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支援は止まらない [プロジェクトB]

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画像は昨日の支援品です。
巨大スーパーの巨大カートに何でもかんでも巨大な物品たち。コレだとスケール感がわからないですよね(-o-;)。
それぞれが20~50センチ角なんですよ。
写ってるカートのこの量でも仮設住宅の団地ひとつ分のお菓子類でしかありません。
わたしは何度もカートで往復してトラックにいっぱい積み込んでゆきます。

前日、仙台のスーパーで大人用の2Lの飲料水をやっぱりカートに積めるだけ調達してトラックに戻ったら、駐車場のほかの車から軍手をして降りてきた初老の方が、『手伝うから先に荷台に上がりなさい』と、重たいペットボトルの箱をゆっくりですが持ち上げて積んでくれたのです。『私にはこれぐらいしか出来ないから』と言ってらした言葉がとても印象的でした。
高齢でやりたくても被災地に入れない、杖をついてらした方がその飲料水に託した気持ちが被災者に届くとは限らない。
それでもみんなのために自分が精一杯取り組む事を怠らない。支援は目に見えない努力の積み重ねで出来ていて、ただ有難うと言葉が返ってくるだけの物資でしかない?。本当にそうでしょうか?。
昨日泊浜仮設に持ち込んだ飲料水が、この方が積み込んでくれた物です。
そして今までに泊崎荘に届いた全ての物も全く同じようにたくさんの方々の手が支えた援助品です。
もう一度、今日被災地で過ごしている意味を考え直してほしいと思います。
この先一生涯、自分のチカラで生きたと言うことが許されない、それが皆さんの二つ目の人生観でなければ支援の意味すら失われてしまいます。
そして同じく健常者が支援をしているとは限らない事に目を向けることも大切です。時に普段の能力以上に頑張って、そして支援をしている方がほとんどです。
具合が悪い方に支援してもらっては迷惑と言われたりしている場面を見たことがあるし、なによりわたし自身が心臓疾患を疑われてもなお支援を続けています。
でもそうしなかったら今すらないのが被災地です。
政治が悪いのか、仕組みが悪いのか、ましてやみんなが悪いのか、その全てを疑う暇すらここにはないのが本当です。その心配の間があるほど余裕ができた状態そのものが間違いだと思います。残念な事にわたし達支援者は兵隊です、それが日本のボランティアなんです。わたし達側の心配なんて、それこそが困惑と信頼感の失墜にしか感じません。わたし達は全て自分の責任でココにいるのだから。

健常とは体だけではありません。母を津波で失い発見にも時間がかかったわたしの感情は、理屈では解決出来ない心持ちの中にあります。
それでも日々同じく役場で働く方々など、かなり多くの健常と言えない方こそたくさんの努力を業務や支援にしています。
その上に被災地、被災者の暮らしがある事を忘れてはいけません。
健常者にだけ支援して欲しかったら、どこか裕福な災害も起きない国に出て行ってもらいたい。そんな場所はどこにも無いはずです。
今日もたくさんの方の目に見えない努力が被災地を支え続け、それは明日も滞ることなくわたし自信も取り組んで止みません。


2011-09-01 07:10  nice!(0)  コメント(0) 
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