って成果の上がるものではないことが公開にいたらなかった原因でもあります。模倣はいたずらに被災地を混乱させる大切な生活物資だからです。
仮設住宅の配管は新しく、正直言って汲むと色づんでいます。
これを口にすることで不調になる場合が多くあり、まさかのある特定の胃薬の欠品が起きています。
ましてや子供達には飲ませられない。親御さんの切実な訴えを聞くに堪えずはじめてしまったことです。これを配ることは一番ハードルの高い支援だと感じています。それは結局政治の道具に使って配っている企業・団体があるからです。

子供用の飲料水には特別気を使っています。
お渡しするとたいてい涙をぽろぽろ流し何度も何度も繰り返し頭を下げ、泣き顔を見られないようにするお母さん達がほとんどです。掛けるわたしの言葉も詰まりがちだけど、気持ちが伝わる支援なのだから本当は言葉なんか要らないはずです。でもどうしても励ましてあげたい。たくさんの子供達と過ごした親として、毎日いまも見かけた子とすぐ遊んでは辛い別れを思い出すくせにわたしの支援は変わらない。

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わたしがたっての願いで叶えていただいた協力企業、強力企業と言うべき飲料メーカー様です。本当に有難うございます。
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そして今日もたくさん積んで被災地の子供達に届けています。
原動力がわたしの過去の経験からだけでなく、この記事に来ていただく皆さんのチカラと希望であることを特筆します。


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子供達のキャンプなどの関連ヒットが多いので、Twitterで伝えた通り画像無しとはいいながら、一部案内のご紹介。
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あえていまから間に合わないものにしておきますが、この団体の一例のように地元定着のボランティア監修のキャンプを毎日たくさんしています。様々な配慮から当然水辺のイベントは控えていますが、それでも被災地なりの思い出に、わたしもできるだけたくさん何口かのっています(乱入が多いですが、それぞれ支援もしています><;)。

昨夜はマスコミ非公開がもったいないぐらいの大イベントに思いっきり支援しました。前夜祭の部分なら協力頂きながらでしたがフル支援と言える内容だったと思います。
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星空の中の犠牲者の方々にもはっきり見えていたと思います。一つずつ集めたペットボトルが大きな成果になった気持ちも子供達に届いたと思います。ガレキの残る高架橋に新しい橋、復興の中でひと時の完全地域主体の催しに支援できたことを光栄に思います。集まった方々が共に近況を語り合い生存を確認しあう場面がたくさんあり、開催に支援してよかったと密かに涙して過ごしました。
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どこからともなくやってきて消えてゆくやり方では意味がない。
いまこそ地域の方による地域を元気にする集いが必要なタイミング、それがこのお盆期間でした。
予定をはるかに上回る人出となったことがその証だったと思います。大量に支援しましたが正解でした、今から書いても後だしですが、わたしにはこの事態が想定できていました。それはたくさんの地域に細かく支援しているわたしなりのニーズとシーズのバランスだったかもしれません。。。


2011-08-17 08:48  nice!(0)  コメント(3) 

(ある日の被災地)ご報告 [プロジェクトB]

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避難所スタッフのみなさん少し安心して下さいね。母は大丈夫、何より一番良いお供え物です。ありがとう。
土葬からおこし(実は混乱の中で取り違えでした、でももう間違いありません)、近所の火葬場まで搬送して頂きました。
被災地ではあくまでも遺体としての処理だけであり、拝んで頂いたり戒名を頂いたりするわけではありませんでした。
位牌が無いのはそのためです。
わたしこそ、このお盆中に先代に尽くしたいと願っています。

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改め1

時間がとれて記事に向き合う時に限って心臓が不調の時です(笑)。あと何回書けるかとか、そのほかにも全ての動きに『残り何回』みたいなインジゲーターが緑色の数字で一緒に映って見えるし、きっとやがて黄色になり赤色の表示になった事に気付くことなく何かをずっと見据えて行くような、何だかとても不思議な達観した感じです。
何が起きてもいいところばかりが見えて何でも許せるし、コレが本当の意味で自由と言うんだと思います。
ずっと誰かのためにばかり生きていることに気付いたのも『もう充分走り回った』と言われたからだし、わたしこそいつも被災地の皆さんに助けて貰ってばかり、出来ることならもっとゆっくり皆さんと過ごしたい。そして皆さんが心の中に秘密を閉まってしまうことなく、心の底から笑顔でいられるように全ての問題を排除してあげたい。

復興すればするほど人として大切な部分をみんなが失ってゆくのが本当に本当に辛い。

物資でも気持ちでも、たくさんの障害で苦しい状況下に陥っていた頃より前から避難所を助け、スタッフにゆとりある正しい判断をして貰えるようにしてあげたかった。お金の為にある以前の人生を脱し、人の為にある新しい2つめの人生で支え合う経営にしてあげたかった。
結果はよくも悪くも必ず出る。

未来を食い尽くすお金ではなく、将来もずっと明るい笑顔でいる決断を。
まだ間に合うことあなたに伝えたい。

フェーズ2の情景、お姉ちゃんこれでどうでしょう。。。小さく見えるけどトラックの荷台長だけでも6.2m、船長は7mぐらいです。はみ出しちゃうし1200km搬送だったので壊さないように24時間以上かけて持って来ました。
ツッコミ入っているもう一つはあとでまた書きます(><、)。
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改め2 (2011.08.12.05:15)
画像を合わせてと思いますが、兄ちゃんはシャイでなかなかそうもいかなくって。
昨夜もお会いしましたが、でももう隔たり無くお互い挨拶できる仲になりました。あんちゃんだって思うこといっぱいあるだろうに、でも毎日がんばってるのはみんなも同じです。
過去記事で断水の避難所の日々を水を運び続けて支え続けたヒーローを甥っ子さんと書いてしまったのですが、あんちゃんの表記ミスです。改めて被災地ではたくさんの見えないヒーロー・ヒロインがいること、そしてあんちゃんが正真正銘の避難所のヒーローなこと、ここに正しく書き込みます。スタッフ全員に感謝、避難していたみんなが中々そう伝えるチャンスは少ないかもしれないけれど、
代わりでよければわたしから。

今からのほうが大変です。昨夜も社長に説教しちゃったけど、みんなの今日までの頑張りが無駄にならないように、お互いを支えあい、一緒にこの町を大切にしよう。たくさんの外圧があっても呑まれずにすすむ道がそこにあるのだから、やつらみたいに自分だけよければいい場所にしないよう、いつも一緒に毎日を過ごしていきましょう。今までみたいに自分だけでじたばたする暮らしは終わり!。これからはたくさんの支援者がスタッフと共にあることを忘れないで。それがここの二つ目の新しい人生としてスタートしています。たくさんの方と出会えてよかったね。これからはもっともっとたくさんの方に笑顔を渡そうね。

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報告2
このBlogや関係各所のBlogを通して人に不快を与える団体があります。Blogレイアウトの酷似を始め、行動のトレースをして公開する等、人を困らせる行為は犯罪です。多分社会での生き方の基本を知らない集団、だからこそ群れているということ。すでに貴Blog運営会社に打診中です。団体を代表するBlogが閉鎖では笑って済まされないことなので、関係者全員に筋の監視が付いていることも含め事前に公告しておきます。

というわけで、毎日怒涛の被災地の状況を正しく公開できなくてすみませんでした。これが被災地の現実的な環境そのものです。被災を利用して自己満足しているだけの団体、考えてみればわかることですが被災者を思う気持ちがあればそんなこと出来ないしそれどころじゃないわけです。警告は充分しました。やがてフェーズが4になる前に。。。

被災地のある日の出来事。
遠距離調達のあと調達地のお土産を置いて支援避難所に出発、そこで支援品を避難生活世帯に渡しました。Sendは一部お任せでしたけど、希望品の娘さん分は実は東日本でたった一つしかないものでした><、。Send品も含め皆さんが気に入ってらっしゃる様子、特に娘さんの笑顔、お礼メール画像見てわたしのほうが感激しました。お互いのメッセージのとおりこれからも支援体制にかわりありません、こちらこそよろしくお願いいたします。おしゃれも復興の大切なキーですよ*^^*。
そのあと、別の場所で生鮮物資支援をして皆さんと一緒に夕飯。ここではまだカップ麺とおにぎりです。わたしもあらかじめ買っておいたもの持ち込んで一緒に3分待って。また蟹頂きそうになりましたが、今回はパスうな。ペットが居る事初耳でお伺いしました。わたし個人からフード支援もすることにしました。どんどん心を開いてそのぶん明るくなる皆さんの姿にたくさんの元気をもらいます。
その後、別の世帯に支援。
110811_2036~01.jpg(プライバシー保護などの理由で一部モザイク;)
支援品組み立て風景画像で送っていただきました。ペットちゃんが興味心身で確認中の画です。@猫の気持ち・・・(笑)。

CA3E0252.jpg
そして避難所スタッフにもお土産届けました。参考になるはず、そして肝心の作品のできばえの意見はあとで。
このリードも渦中のころ避難所マスコット犬へ届けたわたしの支援品です^^。@犬の気持ち・・・(もう吠えないで><;)。

帰りに歌津から石巻までチャリさんヒッチハイク。悪いボランティア事例のレクチャーしました(爆)、後日お伺いして改めて画像アップします、みんな覚えておいてください。

さらに夜分宿泊先が見つからないボランティアさん5名を支援避難所にご案内しました。道のわからない方々ですが、その避難所何丁目ですかとか、明日からはもう訊ねる事無くなると思います。なにしろわたしが支援している避難所までの道は何もありませんから。。。たぶん字を知らない地域の方だと思います。ご丁寧に到着連絡まで頂きました。
支援品でいっぱいだったトラックは空になり仙台に行ってまた深夜調達。その後夜のうちに歌津に戻りました。
こんな半日でした。
全日紹介できるようになったらいいのですけれど、いてまえ作戦中対策ですみません。


2011-08-12 06:52  nice!(0)  コメント(0) 

手のぬくもりの中で [プロジェクトB]

CA3E0227.jpg 
いてまえ作戦フェーズ3、現在も着々と進んでいます。
毎日たくさんの出来事がここへやってくる。ここはとても活発で南三陸町復興の最前線です。
人生の本物がここにあります。

(最近は続けて書き込みが出来なくてゴメンナサイ、調子悪さの進み方が加速度的になってて。時々休めばなんて事無いですから、また書き込みあとでします)
多分わたしが最後の1人になるのかも知れないけれど、それでも手を離すことはありません。
それは今度こそあたたかな手だからです。
あの時のようにどんどん冷たくなる事のない温もりのある家族の手だからです。
またあとで(*^o^*)。
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なかなか他の記事も追記更新出来てなくてスミマセン。
わたしの支援先に限っては復興速度が早くって記事化するより実支援に追い立てられる状況下にあります。
でも皆さんが知りたいのはその部分なのだから、時間を捻出し更新をしたいと思います。
ちなみにお姉ちゃんから指摘有りました項目を最優先します(≧∇≦)。


2011-08-08 04:29  nice!(0)  コメント(2) 

いてまえ作戦フェーズ2 [プロジェクトB]

被災地の夢、漁師さんたちの夢を叶えたフェーズ1。
最終兵器と思われた漁具一式の配布でしたが、もっと最終兵器だします。

P8050007.JPG
瀬戸内海に来ましたここから歌津まで最短でも1200km超えです。

わたしの母はダメでしたが、その状況を生きた人たちが政治に翻弄されるような悪は絶対許さない。
それに打ち勝つこと、政治や体制にこびなくても夢がちゃんと叶うこと。
支援者みんなで被災地を助けたいと思います。

現在岡山県倉敷市の瀬戸内沿いに来ています。瀬戸大橋を通り過ぎた先あたり、被災のヒの字も無いここでも支援者の方々がたくさんいます。

だいたいにおいて、反政治活動の人のほうが圧倒的に多いのに。。。こちらのほうが悪の心配をしたくなる状況ですよね。。。大丈夫なんだろうか。

昨夜のうちに関西地区に刺客も配置し態勢は万全です。
夢をかたちに、またすぐここにいてまえ作戦フェーズ2の経過をアップします。


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折り返し(2011.08.05.11:50)
11時に現地を折り返しました。
今回の支援品はこれです。
CA3E01890001.jpg  CA3E01870001.jpg

ああやっぱりみたいな^^;。
マイ漁船、一生のうちでこれを買うとは思ってもいなかったけど。
これがあれば養殖漁業が出来ると、波かぶって流されて諦めたこと。

漁船があったらいいのにという・・・夢を叶えたいと思います。
個人での売買も大変だけど、運送費がもっと大変。
わたしが自分の漁船を自分で引取りにいくのなら、経費とは言わないですからね。
壊さないようにゆっくり1200km走って、三陸に支援の気持ちと諦めない夢を届けたいと思います。
体制や政治家に頼らなくっても自分達で解決できる。これが本当の復興です!!。
今回もたくさんの方のお手伝いと支援がありました。まだまだ三陸に帰る道は長いけど、みんなの応援もとても大きな支援になっています。ありがとうございます。

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お届け完了 (2011.08.07.13:00)
朝のうちに港で漁船を引き渡しました。そのあと歌津の避難所と仮設とにそれぞれ支援して、現在気仙沼にいます。
ここで歌津中学の野球部の試合が行われています。
この試合に間に合うようにハンディーカムを1セット支援しました。
今までの写真や記録は全部流れてしまったけど、これからは支援品で記録を残してゆこうと思いますと今朝連絡頂いて、急遽合間に応援に来ました。中学3年生は最後の大会です。優勝できればいいのですがとの話でしたが、勝ち進んで現在決勝戦です。これが正真正銘お子さんの中学最後の試合です。
色々大変な状況で始まった3年生ががんばる姿でまたたくさんの元気が出ると思います。

そしていてまえ作戦フェーズ3も始めています。
今度のはすごいです。たくさんの三陸町の皆さんを一気に助けます。


2011-08-05 12:01  nice!(0)  コメント(6) 

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