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南三陸町(ホントにみんなに知って欲しい)追記3 [プロジェクトB]

この記事はわたしが行った避難所に限った話しです。
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いま用意した扇風機などの支援物資を届けました。
でも来てみたら半分でした。
扇風機も何もかも全部倍数必要でした。
そんなことが話しが違うと言うのではなく、160人も住んでいて水が出ないとは何事か。しかも民間施設でありみんな公設避難所から落ち着く間もなくここへ移動してきたのです。
連絡しようにも、ここには固定電話がありません。ネット回線がないので世の中がどうなっているのか噂話しか知りません。
もちろん緊急の案件の連絡方法がありません。
足りなかった分を急いで準備したいと思います。

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ここはまだ捜索隊がいます。。。

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追記 (2011.05.22.10:00)
現在の被災地域の天候は雨です。
わたしが行った避難所への道は仮設で小さな半島状のその集落は長く孤立していました。様々なかたちの陸路による支援(ライフラインの工事)にも迎えなかった場所です。
どんなことをここに書いたらよいのか、実際には思いつかないのが本当のところです。

もうすでに2ヶ月以上が経ちましたが、ここは震災後1週間程度の状況だと言うことです。
でも時間は確実に経ちその間食いつないでいたのだから。
そしてここから目覚しく展開してゆく時間の流れについてゆける方々なのかどうか疑問です。部落ごとの間違ったまとまりがあり、避難生活の長期化が招いた最悪のケースが全部ここにあるので民間のわたし独りで望むには手がつけられません。

いまは行政ですら手がつけられず無策だっただけ、避難所生活から脱した方がほかの地域ではいらっしゃいます。ここもきっと大丈夫だと思います。
ただし、半分しか届かなかった分は残りを用意したいと思います。

わたしは大きく揺れた地域にいたし帰宅難民の端くれにもなりました。でも生活も何も変わりませんでした。そして避難生活が続いている地域もたくさん知っています。その感覚から見たときに、赤ペンで必要と書かれた品物がどうしてここに無いのかや、どうして自分達で探さないのか、物理的な一面のみにあきれてしまうところでした。実際わたしは持ってきてほしいと懇願されたのですが、まずはわたしの家にはトースターが無いので本当に必要なのかわからない点に凝視してしまいました。
現象だけを取沙汰してはいけないと思い直すのに一晩かかるほどでした。
この赤ペンのリストは心の不安定さそのものだと思います。それは書いた個人だけでなく160人みんなかもしれません。心理の専門家の方なら処方も思いつくかもしれません。でもわたしはこの場所に足りないものを渡しに来ただけではなく、読者の皆さんの代わりとしてもやってきました。みんなが望むことはなんですか。そして本当に必要なことって何でしょう。
方法はどうあれ心配事をひとつだけでも解消すること、今日はそれだけにしたいと思います。

たくさんの状況と聞き込みをしましたが、どれをどう説明したらよいかわからないほど膨大です。報道とはだいぶ違う点に終始しますし、また科学的に被害の状況の説明も出来ます。
よかったらここにでもツイッター回線でもよいので疑問・質問をしてもらえませんか。。。それを解説することで本当の姿を多くの方に知って参考にしてもらえる結果になると思います。
いま生きているわたし達はこの先も強く生きてゆくことが必要不可欠です。亡くなられた多くの方がいる現実、生き延びた皆さんの大切な人生、その全てをかけた今という時間を未来の時間におきかえるインタープリタにみんなでなれたらいいなと思います。

どうしてここに行ったのか。
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避難生活されている方の中に猫をかっている方がいました。人間が孤立し充分に暮らせないので生き延びた猫のエサももままならないときに行政からdogwoodさんに紹介がありエサを届けてあげました。その時困りごととして避難所生活に足りないものを告げていただいたので、dogwoodさんのBlogで物資支援の呼びかけをしそれにこたえました。

どうしてここには何も無いのか。
高台の家は残りましたがほとんどが流されてしまいました。家だけでなく人間とわずかな動物以外何もかも、着の身着のままで生き延びました。
街で生活に困る避難生活とは違いがあるのかもしれません。現金は通帳が無くすぐには10万円までしかおろせませんでした。買出しに行くにも車が通れる道がありませんでした。そして手がつけられないタイミングがいくつか続いて情報からも孤立しました。TVはありますが見れるようになってからバラエティでは必要な情報が得られないのでほとんど見ていません。お年寄りの世帯と3つで相部屋の生活では情報番組をやっている時間帯にはほかの方が就寝していてTVをこっそりさえも見ることがままなりませんでした。
全てにおいて自分よりほかの方を大切に感じる静かな強さが逆に災いしました。いまは物資が集落ごとに偏って届いたことなどでのわだかまりをいきどおるようにかんじるほど、自分の心のことでも精一杯です。

避難所から出ることは出来ないのでしょうか。
家があっても不安で夜眠れない方がいる場合もあります。自分では次は逃げ出せない不自由な方も避難所にはいらっしゃいます。行った当日仮設住宅の抽選で当たった方が説明会に行っていませんでした。でもそれは10戸だけでした。少なくても残り30世帯の避難生活はあても無く続きます。
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これはほかの行政区の大きな街の中学校の校庭を専有して作られた仮設住宅です。戸の数から各家の面積も推定できると思います。あくまでも仮設、壊すことを重点に居住性はまったく無視。さらにわたしが行った避難所のある地域では長屋生活の経験がある方が一人もいらっしゃいません。薄板一枚の確執が大きな心の負担になると強く懸念されます。
財産のある方々はほかの地域に移住した事例のある町もあります。
義捐金の現金としての分配はされていません。今朝なぜかタイムリーにつつく報道がありましたが、もしここに義捐金が届いていれば生活物資を自分で買えて解消すると思います。自分の思考でそろえる物資なら偏りもわだかまりもありません。

こんなかんじで質問書いてくださると幸いです。TVなどの報道は全部否定してください。

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追記2 (2011.05.23.07:50)
けさここは薄日が差しています。仙台から沿岸被災地に向かう道は捜索隊などの車で19キロの渋滞、並ぶのをやめて現在停まって書き込む時間としています。
22日夕方、残りの扇風機と衣装ケースを届けました。その際、正直に部落ごとのいざこざはやめてほしいとお願いしました。本人達には見に覚えの無いことのないようでしたが、感覚が日常化しているのでそれも仕方ないことだと思います。誰も悪ではないと思います。改めて必要品のメモを頂いたので急いで仙台市内に戻り夜間開いている雑貨店で出来るだけそろえました。
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このほかに水が出ないので紙食器、日焼け止め、水性殺虫剤、液体洗剤などそろえました。
最初に避難所の解消がある以上、最後と言う場所も当然あること。そしてラストスパートだってあること、それぞれ伝えました。
あとは周りの皆さんがラストのランナーを迎えることも大切だと思います。
南三陸町の物資集積場を調べたので、押しかけてみるようにもアドバイスしました。自分たちでやらなければスパートにはなりません。
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途中防災センターを通るので、必ず手を合わせるように停車します。たくさんの方がそうしていますし、献花やメッセージもたくさん寄せられています。ここで最期の時まで防災無線で避難を呼びかけていた女性がいます。奥の病院の4階に波が達している通り、防災センターは骨組みを残しゆがみ消滅しました。わたしが向かう避難所も道路がなくなり孤立していました。
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とってもキレイですばらしい地域なんです。あとは避難が解消しみんなが元気になることが必要です。
帰りにみんなで手を振って送り出してくれました。きっとこれならみんな大丈夫です。
出来るだけたくさんの方に、水道も電話も無い避難所の大変さが伝わるといいと思います、リンク協力いただければ幸いです。

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追記3 (2011.05.24.09:30)
トラックを返して家に帰ってきました。
現地の実態を見たし、役場にも直接行って説明を求めましたが、逆にボランティアがいるのはおかしいと抗議される始末でした。わたしが持っていったものは全部ちゃんとその避難所の皆さんに届いています。そもそもリクエスト品なのだからそれでよかったと思います。
問題は義援もしくは国の予算でたまった南三陸町内物資倉庫の物資がまったく届かないということです。
正確な避難所の名称と画像をアップしていないのは、その地区での少なくともその避難所にいる方々には何も届かず、その避難所の隣の民家には八畳間と思われる一室からあふれ出した食品・衣類・寝具が大量にあるからです。
これ、厳密には制度の枠内での片寄り、本当に必要な人に届かない旧社会主義国で言うところの略奪だと思います。そしてそれを知っているかグルってる町対策担当者なのでしょうね。わたし取材素人じゃないわけですから、役場での担当者の対応や言い草でわかっちゃうこといっぱいあるのですよね。相手がそういう場馴れしていないのだからなおさらです。
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でもわたしが大騒ぎしたら、南三陸町はなにやってんだとか、宮城は、東北は、日本はそんなところか。。。義援を踏みにじる内容にはそれ以上の反響があると思うのです。町の職員も本人や家族など身内が被災しているはず、疲れもピークです。
もともとの地域性としてガツガツ進んでゆく感じではないかも知れないので内面的な部分ではもっと大変だと思います。
そして町民もみんな同じだと思います。
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昨日の時点でも記事冒頭の赤ペンの必要物資リストが貼られています。この中のクリアケースは大量にお渡ししたので黒い点が付いています。そのほかのも×印はわたしが当日持ち込みました。
その手付かずの赤いリストは、このボードの目の前にてまさに手渡されず偏って持っていったグループの様子を本当に泣きながらみていた方が書いたものでした。要するにこれが全部現在在宅の生活者が持っていったものです。勿論これ一回だけではありません。CA3E0616.jpg
避難所に持ち込めない大きさのベッド(マットレスのみかも)のだから当たり前ですが、避難所に届いたわたしの目の前で軽トラで次々運び出されて行きました。最初から在宅被災者向けならよいけれど、この光景が例の赤いリストのものだったら確かに怒りもあるかもしれません。
でも、わたしはその話の終わりに避難所の方に話したのです、『たとえば略奪の人でも、あるいは何で貰えないのかと憤っても、そもそも世界中のみんなが義援や国の予算で困ってるだろうと身を削って用意したものなのだから。わたしにはどちらの人も間違っているようにしか見えません』と。
ただしもうみんな疲れてしまっていてぜんぜんなのだと思います。届いたものはとにかくわれ先に・・・という光景わたし自身も見ましたから。着の身着のままで被災したのだから公共性のたがが外れてどこか別の国の難民キャンプになってるのを見ましたから。。。日本には思えなかった。
この地区のこの避難所でのことであり、実は隣の地区では在宅・避難生活にかかわらずほぼ均等に行き渡っているのを確認しているのでどうか安心してください。そして最終往復回の別れ際、『こっちが憎く思えば相手も憎む。わたしが今持ってきたので免じてもうねたむのやめてくれないか』と伝えておきました。出来れば意向が伝わって欲しいですが。。。
南三陸町本部の2次避難という解釈は、緊急で公的施設にいた人を民間の民宿などに移し避難を続けてもらうこと。そして日当たり数千円で三食付で過ごしてくださいということ。『避難生活で足りないものは避難所である宿舎が用意するもので、ボランティアなどが届け補った分は宿舎側が差し引いた費用をガメタというわけだから、わたしは聞かなかったことにしておきます』担当者弁原文(録音より)。
リアルタイムで避難所の様子など最前線をお伝えするつもりだったけど出来ないし、場所も正確にお伝えできないのはこの担当者弁のためです。本当にごめんなさい。
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そしてソニックマイヅル店より緊急発送頂いたピンク色の扇風機、わたしがこちらで用意したものとあわせて一時置きの図です。最初にもって行った分は当日の暑さもありすぐに開封され使われています。この画像は2回目の物で肌寒い雨の日だったため、このあと夕方集まった皆さんで分配されました。いずれも本当に困っている避難生活の方に届きました。本当にありがとうございました。
どれほどの苦労で扇風機が用意されたか、あるいはほかに持ち込んだものも、そして義援で寄せられたものも。なかなか心に余裕がない被災者の方々ですが丁寧に見送って頂いた姿が印象的でした。
さらに、ツイートしましたがヨーカ堂の職員の方のご協力と『イトーヨーカ堂として何か出来ることはありませんか』とたずねられたこと、特記しておきたいと思います。
そしてさらに、先日より更なる協力の申し出をソニックマイズル店より頂いている点、及びたくさんのアクセスでの応援頂いた読者の皆さんの存在、すべてに感謝すると共にこの避難所の様子を続けてお伝えできるようにする約束をしたいと思います。

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2011-05-21 15:30  nice!(0)  コメント(10) 
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