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被災地歌津なう14(リンク:RT希望) [プロジェクトB]

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このコンクリートの土間にダンボールを敷いて、面積が足りないから交代で休みながらあの日から10日以上過ごした方々がいました。海岸沿いの高台のこの広い倉庫で寒風が吹き抜ける3月11日からのことです。あさ目が覚めた女性の足に雪がうっすら積もっていた日もありました。
もう二度とあんな思いはしたくない。
そしてもう寒い思いをさせるようなことが無いように。

この被災の支援で一番重要なことは命を支えることです。そして直面した不安が再来しないように支えることです。

全て何にも無くなり、昨日まで一緒にいてこれからもずっと一緒のはずだった肉親をなくし、ここでどんな思いで時を過ごしたか。
ここにいた多くの方に聞き込みをしましたが、全員何日ここで過ごしたか覚えていません、全員です。
その記憶は深く心に残り、これから冬を迎えるにあたって不安や心理の不安定もどんどん進みます。
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お待たせしました、電機メーカーのみなさん出番です。
流通倉庫から運送会社様の留め置きで大量に丸ごと全部調達です(一部画像で紹介です)。
すでに述べ300基以上を歌津に配りました。そしてまだ数十基が被災地で待機中です。
仮設団地であっても世帯として独立したものとしての支援を続けています。常に全員が均等とは限らない現実、それが冷遇や差別から来るのではなく、あの波の直前までみんなで助け合って思いあって暮らしていた町を取り戻すため。
それぞれを尊重し思いやりのある町の復活を目指して、わたし一人だけが取り組んでいるのだろうけれどずっとそう続けます。行政も誰もそう取り組まないのだから。
そのために世帯として在宅被災世帯も仮設団地世帯も同じ支援をしています。
歌津では現在宵の口などでも15℃を下回る日が続いています。ここは東北地方です。

一度支援をしている方がほとんどだと思います。でも季節が変わり状況もどんどん変わっています。
今一度ご自分自身の暮らしを見渡し被災地の様子を比べてみたうえで、出来る支援を再度お願いしますm(_ _)m。
支援方法がわからない場合はお問い合わせください、また遠くても物資の引取りに行っています、ご連絡ください。

ハエ獲り紙から漁具漁船まで支援しずっと現場にいるわたしから、是非皆さんにお願いです。


2011-09-10 08:29  nice!(0)  コメント(4) 

被災地の夜明け [プロジェクトB]

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ガレキも撤去され広大な更地になった国道にポツンとバス停があります。
ここがかつて栄えた町だった、その名残で同じ場所に設定されたバス停です。
そのはるか向こう、丘の上に明かりのある施設、そこが支援先の小泉地区の集会場です。
避難所もかねた学業施設の一角、保育園の並びに建つプレハブ小屋が集団移転を推進する地区の拠所です。
行政区は気仙沼市、でも以前は本吉町として合併した地域でした。

夏の初め、わたしが急遽の支援依頼で扇風機を届けた本吉診療所にはお医者様がおらず看護士若干名が必死に対応する
不自然な診療施設でした。
そして昨夜も支援した本吉小泉地区の集会場もなぜか空っぽのプレハブ小屋だけでした。集会場となす設備が一つも無い
不思議な場所でしかありませんでした。
不平等とわたしの責任の範囲ですが明記します。
診療所に扇風機、集会場に住民イベントの支援やいすやホワイトボード、全部わたし達の支援で始めて機能することばかり。
この街の行政は麻痺しているのかあるいは前出の不平等に徹しているのかどちらかだと再度明記します。

このての不自然な事ばかりすごい数の事例があります。それを丁寧に公開することをわたしは続けてゆきたいと思っています。

昨日は早朝に東京に戻り母の霊前に泊浜仮設の皆さんからの志をそなえました。
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CA3E04440001.jpg近所の駅で都内の画像を被災地の世帯に送りました。
『ここでは平日昼間でも地下鉄が5分おきに走り、都営バスも3分かからず次のがやってきます。
改札で携帯をかざすだけで朝5時前から深夜1時過ぎまで安価にいつでも利用できます。
お子さん達はきっとこんな街で暮らすことになるのだと思います。その為に万全で充分な復興をしておかなければいけません』何組かの支援世帯にこの駅前からメールをしました。

わたし自身が週何回か打ち合わせで東京に帰る度に、被災地の状況の劣悪さに怒り、復興に強い決意を感じています。
いつか支援した街の皆さんも被災した地域の皆さんも一緒に様々な振興がなされるように。
わたしが見ているこの街の景色の中には被災者の方の歩く姿も見えているし、同時に被災地では頑張ったチカラに共鳴し訪れる支援者の皆さんが泊崎荘でゆっくり過ごす様子も見えています。それは幻ではなくやがて現実になることとして・・・とても色鮮やかな光景としてわたしには見えています。
それがわからない被災を食い物にするやからを野放しにしないことが必要です。その為に被災地では何がおきているのかを公開することを続けてゆくし、そして皆さんの気持ちがお互いに通じ合う支援も続けてゆきます。
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その朝東京からメールした世帯に夕方支援をしました。お礼に頂いたその高校生が作ったおむすびが宝物に見えてなかなか食べれなかったです。

いつも訪問ありがとうございます。お返事も訪問も間々なりませんが、一人でも多くの方にリアルタイムな被災地が伝わりますよう今後もたくさんの方とのコミュニケーションが大切です。ご協力とともに、かたち無くても応援いただく支援をいただければ幸いに思います。
過日よりまた少し揺れを感じることが多くなっていて、在宅・仮設・避難所などで暮らす方の不安は増長しています。
あわただしく被災者の方々と連絡を取り合うことが多くここからの発信が精一杯になっていますが、より多くの方に実情と何より気持ちが届くことを希望します。
また朝が来ました、今日は佐沼の道の駅で待機しましたがこれから何軒か回ったのち調達に向かうため早々に出発します。
今日がまたみんなに上向きな日でありますように走り出したいと思います。


2011-09-09 07:05  nice!(0)  コメント(4) 

被災地の夜 [プロジェクトB]

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激しい雨でしたが気が付けばいつもの星空です。
冬の星達がたくさん並ぶ中、一晩中走って心配事を一つでも減らす支援を続けています。
もう寒い思いをしなくていいように、時代が変わっても真夏のオリオンに全てをかけて託す強い願いは一緒です。

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昨夜の泊浜仮設住宅団地、降り始めの様子です。

ひまわりも落ちて気持ちはお互いに通じ合いました。結局正しく落ち着く自然の摂理のそのままにです。
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亡き母に心遣い頂いて、みんなの前で泣きました。
あらためて泊浜の皆さんに心から感謝を伝えたいと思います。
ありがとうございました。走る時間になったのでまた伺います。


2011-09-06 04:32  nice!(0)  コメント(8) 

被災地歌津なう13 [プロジェクトB]

歌津中学校の運動会に行きました。
午前は体育館で。プログラムを変更して屋内でも出来るもの中心に行われました。
そもそも組み体操とかは体育館で練習していたしそれでふつうだったかも。
お昼時になってわたしが来ていることがバレて。。。
朝のうちに届けた支援物資のお礼もかねて、夕方になってから中学生からメールが来ました。
ふだんグッタリしてのんびり系のその子が活き活きとして中学生らしかったのをはじめて見た感じでした。
わたしのほうこそ元気いっぱい貰えました。

昨日たくさんの仮設に届けたのがコレです。
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それぞれお試しでどっちが優秀か。。。
街中の感覚ではコンバットだと思いますが、地域的に人気はアリの巣ころりです。価格もそんな市場性を反映してるんですよ。
畑やら野原、造成して建てた仮の家なわけだから当然自然の勢いのほうが断然強くって部屋の中に行列有りです。
台風の影響は少なかったのですが、実は影響の出始めた初日の夜中に高潮が心配だから見てきてと連絡もらって、夜中の河口に見に行ったのですよ。。。
いつも漁協の番人がいるのですが(後で理由記事書きます)、ぐっすり寝込んでいてついでに合法的にサックリ全部取材させていただきました。関係者まっつぁおの一文でしょうね。寝込んで役に立たなかったやつが悪いのですよ。
それにそのレポートはすでに中央に送りました。
高潮の心配で学校を休んだりする事例もあったし、影響の出方が違うけれど被災地では違う意味で強力な台風でした。
漁協台風クラブ(なつい)な日かな。


2011-09-05 07:55  nice!(0)  コメント(2) 

被災地歌津なう12 [プロジェクトB]

今日歌津中学校の運動会が行われます!!。
風がありますが空は雲間から明るい光が差しています。6:00ゴーサインです^^。
にぎやかな地域自主イベントは最近とっても多いです。先週は平成の森で歌中野球部員の卒部イベントがあってOBもたくさん集まり試合もしました。

子供たちが限られた環境と暮らしの中で、本当の意味で葛藤と背中合わせで心も体もがんばっている姿。わたしには皆さんと違う状態として子供たちの心が透けてる感じです。彼らはわたし達全員の希望なのかもしれませんね。
3月11日、志津川の一番海側のマンション屋上で波に浸かりながらも助かった高校生がバイクの免許を取り学校へ自分で通えるようになりました。わたしが世帯支援している方のお子さんです。連絡つかず場所的にダメだと覚悟した子と連絡がついて、その時のご両親の気持ちは計り知れません。
昨日早速バイク乗る時のジャンバーの支援依頼があり、ご家族おそろいのデザインで用意しました。ついでにママさんの靴もです。
『っか免許取得[ぴかぴか(新しい)]おめでと~[るんるん]!!、何回かすっころぶんだろうな。。。ニヤリ』というわたしのメールに『・・・でしょうね( ̄ー ̄)(笑)』と返信の母ちゃん、心配よりもうれしさのほうが大きいんですよね。
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夕方になってから母ちゃんに連絡頂いて向かった調達先にあった指定の靴は、以前わたしが支援した靴と同じデザインでした。
品薄で現品限りだったのでもう一足って感じの自分にご褒美でしょうね、サイズがわかってるから黙っていてもわたしにはバレバレです^^;。本当にうれしい気持ち、よく伝わってきます。でもまだまだ、がんばりましょうね。お子さんがハタチになるまで使えるパソコンだって、わたしにとっては先を見た支援です。
わたしが最初に育てた母子家庭の姉弟たちがちょうど同い歳ぐらいでね、なんだか自分の子供のようですとその世帯に伝えたことがありました。生き残ったチカラがやがて爆圧的に活躍する日が来るんだと思います。でもそんなことを夢見てはいなくって、幸せに暮らし続けられますように。母親だったら皆そう考えてると思います。そしてその先のための支援はこれからもずっと続きます。


2011-09-04 06:38  nice!(0)  コメント(4) 

被災地歌津なう11 [プロジェクトB]

(汗)前記事の追記がうまくアップできなかったのでここに書きます。
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ここへ来る途中の仮設住宅にも支援をしているので、どうしても最後のこの仮設住宅への支援量は少なめです。。。
前回紹介した巨大スーパーの食品たちもここに届けましたし、近県への調達の際に購入した果物も置きました。

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台風の影響の少ない朝早くでしたが『いまどの辺?』と、うたばぁからチェックの電話かかりつつ泊浜仮設に支援の画です。
みんなが覗き込んでいるのは次回の支援品のサンプル。ほかの仮設住宅への支援で得たノウハウで何が必要かわかっているし泊浜特有の感覚もよく理解しているので、はずすことなく支援は順調に進んでいます。
支援は段階的にしています。順序良く支援品の種類を持ち込むことでみんなの復帰の力を引き出す目的です。

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ここは泊浜に一番近いガソリンスタンドです。最近になり、ちゃんと看板もメーカーから用意していただいた公認のスタンドです。
砂利敷きのガレキの中のほんの一角ですが、地域の皆さんが利用するガソリンスタンドです。
この向かい側にまだ手付かずの場所があり、そこに本来のスタンドがありました。
3月11日お昼ごろ、地下タンクに満タンに入荷受け入れを済ませた直後に被災しました。
かろうじて残った燃料を地域の方に配りみんなの命を助けたスタンドです。
地下タンクの燃料は全て廃油、そしてスタンド施設も全壊、何よりその場所に行く道も今まだありません。
小さなお子さんのいるこのスタンドに早くから支援をしています。スタンド設備の一部も支援品です。保育園の迎えなどの必要から現在夕方早くに店じまいが続いています。
この方も今回の支援先の仮設住宅に住んでいます。そしてわたしは支援品を先に渡すことも時々しています。
『みんな協力し合っての今だけど、お子さんも居てあのときに助けてくれたこの世帯はわたしにとっては特別に思っています』と、みんなの前であらかじめ宣言しました。それをどう受け取るかはわからないけれど。
仮設住宅は避難所とは違います。みんなが均等に支援を受け取る権利はありません。みんなそれぞれ世帯単位で暮らしてゆくのだから。。。
被災する前の町では、子供たちは大切にされ、お年寄りや不自由な暮らしの方に思いやりを持ってみんな暮らしていたはずです。その素敵な雰囲気の町をもう一度ここで作り直すことはそんなに難しくないはずです。支援はすべて将来あるべき町の姿を想定しながら続けています。ただ届ければよいわけでもないし、たまにやってきてこれ見よがしに支援してもむしろ悪です。
そしてわたしがこれからする支援の必要のない裕福な方も入居してる事実もあります。
どんな結果になるにせよ、復興に向けてみんなのチカラになれることは全部したいと思います。


2011-09-03 05:20  nice!(0)  コメント(4) 

支援は止まらない [プロジェクトB]

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画像は昨日の支援品です。
巨大スーパーの巨大カートに何でもかんでも巨大な物品たち。コレだとスケール感がわからないですよね(-o-;)。
それぞれが20~50センチ角なんですよ。
写ってるカートのこの量でも仮設住宅の団地ひとつ分のお菓子類でしかありません。
わたしは何度もカートで往復してトラックにいっぱい積み込んでゆきます。

前日、仙台のスーパーで大人用の2Lの飲料水をやっぱりカートに積めるだけ調達してトラックに戻ったら、駐車場のほかの車から軍手をして降りてきた初老の方が、『手伝うから先に荷台に上がりなさい』と、重たいペットボトルの箱をゆっくりですが持ち上げて積んでくれたのです。『私にはこれぐらいしか出来ないから』と言ってらした言葉がとても印象的でした。
高齢でやりたくても被災地に入れない、杖をついてらした方がその飲料水に託した気持ちが被災者に届くとは限らない。
それでもみんなのために自分が精一杯取り組む事を怠らない。支援は目に見えない努力の積み重ねで出来ていて、ただ有難うと言葉が返ってくるだけの物資でしかない?。本当にそうでしょうか?。
昨日泊浜仮設に持ち込んだ飲料水が、この方が積み込んでくれた物です。
そして今までに泊崎荘に届いた全ての物も全く同じようにたくさんの方々の手が支えた援助品です。
もう一度、今日被災地で過ごしている意味を考え直してほしいと思います。
この先一生涯、自分のチカラで生きたと言うことが許されない、それが皆さんの二つ目の人生観でなければ支援の意味すら失われてしまいます。
そして同じく健常者が支援をしているとは限らない事に目を向けることも大切です。時に普段の能力以上に頑張って、そして支援をしている方がほとんどです。
具合が悪い方に支援してもらっては迷惑と言われたりしている場面を見たことがあるし、なによりわたし自身が心臓疾患を疑われてもなお支援を続けています。
でもそうしなかったら今すらないのが被災地です。
政治が悪いのか、仕組みが悪いのか、ましてやみんなが悪いのか、その全てを疑う暇すらここにはないのが本当です。その心配の間があるほど余裕ができた状態そのものが間違いだと思います。残念な事にわたし達支援者は兵隊です、それが日本のボランティアなんです。わたし達側の心配なんて、それこそが困惑と信頼感の失墜にしか感じません。わたし達は全て自分の責任でココにいるのだから。

健常とは体だけではありません。母を津波で失い発見にも時間がかかったわたしの感情は、理屈では解決出来ない心持ちの中にあります。
それでも日々同じく役場で働く方々など、かなり多くの健常と言えない方こそたくさんの努力を業務や支援にしています。
その上に被災地、被災者の暮らしがある事を忘れてはいけません。
健常者にだけ支援して欲しかったら、どこか裕福な災害も起きない国に出て行ってもらいたい。そんな場所はどこにも無いはずです。
今日もたくさんの方の目に見えない努力が被災地を支え続け、それは明日も滞ることなくわたし自信も取り組んで止みません。


2011-09-01 07:10  nice!(0)  コメント(0) 
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被災地歌津なう9 [プロジェクトB]

昨日も約束したとおり泊浜仮設に行きました。
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大きなトラックは子供たちの遊び場になりました。女の子はわたしの名前が書けるようになったとはしゃいで教えてくれました。
子供たちといっぱい遊びました。この仮設は本当にみんな元気で明るい!!、特別な場所です。


そして夜遅くなりましたが別の場所での支援の様子です。
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ここでは全て在宅の方に届くよう、地域の世話役の方に引渡しをしました。
この方の家は半壊補修費を満額でもらいリフォームも済ませましたが、最近の余震で家の傾きが進み、昨日からは全壊扱いになりました。
いったん半壊で処理も進みわたし自身も何より世帯の皆さんも安心しこれから復興にがんばろうと言うときだったのに。全壊の手続き、危険家屋の判断で住めない家を諦め仮設住宅の申し込み、そのほか相談で訪れた役場では全て門前払い。仮設の申し込みが新規に出来ない、半壊で処理が済んで助成金も受け取ったのにいまから全壊にの処理は難しいなどそのほかの手続きも全部NGで何もせずに一日を終えて帰ってきたところでした。
『あんたの物資が届けばそれで何とかなるよね』といわれ、支援が物だけでなく心も支えていることを再認識しました。

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この画像は歌津ではありませんが車の中に住んでいる人たちの様子です。
家が壊れて怖くて住めない、仮設が狭くて一部家族が家を出て車の中で住んでいるなど理由は様々です。
でもみんな出来れば家にふつうに住みたがっています。
車には衣類などの衣装ケースやカラーボックスが運転席のすぐ後部に置かれ、女性の場合には小さい鏡台も置かれています。
助手席を倒し、後部座席との段差を工夫してそこに寝泊りをしています。カーテンのかわりに農用の射光ネットを使って更なる工夫がなされた車も多いです。だいぶ迷ったのですが、実は小型の鏡台数個はわたしが支援したものです。車生活をいつか止めて欲しいから充実はダメなんだけれど、以前書きましたとおり、無くなった女性の魂でさえ身だしなみを整えきれいな姿で彼氏の発見を待っていた事例と同じく、女性の復興の基本だと思って思い切って支援をしました。実は車内生活の女性がここにはたくさんいるのです。コミュニティー化しているわけではないけれど、自分の置き場が無かったり精神的に不安定だったり車内生活の解決の可能性はあまり無いのが現状です。また女性が多いことによりそれで守られているという悪循環も本当だと思います。

被災地の本当の姿は総合的に細かく取材しなければ伝えることが出来ません。
これらの出来事全部にお構いなしの行政も政治も、やっぱり被災地では何の役目もなしていません。ストレスはわたしにだけどんどんやってきているのですよね。。。


2011-08-31 04:06  nice!(0)  コメント(0) 

被災地歌津なう8 [プロジェクトB]

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いつも行っている時間より早く泊浜仮設について、騒然と物資を下ろしました。
実は何度も行っているのだけれども、この方達に会うのは久しぶりだったんです。
仮名高倉荘からわたしの行動に対して、わたしではなく泊崎荘に対して嫌がらせがありうるから。
ここは曲がった環境の世界が展開している半島です。権力だとか財力だとかがなければおとなしく生きながらえて死んでゆくだけなんて、そんな間違った感覚も意外と主流です。
今回は困っているからと連絡を頂きやってきました。
支援に理由も理屈も要らないんですよね。そしてホント言うと準備も要らない。わたしならただそこに行けばいい、家族だから。
何に困っているのかもちゃんと聞くし、どうしているのかも訊かれる。
子供たちとも遊んで、とにかく何とか助けなければいけないと気持ちをもう一度確かめる。
確かめる必要はふつうに無いのだけれど、わたしには時間が足りなくなっている。今日物資を降ろしながらみんなで笑い話していても、実は会話が途切れ途切れで、その間わたしは心臓の痛みをこらえている。ここで倒れるわけには行かないですからね。
今日もまた積めるだけ積んでゆきます。
『助けに来てくれたんだ、やっぱりそうだ』という第一声に、ここでは何か起きていると思いかえす、マーちゃんはこのさらに先に住んでいる。

第一線に来て、子供たちと遊んで、みんなに見送られて、それに答えられるだけの体でいられることを感謝した。
うれしいよりもやっぱり被災地にいて助けられてよかったと思う。
今日までの色々なことを話すとみんな『そうなんだよね、そうだよ』とわたしにズレが無いこともやっぱり確認してしまう。
ここに投下した支援は全部泊崎荘までしか届いていなかった、という話は本当だった。
それは物としてではなく心だった。
『みんなやりっぱなしで出て行ってしまって、後片付けをわたし達がちゃんとしてゆきます』、今日最後の避難者が泊崎荘を卒業します。
やりっ放しは実はここだけではない、避難所でも移動先でも。だから悪ではないことをまだわたしは伝えていません。
振り返る余裕が無いのが本当だし、もっと言えば振り返りたくない。。。そして片付けるだけの心の余裕をもつだけの支援をうけているかいないかもこの時点でわかってしまうし、支援の力で運命さえも変えていってしまう。ボランティアだったり支援ということの責任はとっても重い。それのわからない団体は正直来て欲しくない。それはわたしだけでなく、昨日会った泊浜仮設の意思としての発言の中にもあった。NPOにべったりな泊崎荘がみんな嫌いでサッサと出てきた、そう言って貰ったりするとやっぱりわたしはズレてないと言う話しになるだけだった。
そしてもしも避難所としての観点ではなくこれがふつうに接客としての宿泊施設だとしたら、やりっぱなしは何かしらの不満のある意思表示だと思うべき。
そして片付けもしないで出て行ってと怪訝に思うなら、邪気な思考のせいで届くはずの支援もその先には届かなくなってしまう。
これが気持ちの支援が届いていない原因になるかもしれませんね。なにしろお金を頂いて宿泊して頂いてご意見まで頂いて、勿論宿泊代には後片付けも経費もたくさん含まれている。そしてもっと言うなら、支援物資も自分達で調達しなければいけなかったのも当たり前だった。
一人5000円は安いか高いか、そんなことしか思い浮かばないなんて事が最大におかしい。
一人5000円で儲けた事も、避難所や復興を謳って商品を売り続けたことも、いけないことに自分で仕立ててしまった。政治にかぶれて芯を見失った。そのれを補う次の行動を怠ったんだと思います。
一人5000円で集まった巨額はもともと無かったと思うべきなのかもしれない。人も使って経費もどんどんかかるのだからと言うおかしな言い訳けもまかり通らない。だったらボランティアで運営することが出来るのだから。
最も懸念されることは、全く無償で公認避難所を運営しきった事例がすぐ近くであったことだと思う。
販売利益は全部町のために使いたいと言っていることが多い復興市の出展者が、同じ町で電気が通らない世帯がまだあることを知らないし当然助けないのは当たり前なんだろうか。なんでわたしが緊急支援してるんだろうか。地域にある施設としての責任よりNPOとの繋がりが大事なんて事世間で通用しないけど、ここではOK。NPOの心配の分を自分の町のことに向けることが出来なかったのだから、その活動は失敗だったと決められてしまう。でもまだ間に合う。
縁も無いし行った事も会ったこともない人のために伊里前に出掛けてみればいいと思います。
自分の使う厨房の充実なんて二の次、ここは被災地なのだから充分な設備も体制も必要ない!。ボイラーのスイッチが入らないわけだから風呂にも入れず皮膚病になったこの世帯を救ったあとでも様々な投資は間に合ったはず。
だから復興を謳う看板は作ってはいけなかった。単純な反感は一番取り除けない。
それでもやらなければいけない。看板に偽りが無いように・・・。
それが社会の中での責任と言うものなのだから。
がんばろう東北とかの意味、今ならわかってもらえると思います。
昨夜、わたしが紹介した土建屋さんと都内のボランテアさんたちから『泊崎荘にもう一度泊まりたい』と連絡をいただきました。
8月が終わろうと言うときに思い出したのが泊崎荘だなんて、こんな光栄はそうそうありません。
でもわたしは返事をしていません。

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今日もたくさんの支援物資のトラックたちと一緒に一夜を過ごしました。
また朝が来て、もうとっくにみんな活動しています。だってここは漁師町ですからね。


2011-08-30 06:45  nice!(0)  コメント(4) 

被災地歌津なう6 [プロジェクトB]

いっぱい配信して、いっぱい理解を求めて、可能な限り泊崎荘を救いたい。
町から外れた半島の先にある大きな宿泊施設ではない、先代からの気持ちを伝える人たちと施設として。。。
その為には結局被災地の本当の姿をどんどん伝え続けなければいけないと思っています。
・真夏なのに暖房器具大量調達
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・飲料水と町役場のホント
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・わたしを残すために託すここへ支援
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・小さな命を救うために母がしたこと
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・漁協の寒さ
・漁師さんのチカラと支援
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・誰のためのサマーウォーズ・宇宙ショーへようこそ
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・一人5000円と一人0円
・電気が来ていない集落歌津なう
・純利益のために
・今日の支援
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・二つ目の人生は中の人だけではない
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・わたしの寿命が決まった日
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・ついに南三陸町民に

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まだまだこんなもんじゃない数が全部平行して取り組んでいてかなり大変です。
でもやらなければいけません、復興には時間がかかるのだからじっくりすればと言うけれど、世の中タイミングで全部決まることもある。その為にはわたしだけでなく被災地と被災者と泊崎荘の力が必要です。
ここで尽きても仕方ないと思います。世の中に遺言信託というものがあり、わたしも一口のりました。公開しちゃうといけない部分もあるらしいけど、一つだけなら許してもらえると思います。出棺したら申し訳ないけれど女川からドライアイスいっぱいつめて三陸を一周してください、孫社長よりわたしのほうがその権利があるはず。そして荼毘にふしたら金栄丸で歌津崎から全部海に捨てちゃってください、もう二度とわたしの毎日こんな辛い支援をする人が現れないよう全ての人の記憶に残らないように。

もう行かなくてはいけない時間です、列挙の項目のお題目の記事を作りたいのですが、まだまだ発信できるように時間を見つけてはアップし続けたいと思います。


2011-08-29 09:14  nice!(0)  コメント(0) 

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